「生長の家」のマーク
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「生長の家」のマークは実にうつくしいものである。このマークの中には、太陽・月・地球・青人草(人類)が現され宇宙全体が表現され、また神道・仏教・基督教を表し、万教帰一を表現している。実に深い意義を秘めた印である。 この印は信徒のバッジになり、旗となり、「生長の家」のシンボルとして使用され、信徒の誇りである。このバッジを胸につけ、世界を歩き見知らぬ人々と朋になることもある。またこのバッジを胸につけ、あるいは車につけて災難から免れた人もある。 このマークが地上に現れてくるのには、不思議な物語がある。それは昭和九年頃のことであった。大阪に熱心な生長の家の信徒で、生長の家誌友連合会の会長をしていた門脇観次郎という人がいた。この人は当時の神戸高等商船学校の教授で、田中智学について日蓮主義を学び、熱烈な「法華経」の信仰をもっていた。 入信前は慢性中耳炎、慢性胃病、神経痛を患っていたが、『生命の実相』を拝読して病がすべて消えたのである。と同時に『法華経』の意味が一層詳しく判った。特に普門品第二十五にある観世音菩薩の功徳が詳しくわかり、観音信仰をして、自宅に観世音菩薩を祀っていたことについて不退転の堅信を得られた。 ある日、神想観をして「生長の家の神様の相(すがた)を拝ましてください」と、熱心に精神統一しているとき、空中に観世音菩薩像がポッカリと現れた。この時、これは自分の妄想が描いた幻かもしれない、或いは自分が『法華経』を信仰し観世音菩薩を祀っているので、観世音菩薩が出てこられたのかも知れぬ、それとも或いは本当に生長の家の神様かも知れぬと、三つの解釈の仕方をした。その頃、谷口雅春先生は、阪神間の住吉村におられた。門脇氏は住吉村に先生を訪ねて、意見を求めた。 谷口雅春先生は「生長の家の神示には、神は姿形なきものである。本来姿形なきものであるが、相手を済度する為に相手に随って色々に現れる。観世音菩薩といっても本来姿はなく、世の中の音を観じてその音の姿に応じて三十三身に身を変じて衆生を救われるのだから、生長の家の神様が姿形 がないといわれるのと同じでしょう」と話された。 門脇観次郎氏が、観世音菩薩のお姿を見てから三年のちに生長の家のバッジができあがった。谷口雅春先生が生長の家を象徴するマークを作りたいと思われ、その構想を当時帝展の審査員であった山根八春氏に話され、図案化してもらった。 七種類位の図案の中から、谷口雅春先生が手直しの助言をされて出来上がったものが、現在の「生長の家」のマークである。これが七宝銀でつくった徽章のメダルとしてできあがったのは、昭和十二年(1937)頃であった。この徽章のメダルが大阪に到着したとき、生長の家大阪誌友連合会長の門脇観次郎氏はこれを見て驚き、不思議な感じで或る一つのことを思い出した。 それは三年まえの、あの神想観の時のことであった。観世音菩薩のお姿が現れ、その頭上の宝冠の中央についていた印と同じものであった。人間界で工夫して拵えてた徽章が三年前に見たのとソックリであり、しかもそれが観世音菩薩の宝冠の中央についていたものと全く同じものであったという事実である。 この現象界に現れるよりも前に、何事でも先ず現象以前の世界で創造される、そしてそれがやがて或る時間的空間的展開をなして現れてくるということである。 この素晴らしい、不思議な因縁をもつ神理の象徴である印、大宇宙を包含し、万教帰一を表現する神秘な力をもつ「生長の家」のマークを大切にすると共に、信徒の誇りとして世界の人々にも示すべきである。 |