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わたしからお礼を兼ねて雅春先生に次の手紙を書きました。
『 先日の質問 宮 信子先生よりご指示がありました。その通り朝夕行じて居ります 安心して勉強が出来る様になりました 今も誌友会より帰って来た所ですが 皆大人の方ばかりで亦御利益に依って結ばれてゐる方が多くて私達にはしっくり来ません 利害を離れて真理を行ぜんとする青少年の集でもあって欲しいと思います 今日もお話したのですが私達の手で実現させたいと存じます 唯今の私の悟りの程度では知識ある学徒の間に生長の家を広めるのに幾多の難点があります
一、戦時と今の説かれるところの矛盾 之を言論の不自由に理由立てるならば今はより以上言論ほ不自由と思われますから之を信じ得ない 又先生の意志力をも疑われる
二、神は善なり 然し現に人は苦しんでいる 現象は心の法則とすれば 心の法則は誰の所造なりや
三、現在市井にある書籍中には方便多くして 初めての学徒は真理を掴み得ずして直ぐ之を捨てて仕舞ひます
以上の三項が私たちが知人間に教を広めんとして惜しい所で好機を逸する理由です 此の三つが解決されれば学生間に家族は激増し 世界人類に貢献する所大なりと信じます 我等の為に希はくは明解を垂れ給はん事を 僭越の段お詫び申します 合掌
五月十七日
中 島 功
片 岡 道 雄
谷 口 雅 春 先 生
』
(注:片岡道雄というのは伯父の家に一緒に世話になっていた義理の従兄です。)
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懇切なご返事が、差し上げた手紙の周りの余白の部分に細かく書かれて帰ってきました。
『 (答一)(戦前と戦後の矛盾について…筆者注…以下同じ)
真理は一にして、此れを展開すれば、時、處、人、の三相応によって君子よく豹変すべきなり。つねに、三相応のことは説き来れる處にして終始一貫せり。喩へば、「病気はない」と病人に対して説き来りたるに、その病人が死にたりとせんか、「病気はない」と先生ほウソを云ったと云う。併しそれはウソに非ず。言葉の力にて病人を癒さんとせるものなり。病人死にたる後は、霊魂の不滅を説く、国家についても然り、敗戦の後は理念の不滅を説く。』
『 (答二)(法則は誰の所造なりやに対して)
法則は、「甘露の法雨」にある通り 神は「宇宙を貫く法則」なり。法則は「神の利用し得る形への一般化」にして、これによって萬人は神をわがものとなし得る也。人間の「善」は神の善の自己表現なれど、抵抗によって、その抵抗に打ち勝つ努力によってあらはれる也。喩へば美術家の生命に内蔵さるる「美」はカンバスの抵抗、絵の具の種類による自己限定を通して始めて表現せらるる也。苦しみを悪と見ることが不可なり。美術家がカンバスの抵抗に打ち勝つのは苦しみであり、しかもそれは楽しみなり。即ち法則の駆使によって抵抗に打ち勝つのは、平地を歩むよりも空気の抵抗に打ち勝つために法則を利用して空中飛行するが如し。人生は芸術なり。遊戯三味なり、喜びなり、表現なり。』
『(初めての学徒にどう説けばよいかについて)
先づ「世界光明思想全集」によられたし。或いは、「人生は心で支配せよ」(旧版なれど)によられたし。』
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さらに別の便箋に次のように書かれている。
『 拝復 御熱誠感謝仕り候 回答は貴問の欄外に致し置候
先づ光明思想をひろめんとせば、学生の回覧雑誌をつくること必要と存じ候
すべて「理念」のみが実在にして、現象はその投影也 現象国家も、その投影にして、言葉(活動、思想等を含む)の画筆によって、その理念が完全にあらはれたり不完全に顕れたりする也。アメリカの勝利は実にコトパの力の駆使法の優越せるによる。日本の敗北は実に言葉の力を知らず、今も現に知らず、ラジオに、新聞に暗黒の言葉を駆使して日本を暗黒に導きつつある現状、まことに嘆かはしき次第也、即ち、画筆を使ふ方法を知らざる愚人が、内在の詩想(美)を表現すべく、却ってメチャメチャに画面に書きなぐりつつある如し、これを教育するが我らコトバの力を知る光明思想家の使命也、日本の再建は貴ら如き青年学徒の目覚めによるほかなき也。学生よ団結して光明思想を知り、光明思想を普及せざるべからず。
谷 口 雅 春
中 島 功 様
片 岡 道 雄 様
尚、日本人の御利益排斥精神は、日本敗戦の一原因なり、即ち善人はただ死することを願い、道徳頽廃せる者のみ自己の利潤追及にふけりたり。善人が御利益を追求する力を得なければならぬ也。アメリカのプラグマチズム的思想は「善人が必ず勝つ」の思想なり。然して彼は勝てり。 』
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ー受験生のつたない、生意気な質問にこれだけ心を込めたご返事を頂いたのでした。この後頂いたお手紙では、占領軍とその手先になった政府機関の検閲によって用紙の配給が乏しく「生長の家」と「白鳩」の発行がどんなにままならないか、そして我々青年学徒がこの時期に何を為すべきかを具体的にご指示下さっています。それにどこまで応えることができたか。この後、松江の国立高等学校、東京の大学、就職後の兵庫県と、青年会の創設と発展に努力はしましたが、雅春先生のご期待に添えたとは到底思えません。だからこそ今、み教えの危機に、死力を尽くさなければと奮い立っています。皆様のご支援をお願い致します。合 掌
(追伸)父の復員、家族の引揚げ、父と始めた事業の成功、高校・大学の受験等々に奇蹟的なお蔭を頂いたことも語れば尽きませんが、今回の本旨ではありませんので割愛させていただきます。 |