神は何処にあるか

仙 頭    泰

 

 神は何処にあるか、このことは若い人にとっては興味のある質問であります。多くの若い人は、神などこの科学の進んだ時代にあるものかと思う人が多いのであります。そこで、今回は谷口雅春先生が「理想世界」誌・昭和34年8月号に、表題で書いておられます。それを抜粋して学習いたします。

 およそ宗教的啓示と云うものは、宇宙本源たる「唯一の心」なる神から、波調が最も適切に同調する教祖的人格に対して与えられたる霊的教示であると谷口雅春先生は述べておられます。この宗教的啓示の表現については、その時代の民衆に適した表現がされることによって、その時代の民衆の心にアッピールするように変わるのであります。

 唯物的人間観を持つと、この肉体を中心として考えて、肉体の限りを尽くして快楽をむさぼることに熱中するようになるのであります。神が常に我々を見ておられて、その結果人間に罰を与えられたり、褒めてくださったりするものであると云った考え方は、科学的知識を多く持った現代の人々からは失われているのであります。

 心理学では人間の心について研究をつづけ、現在意識、潜在意識の問題を解明し、神罰というものは、天上の神から来るものではなく、潜在意識の「自己処罰」であることが分かったのであります。深層心理学では潜在意識の底に、人類の潜在意識(人類意識)と云うものがあると云います。その人類意識の底に、更に宇宙意識があり、我らの潜在意識は宇宙全体の潜在意識と繋がっているのであります。

 無意識の世界に於いては、この宇宙のどこに何時、何が起こるかを、暗黙のうちに知っており、自己処罰の潜在意識のある人は不幸な出来事に暗黙のうちに自分の身を近づけて行くのであります。私達は「心の法則」、即ち「類は類をもって集まり、類でないものは反発する」と云う法則を毎日使って生活しているのであります。

 人類意識のその奧に、更に超在意識があり、その超在意識が即ち「神」であります。神は現象界を超越しながら、各個人に内在し給う「超越的内在」の存在であり、その超越的内在の神こそ、自己の真実の魂(実相の我)であり、そのささやきに従って行けばおのずから幸福になるものだと分かってきたのであります。

 イエスが「天にまします我らの父」と、神を称されましたが、この『天』とは「雲の上」の意味ではなくて、「超越している」と云う意味であります。また「我(肉体我)自らにては何事も為し得ず、天にまします父我に宿りて御業をなさしめ給うのである」とは、「超越的実在の神が我が内部に宿って、内在の神となっていて、この内在の神を自覚するとき、その超越的な力が動き出して奇跡的とも見える偉大な働きが出てくる」と云う意味に新しく解釈すべきであります。

 この様な解釈によってのみ、現代の科学的精神に合致した宗教的信仰を打ちたて得るのであります。生長の家では、超越的内在の存在として自己の内に「神」を認め、その内在の神が超越普遍の実体として無限力を備えていて、必要に応じてわれわれ個人を出口として、われわれの願いとその無限力を発揮させて下さると説くのであります。

 ここで大切な事は、以上のことを、学説として分かっただけではまだ足りないのであります。私達自身が「超越無限力の神が自己に内在していて、その神が自分の本体であり実相である」と自覚しなければならないのです。その自覚が、生命の体験として完成してこそ、「天の父われにいまして、御業をなさしめ給う」とイエス云ったような偉大なる業をたてることが出来るのであります。

 ときどき、一見信仰深き人は「神にすべてをおまかせ致します」と云います。しかし、その神は自己に「内在する神」だと云うことを知らねばなりません。もしそうでなくて遠く天上にある神にお任せして、自分は何の努力も工夫もしないでもよいのだと云うような考えで、「すべてを神におまかせします」と云うのでは、神を自分と離れた「外にあるもの」(外在神)と認める信心で、これでは迷信だと云う他はありません。

 「わが魂の底の底にこそ、宇宙にみち満ちている超越普遍の神が宿ってい給うのだ。その魂の底の底なる神こそ、本当の自分であり、その神を今自分は喚び出して働かせるのだ。否、現にその神が働き給うているのだ」という自覚を喚起するのでなければ、実際に神の無限の力を自己の出口を通して発揮させることは出来ないのであります。

 「わが魂の底の底なる神よ、無限の力湧き出よ」と私達は一日数回、ちょとした時間でも利用して、この内在超越の神を意識面に喚び出して活動せしむべきでであります。私達のこの世界には、電磁波がみちみちています。然しその電磁波を形にあらわすラジオセットやテレビセットのようなものが無ければ、電磁波はその働きを現すことは出来ないのであります。空中にあります電波と、ラジオセットやテレビセットの電波とがその波長を合わせた時、電波は音となり、姿となって現れるのであります。

 「神にまかせる」とは、さきにも述べましたように、自分は何もしないで、外なる神にまかせると云う意味ではありません。自分と云うラジオセットに宿っている内在の電波を、自己の「心」という真空管に発動させて、その発動の波を宇宙にひろがっている「神の力」に同調させることなのであります。この時に、宇宙無限の力が私達に於いて発揮されるのであります。

 イエスは「汝は真理を知らざるべからず。真理は汝を自由ならしめん」と説きました。真理は宇宙にみち、かつあなたに満つる神です。しかし単に「真理」があなたを自由ならしめるのではなく、あなたが「真理を知る」とき、生命体験として真理を具体的に把握する時、あなたに無限力が自由に解放されるのであります。如実に「今、ここに神あり」と自己の内に「内在する神」をハッキリ自覚することが、あなたが真に解放されるために要請される第一条件であるのであります。

 ここに自己の内に「内在する神」と云う言葉を使いましたが、その「内在」とは「肉体という容器」の中に閉じこめらていると云う意味ではありません。あなたの意識の底の底にある「本当の自分」こそ「内在の神」なのであります。あなたの本当の自分というものは、肉体のどこにもないのです。本当の自分というものは、「肉体の奧」といおうか、「背後」といおうか兎も角、肉体そのものの中にはなく、その奧にあるのであります。

 その「奧」といい、「背後」といっても、物質としての肉体の箱みたいなものの「奧」や「背後」ではなく、本当の自分は肉体を超越したところの「奧」におって、肉体を使用して「自己」を表現しているものだと云うことが分かるのであります。だから「肉体」は人間ではなくて、人間の自己表現の道具に過ぎないものであります。

 この「肉体を超越したところの奧」と云うことが、「超越的内在」と云う意味であり、この「超越的内在」の自己が、自覚によって宇宙に超越普遍する神と同調することによって宇宙無限の力を引き出して来ることができるのであります。

 「我みずからにては何事をもなし得ず、天の父我にいまして御業をなさしめ給うなり」とのイエスの言葉は、「肉体の我」の力ではたいした事は何一つも出来ない。脳髄の知識では、草の葉一枚も製造出来ない事を知れ。脳髄と云う複雑な生理機構を造った神の智恵が自分に宿っているのであって、その無限の智恵の導きに従ったならば、どんな大事業でも自由自在に出来ると云う意味であります。

 常に神想観を怠らず、内在無限の力なる「天の父」(超越的内在神)を喚び出すことによって、現代の人類最高の危機に際して出来るだけ多くの人類を救うために身を挺して活動しようではありませんか。以上のような谷口雅春先生のお言葉でありました。

                         (終わり・228・12)

 

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