宇 宙 の 大 法

仙  頭    泰

 

 神の創造については、聖経「甘露の法雨」のなかで「神」の項として、詳しく述べてあります。ここには、「創造の神」についての説明があります。創造の神は、大生命であり、神の現れたところは調和が自然に整い来ることが示されています。

 創造の神は、神ご自身の「心」を材料として一切のものを創造されたのであります。この「心」そのものが神なのであります。そこで「甘露の法雨」の「神」の項の九節を見ますと「この全能なる神、完全なる神の『心』動き出でてコトバとなれば一切の現象展開して万物なる」と示されているのです。

 つまり万物は、神の心の現われであり、神のコトバの現われであると云うのであります。ですから万物の本質は霊であり、心であると云うことになります。そして「実在」は永遠に滅ぶことはないものであることが、示されているのであります。

 生長の家では、万教は唯一の真理に帰一するものであると教えています。現代この地上に色々な宗教があり、その真理の説き方や、説明の方便、それに真理の掘り下げ方等に違いがありますが、それはその教えが現われた時代や地域の違いによって、外見上は異なるように見えているだけであります。

 教えの奥に参入してみれば、それは丁度一つの太陽光線がプリズムを透過する際に、七色に分光してそれぞれの色に分かれ、光線に特色があり別々に肉眼に見えても、この光線の根源は一つであると云うのと同じであります。つまり、あらゆる宗教の真髄は唯一つの神に帰一するのであります。

 このことは「神真理を告げ給う」と題する谷口雅春先生の御本に「真理は人間の頭脳から考え出されるものでなく、神の啓示である」と云うことが詳しく説明してあります。神が時代、地域に応じて高級霊を通して真理を人類に伝えさせておられるのであります。

 谷口雅春先生は、宗教がこの地上に現われる時のことについて、説明をしておられます。神より人類光明化の使命を授けられた高級霊が、肉体をもってこの地上に天降られて、神理を人々に説かれ、光明化運動を開始されるのであります。つまり神のみ言葉を神から預かり、神のみ言葉を人類に伝える使命をもった方、即ち預言者(豫言者ではありません。字が違います)としてこの地上に誕生され、人類光明化運動を始められるのであります。

 現在或るグループに所属して活動する人々は、霊界に居るときに、既に自分もその高級霊と共に、人類光明化の運動に参加協力することを霊界に於いて決意し、その高級霊が地上に誕生されて神の人類光明化運動をされる時期に合わせて、自分もこの地上に誕生し、そして自分の希望した通りに神の人類光明化運動に参加して、自己の人生を神の地上ユートピア計画実現の為に捧げられているすばらしい人々もおられるのであります。
 その聖なる使命を感得して、ここに生きている何某と云う自分は、神の生命そのものであり、毎日を神により生かされていることに目覚め、自己の生命を神理伝道のために布施しておられるのが、皆さんなのであります。

 いくら才能ある天才画家でも、その才能を発揮する場としての、キャンバスもなく、絵の具もなく、絵筆もなければ、それは偉大なる才能の表現はできないのであります。私たちが「人間神の子・本来罪なし」の人類無罪宣言のもと「万教帰一」の旗印をかかげて新しい世紀の扉を開ける使命をもっている「唯神実相論」に触れたということ実に生き甲斐のあることです。そしたまた、今自分の置かれている場所が、才能表現の場であり、自己の霊的向上のためにも、素晴らしい場が与えられているのであります。

 今多くの人たちは唯物思想によって迷妄の深淵に引き込まれ、自己の神性性を忘却し、神を忘れ、霊的な頽廃はその極に達しています。このような状態のときに、人々に神理を伝道することは、救世の大仕事であります。

 聖経の中に、迷妄の建物が高く大きければその破壊の時の被害は甚大であることが示されています。迷妄には必ず自壊作用を伴い、その後に実相の完全円満なる状態が、この三次元の世界に現われてくると示されています。

 現代の人々の状態は、まさに迷妄その極に達していると云えます。その結果としての来たるべき人類の惨禍を出来るだけ最少にとどめ、この地上にユートピアを建設するためには、まづ大多数の人類の念の浄化が必要なのであります。 そのためには、一人でも多くの人々に神理に触れてもらい、自己革命をしてもらうことが必要なのです。三百六十度の観の転換です。まづ人間観の転換からであります。

 生長の家では、神の人類光明化運動をこの地上に展開するにあたり、「すべての人に神の子の実相を開顕し、確立する」ことを第一にしています。全人類が、唯物的人間観より霊的人間観に転換したときは、ユートピアの地上建設が伸展して行く第一歩であります。

 この地上に生活するものは、誕生のときがあり、成長のときがあり、衰退のときがあり、そして消滅のときがあるのです。私たち人間も肉体人間を見るときには、誕生があり、成長がり、衰退があり、消滅があるのです。この三次元の現象は、自然現象にしても春夏秋冬と循環し変化を続けて、成長発展をしているのであります。

 谷口雅春先生は或る時、先生の家の庭先にある柿の果実が、秋の夕日に映える美しさを味わっておられました。そして翌日になり柿木を御覧になりましたら、もう柿の果実は全部もぎ取られていました。もう夕日に映える美しい柿の果実を見ることが出来ませんでした。

 ところが、また一年経ったとき、秋の夕日に美しく映える柿の果実を見ることが出来ました。これは柿の理念がある限り、現象としての柿は色々に変化しますが、柿としての個性を表現し、存在を続けるのであります。

 人間の肉体はこの世に赤ちゃんと生まれ、段々と肉体は成長変化して立派なたくましい体に育ち、やがて年をとるに従って皮膚はたるみ、体力は消耗し、この肉体が地上より姿を消すのであります。

 私たちは、このように肉体を変化させているものがあることを知らねばなりません。それが本当の自分であり、理念の人間なのであります、現象界で変化するもののなかに、不変の理念があることを理解することが大事です。

 この不変なる理念− 法こそ神の心そのものであり、言葉を替えて云えば「宇宙の大法」なのであります。この大法が顕現するところ大調和の状態になるのであります。この大調和の世界実現に、私たちは努力しているのであります。



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