「ヨハネ伝講義」のはしがきを拝読して

仙 頭   泰

 谷口雅春先生は、生前壇上にてご講話をされているときに、先生のお姿がキリストや釈迦のお姿と入れ替わってしまって講習生が驚いたという話をよく聞いたものです。また谷口雅春先生のお体から強烈なオーラーが出ていたのを見たという講習生もいました。

 私は先生の随行をさせていただき、宿舎では夜の九時になりますと、翌日の講習予定の打ち合わせを兼ねて、先生のお部屋に就寝のご挨拶に伺うことになっていました。そのときにお部屋の中にふしぎな雰囲気が漂っているのを感じるのです。言葉ではうまく表現できませんが、神々しく清らかで心身が浄化される雰囲気です。深山幽谷にいて柔らかい日差しを静かに全身に浴びているような至福の感に満たされているようなのです。

 この霊的な雰囲気は、谷口雅春先生の随行をされた、山口悌治先生、徳久克己博士も感じられたそうです。私にとっては、谷口雅春先生ご夫妻の七カ月間にわたる海外ご巡錫の随行をさせていただいたとき、ご夫妻の周りに起こりました数々の不思議な出来事は、今も鮮明にその光景ガ目に浮かんでまいります。

 ニューヨークーの国連を見学に行きましたとき、そこにいた人たちが、谷口雅春先生ご夫妻のお姿をみて、讃嘆したのです。「あのような素晴らしい雰囲気のお方が増えたら世界が平和になるでしょう」と。私はこの時に「無為にして化する」という言葉を思いうかべました。偉大な霊的雰囲気を持った方は、なにも千万言をついやして説教されなくても、ただ居られるだけで周囲の人々を感化されてゆくものだ、ということを実感いたしました。

 そして目の前で奇跡的なことが現れてくるのです。目の見えなかった人がものを見る事が出来るようになったり、足のなえていた人が立ちあがったり、谷口雅春先生のお姿が夢にあらわれて病が癒されたり不思議なことが沢山ありました。七カ月間の海外ご巡錫で谷口雅春先生ご夫妻の歩まれるところには、色々と驚嘆することがなにげなく自然に現れてくるのでした。

 谷口雅春先生は、ご著書「ヨハネ伝講義」の「はしがき」の中に、『ヨハネ伝』はキリストの福音書のなかで、もっとも霊感的な著作であり、本当にキリスト教を理解し、キリスト・イエスの霊的人格にふれるためには、『ヨハネ伝』を数十回、数百回読んでキリストの生命に直接ふれなければならないと述べておられます。谷口雅春先生は『ヨハネ伝』が非常に霊感的な著作であるだけに、霊感的解釈を必要とするので、あえてこの講義を発表して「読者諸賢に真にキリストの生命にふれて新生していただきたい」と述べておられます。

そこで、人が谷口雅春先生に「あなたはキリストの生命に触れたのであるか」と問うならば、先生は躊躇することなく「私はキリストの生命に触れ、キリストの魂を理解し得たと信ずる」と答えると述べておられます。イエスは、「誠にまことに汝らに告ぐ、我を信ずる者は我がなす業をなさん、かつ之より大いなる業をなすべし」と『ヨハネ伝』第十四章に断言してあるのに、なぜ現在のキリスト教会では、イエスが行ったほどの奇跡を実演することができないのであろうかと、谷口雅春先生は疑問を呈しておられるのであります。

 またイエスを信ずるならば、「我を信ずる者は我がなす業をなすべし」というイエス自身の証言をなぜ生活に実演することができないのであろうか。それは「イエスを信ずる」と称しながらも、イエスの教えを歪めて信じているからにほかならないのではないだろうかと、同じく谷口雅春先生は疑問を呈しておられる。心からイエスの教えを歪めないで信ずるならば、イエス以上の奇跡を実演し得なければならないというのであります。

 谷口雅春先生は「私は、どんな既成のキリスト教会にも属しないが、私は独自の霊感によって聖書に接し、キリストの生命に触れたのである。そして誰よりも深くキリストを信ずる者である」と、述べておられるのであります。谷口雅春先生はさらに私たちに「私はイエスとともに『わが言うことを信ぜよ、我は父におり、父は我に居給うなり。もし信ぜずば我が業によりて信ぜよ』と言うことができるのである」と、教えておられます。

 谷口雅春先生ご夫妻の海外ご巡錫では、各地で「キリストがなされたごとき奇跡を為し、かつこれよりも大いなる業を為し」給うことを目の前に拝したのでありました。神理はいまも厳然としてその力を輝かせているのです。

 この「ヨハネ伝講義」の「はしがき」の終わるところになりますと、つぎのように述べておられます。
「私は、本書を校正しながら、磔に釘(ツ)けられて後、復活したキリストが、ペテロと食事を共にしたのち、『汝この者どもに勝(マサ)りて我を愛するか』と三度繰返してたづねられる処に至って滂沱として涙せずにはいられなかった」と。この御文章は、昭和三十五年八月二十五日と、日付が書いてあります。私には、当時どうして谷口雅春先生がこのところで、滂沱と涙されたのか分かりませんでした。ただ、いたらざる弟子であることが、自分ながらくやしく、情けない思いをしたことでありました。

 その後、ペテロが「わが汝を愛する事はなんじ知り給う」と答えました。復活されたイエスは「わが羊をやしなえ。・・・・われに従え」と述べておられるのであります。今日、この「ヨハネ伝講義」の「はしがき」を改めて拝読しますとき、私たちは如何に行動すればよいか、胸に強く響くものがあります。谷口雅春先生の、この「はしがき」の結びのお言葉は次の通りです。

 「名称がキリスト教徒であるばかりではなく真にイエスの魂に触れ、イエスに従う者のみが真にクリスチャンであるのである」と。



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