神に捧げるわれらの決意

 仙頭 泰(元生長の家ハワイ教化総長

谷口雅春先生は、人類に神の言葉を伝えるためにこの世に生まれてこられた方であります。近くには、モーゼ、釈迦、イエスといわれる偉大な霊的指導者がおられます。

 神の言葉を神から預かり、そしてそれを人々に伝える使命を持ってこの地上に誕生された方は、それだけ霊的な自覚も高く優れた人格の方であります。それはちょうどラヂオやテレビでもその機能の優れたものほど、遠方の放送局からの電波でも正確に受信して、正しく伝えることができるのであります。それと同じことであります。

 この地上で歴史に残る偉大な宗教が始まるときには、必ず人類救済の使命を帯びた高級霊が、天上界、つまり高級霊界からこの人間の世界に天降り、肉体という革袋を身につけて現れてくるものであります。そして、多くの人々の間に交わり真理の宣布をはじめるのであります。

 伝道の初期には、必ずといってよいほど、妨害がおこなわれるものであります。イエスの弟子のなかにも、イエスを売った者もいたのであります。しかし多くの伝道者は、神の御心を信じきって、あらゆる困難を乗り越えて、真理の宣布に努力されたのであります。

 谷口雅春先生は「この地上に真理の宣布が始められるときには、必ず高級霊の地上への降臨があり、その高級霊が肉体をもった人間として、真理の伝道をはじめるのである。この時この一人の高級霊のみの人類救済の活動ではなく、高級霊界の高級霊達のグループ活動であり、高級霊達が必ず応援し、支援するのである」と述べておられます。

 それと同時にその高級霊の地上での活動に参加する人々は、実はこの地上に誕生する前に霊界において、自分はあの高級霊が地上に降臨される時期にあわせて、同じく自分も誕生して高級霊と共に人類救済運動をすることを、決意して地上へ生まれ替わってくると云われているのであります。

 これらの諸霊は、地上に誕生してから、さまざまな人生体験をし、やがてその高級霊と巡り合い、組織をつくり人類救済の運動をこの地上に展開するのであります。その諸霊が私たちなのであります。

 生長の家の名前は「大宇宙」の別名であると神示に示されています。生長の家の教義は大宇宙の真理を説いているのであります。また生長の家の運動は、神の人類光明化運動とよばれ、「神の」という言葉がつくのであります。

 イエスは、真理は私たち人間を自由にしてくれるものであることを教えました。不幸、災難、貧窮などは、神の創造されたものではありません。だから、真理を知って生活に実行する人の前から、それら不完全なものは消え去るのであります。つまり不幸、災難、貧窮などの縛りから開放されて自由自在の境地に出ることになるのであります。

 なぜ生長の家が今の時代に出現せねばならなかったか。それは、人類の迷妄あまりにもひどく、このままではその迷妄の自壊作用の被害の及ぶところ、人類の破滅的状態になるからであります。その災害から人類を救済するために出現したものであります。聖経「続々甘露の法雨」にあるごとく、迷いの建物高ければ高いほど、それが倒壊したときの被害の及ぼす影響は大きいのであります。  

 なぜこのような状態に地上がなったのか。それは人類の大多数が、自己の霊的本質を忘れたからであります。三界は「唯心の所現」であり、「観ずる通りに現れる」からであります。「真理を覆い隠した状態」を「無明」というのであります。「真理の光」がない、すなわち闇であります。神聖隠蔽であり、神聖を包み隠すことが罪なのであります。

 イエスは「罪の値は死なり」と云いました。つまり、生命のイキイキとした活動のないところは、不毛の地であり、荒れ果てた荒野でしかないのであります。

 この地球は、神の創造された、神の子の住むユートピアであり、希望の星なのであります。人々は、神の子として互いに感謝、合掌、礼拝し合い、唇に神の賛歌をうたう楽園なのであります。これが地球という星の本来の使命なのであります。

 人類がこの地上に誕生してより、多くの年月が流れさりました。その間幾多の大陸の興亡があり、文明の栄枯盛衰がありました。それは丁度、自然界に春夏秋冬の四季があり、変化があり、その変化のなかに生命の無限伸展が現れてくるのと同じようにであります。私たちは現象の変化を恐れてはならないのです。変化の中に進歩があるのです。

 聖経「甘露の法雨」にある如く、蚕が毛虫からサナギとなり、やがて繭を食い破って立派な蚕となって巣立つように、私たちもまた変化しながら、無限向上の道を歩いているのであります。

