本当の人間について

仙頭  泰

 

 生長の家では、本当の人間は「神の最高の自己実現であり、霊的実在である」と教えています。また、神の人類光明化運動の第一になすことは「神の子としての人間なるものの本当の相(すがた)を凡ての人々のうちに開顕し、確立することである」と教えています。

 即ち世界の人々が、人間が神の子であるところの実相を顕して、それもフラフラとした自覚ではなくて、シッカリとした悟りとすることにあるのです。「生命の実相」第一巻の中には、人間の運命を光明化する根本は、結論すれば「人間は神の子であって、完全円満なものであることを、心の底から信じきることである」ことが書いてあります。

 また聖経「続々甘露の法雨」の中に「汝ら『人間・神の子』の自覚よりさらに進んで『神の子・人間』の自覚に入るべし」と示されています。そして私たちに「因果を超え、業苦を超えたる真清浄、真無垢なるものこそ汝の生命の円満完全なる実相なり」と示され、「神の子・人間」の自覚を深めることの大切なことを示しておられるのであります。そして、これらのことは「夢にあらず、実相なり」と結ばれているのであります。

 谷口雅春先生は、私たちに肉体を解剖して、どのように細胞の中まで捜し廻っても、人間の生命を発見することはできないことを教えてくださいました。本当の人間は、この肉体を超越したものであります。

 私たちが何かを作る場合、私たちの心の中に「これを作ろう」というアイデイアがまずあって、それに従って色々な材料が集められ組み立てるという創造力が働いて、現実に眼で見ることのできる品物となって現れてくるのであります。生長の家では、「想像力は創造力である」と説くのであります。

 聖経「甘露の法雨」の中に、「肉体の奧に、物質の奧に、霊妙きわまりなく完全なる存在あり、これこそ、神に造られたる儘の汝そのもの……」と示されています。私たちの本体は、神の心の中あるのです。神は、生きている生命であり、生命だから動かずにいられないのであります。

 神の生命が動くと、それが「心」となって現れます。「心」は「思うもの」であります。つまり、心は必ず何かを「思う」という働きになってくるわけであります。谷口雅春先生は、つぎの様に述べておられます。

 「神が『思う』とき、神の心の中に思い浮かべられた『コトバ』即ち『理念』がつくられるわけであります。神様が一遍思い浮かべられたことは、それは、『永遠の存在』として消えない、その『永遠の存在』を真理といってよろしいのであります。」

 ここで説明しておきますことは、生長の家で「真理は一つである」というのは、真理というものは、普遍妥当性があって、宇宙の何処に行っても、それは一様に正しく当てはまるものであるという意味であります。

 神の最高の自己実現であるからには、神の万徳円満の相(すがた)をもった理念としての完全円満人間が、本当の自分なのであります。この事実を私たちは、しっかりと自覚しなくてはならないのであります。

 谷口雅春先生は「実相と現象」と題する御本の百七十二頁につぎのように書いておられます。
「我々の肉体は人間そのものじゃなくて物質の奧に、肉体の奧に、霊妙きわまりない存在がある。その『霊妙きわまりなき存在』が本当の『人間』であって、その本当の『人間』は物質ではないから、肉眼でみれば相(すがた)は無い。それでは、その本当の人間は全然相(すがた)がないのかというと、霊妙きわまりなき理念としての相(すがた)がある。」

 相(すがた)がないと同時に、縦横厚みの三次元を超えた世界に相(すがた)があるということが分からないと、生長の家の「肉体はない」「実相のみ在る」という教えが分からないのであります。

 谷口雅春先生は「理念」について、次ぎの様に説明しておられます。
「『理念』というものは、永遠に消えない常住の『実の形』であって、現象の方はただその『理念』の影に過ぎない。時としては、歪んだ影に過ぎない。」
だから現象の形はみな崩れるけれども、実相は永遠に砕けない消えない、久遠の実在なのであります。 

 神示の中には「肉体は仮相の念波的存在であって、須ゆにして消え滅びるのが肉体である。そのような頼りないものを本当の人間と思うな」と示されています。

 そして本当の人間、即ち実相人間は永遠に不壊なる実相身であり、それは肉体人間より、まだまだ確かな至微至妙な形をもつが、それは五官六感に触れる形ではないので、五官六感に触れる現象界の言葉では説明のしようがないのであります。

 「実相金剛身の神示」の中につぎのように示されています。
「実相世界と言うのは神が創造せる唯一の実在世界であって、此の世界に住む人間が実相人間であり、至微至妙完全円満金剛不壊の実相身を備えているのである。」

 また「至上者の自覚の神示」には次のように示されています。
「人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』が此の世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。」

 私たちの使命の大なる事を感じ、御教え宣布のために、一層努力精進をいたしましょう。

                           (終わり・209・5)



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