 希望の星、理想の星、そこに生まれて生活しているのが私たちであります。私たちはただ生きていればよいのではありません。この地球という星を、神の理念の成就したものにする使命をもって、この地球に生を享けたのであります。そのために生きているのが私たちであります。この聖なる使命と理想を、地上に生まれた霊たちが忘れ、唯物的思考の中で、唯物的生活を続け迷妄の中に時を過し、今やその迷妄の累積した量は、人類を滅亡させる危機を持つまでになっています。しかし多くの人々は、このことにまだ気がついていないのであります。

 谷口雅春先生は、講話の中でよく次のような話をされました。「お金は人間の生活に必要なものである。お金そのものには、きれいなお金も、汚いお金もないのである。お金の値打ちは、その使い方によってきまるのである。つまり、お金を使用する人の心によって、その値打ちがきまるのである」。ならば私たちの身の回りの現象を点検するとき、原子力のこと、ごみのこと、環境のことなどいろいろな問題の解決に必要なものは、これらの問題を神の御心を立脚点として解決策を考えることであります。つまり神意を基にした「観の転換と確立」をすることであります。まず物質的人間観から霊的人間観への観の転換が必要かつ重要なことであります。

人類の迷妄甚だしきこの時に、神の深い愛の心は、高級諸霊をこの地上につぎつぎと天降らせ、宇宙の神理を人々に伝えて、眠れる神性仏性をゆり覚まし、人間の神性仏性の本性にたちかえり、この地球を人々の霊的向上のすばらしき場である本来の理想の星たらしめんとされたのであります。その使命を受けられた預言者、すなわち神のみ言葉を神から授かり預かりうけて人類に伝える使命を受けられてこの地上に誕生された偉大な高級指導霊の一人が、谷口雅春先生なのであります。

 生長の家は、神の人類光明化運動展開のためにこの地上にあらわれたものであります。単に個人の生活の幸福だけでなく、地球という星の迷妄を吹き払い、浄化して、住みよしの世界にするために、展開された運動なのであります。

 今ここに集まっておられる皆さん!皆さんは神のお召しにより集まってこられたのであります。皆さん一人一人の守護霊と共に、神のお招きにより、ここに吸い寄せられたのであります。

 谷口雅春先生は私たちにつぎの如く繰り返し教えられました。
「われ神を選びしに非ず。神われを選びしなり」と。今この地上にて、人間神の子の自覚をもつ人は少ないかも知れません。でも今、私たちの様に、人間神の子を自覚して、家庭で、職場でみ教え実践して、神の栄光を表わして人類の希望となり灯台となって、毎日の生活に励んでいる人々がいるということであります。これは大切なことです。

 寒い冬、すべての草も木も枯れて、全ての生命が失われたように見える季節でも何時かは終わり、やがて万物が芽を出す春を迎えるのです。その希望の春の兆しが厳しい冬の終わりに必ずやってくるものなのです。霜の降りた寒い朝、梅の木に可憐な一輪の梅の花が咲き出て芳しい香りをただよわせています。肉眼で見ればたった一輪の小さな梅の花です。しかし、このことは春がそこまで来ていることを意味しています。厳しい冬の終わりの印であります。やがて万物馥郁として花咲き香る希望の春が実現することの兆しであります。

 その様に、この地上が唯物思想に吹き荒らされて、神仏を否定し、人間の霊性を否定する言動がいかに横行しようとも、万教帰一の旗印のもと、「人類無罪宣言」を叫び、人類光明化のために活動している人々がいることは、まさに厳冬の霜のさなかに咲き出でた一輪の梅の花の如く人類の未来に一条の光を投げかけているのであります。

 まさに希望の光であります。この一条の光は必ず、万条の光となるのであります。またしなくてはならないのであります。私たちは谷口雅春先生の「野の百合の生きる道」という詩の中にある野の百合のように、「野心を持たず、与えられた谷間に安住し、与えられた養いを吸い、許されただけの美しい花を開き、枯れる時がくれば黙って枯れる。煩悩を捨て、救いを求める人には、野の百合のように自己のもてる球根を与え、高座から『道』を説くことはなく、ただ『道』をいきている」、みんなこんな気持ちで光の道を歩んでいます。

 真理の光は、これからさらに力強く大きくならなければならないのです。聖使命菩薩である私たちは、己いまだ渡らざる先に人を渡す愛行に挺身しようではありませんか。それは自分の家庭から、自分の近くの人たちからこの真理の光を点じていくことです。
それが、すべての人々の永遠の幸福に繋がり、地球ユートピアの建設につながっているのであります。私たちの谷口雅春先生のようにわが身をローソクのように燃やしつづけ、人生を歩み続けて行こうではありませんか。ありがとうございます。



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