神との霊的交わり
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私達は神との霊的交わりをすることによって、凡てのことが益々順調に伸展していくのであります。私達の魂の波長を意識的に神と合わすことが祈りなのであります。私達の魂の波長が、神の波長と同化することによって、自分の心境が変化せしめられ、その結果として心の法則によって、現象的にも自然に変化が起こってくるのであります。私達は神に祈ることによって、自分の心を神に振りむけるのであります。 「神よ、みこころの如くならしめ給え」と、神の方へ心を専一に振りむけることが大切なことなのであります。生長の家で教えられます「神想観」は、神と本来一体である人間の実相を自覚するためには、大変大切なものであります。「神想観」は、実相に於いて全てのものが既に与えられていることを確認し、肯定するための強き観法であります。 谷口雅春先生は、私達が神の子として、自己の内に与えられている力を自覚することを、第一の目標とすることを教えておられます。つまり宝物を外に求めるのではなく、自分の内にあるすばらしい「宝」を発見することを先にすることであります。 人生の目的は、「神の子」なる人間の実相を現象世界に実現するのが人生の目的であると、このように「霊魂進化の神示」に示されているのであります。私達は「招神歌」にありますように「吾が生くるは吾が力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命。吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能」、このような言葉を常に思い出して、神と一体である自覚を深めましょう。 谷口雅春先生は「現象は遷り変わるが、実相は金剛不壊の存在である。実相は神によって造られ、神によってその存在が保たれているのであるから、それが決して肉眼に見えなくとも滅するものではないのである。遷り変わる現象の不完全さに心を奪われて、その奧にある真実在(実相)の完全さを見失ってはならない」。 そのためには、真実在の完全さを見つめるために神想観をすることが大切であると、教えておられます。私達は常に、既にこの世界は完全であり、この人間は完全であることを確認し、神をほめ讃え、神に感謝する祈りをするのであります。 生長の家では、現在の不完全な状態を認めて、神に懇請することによって、神が不完全なる状態を修正してくださると考えることは、神に対する侮辱であり、その考えは間違いであることを説いているのであります。 旧約聖書の創世記第一章三十一節には「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった」と書いてあります。神の創造に、出来そこないの不完全はないと云うことです。現象の不完全な状態は、私達人間の「心のラジオ・セット」が、神からの完全円満なる霊波を、そのまま完全に受信することが出来ないで、色々なものを混信しているからであります。これは私達の心の調律をすれば、忽ちにして、現象の不完全さは消えるのであります。 谷口雅春先生は、私達が人生で色々な問題にぶつかって、人生が思うようにならない時には、自己の想念を変化し、自己の人生観を変化し、自己の生活感情全体を変化することを教えておられます。つぎのように述べておられます。 「先づ自己が神の子であることを信じ、神の全能の力がわが内に宿っていることを信じ、神の創造り給える環境が常に自分に対して微笑(ほほえ)みかけていて下さることを信じて楽観的な気持ちをもって、自己内在の力を出来るだけ出すようにするならば、事業に於いては新しき機会が、健康に於いては新しき活力が、おのずから目覚め来たって、輝かしい成功と健康とを実現することが出来るのである」。 聖経「続々甘露の法雨」に、つぎの様に示されています。 「汝らよ恐れずに人生の行路進むべし。恐怖なき者には不幸は決して近づかず、全ての不幸と悲惨とは神の所造に非ざるなり。 恐怖なく人生の行路を歩む者には不幸もうな垂れて避けて通り、病気も帰順の意を表してその『本来の無』に還帰して消滅せん」。 以上の様に「恐怖心」の影響について示され、さらに「心の平和」が「神の癒しの波動」と同波長であり、心の平和あるところに、神の癒しの波動が宿り来たって健康の姿となって顕れると、示してあります。いかにして心の平和を得るか、それについては、つぎの様に示されております。 「心を鎮めて平和ならしむるの秘訣は唯『有難う』と一切のものに感謝するにあり。 一切の人に、事に、物に、症状に感謝するとき、其処に本来の平和は汝の心を訪れん」 そして更に、次ぎの様に示されています。 「汝ら常に愛し、感謝し、悦びて公けの仕事にいそしめば、すべての病いは汝を冒すこと能わず、既に病いある者も速やかに癒ゆること必定なり」。 さらに、またつぎの様に示されています。 「病人は殊更に病気を心より放つべし。 しかして、唯愛せよ、唯感謝せよ。國を愛せよ、人を愛せよ、家族を愛せよ すべての物と事と人とに感謝せよ。さらに特に汝の父母に感謝せよ。 常に悦びて何か必ず人のためになる事を為せ。 愛と感謝の感情は、病いの癒ゆる生命波動を感受する最善の波動なり」。 ここで私達が思い出します言葉は聖経「甘露の法雨」のはじめにあります「大調和の神示」であります。この中で、中心となるものは「天地一切のものと和解せよ」「天地の万物に感謝せよ」と云うところであります。そして「その感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう」と示されているのであります。 この神示の最後のところには、次のように結んであります。 「われを招ばんとすれば天地すべてのものと和解してわれを招べ。 われは愛であるから、汝がすべてのものと和解したとき其処にわれは顕れる」。 私達は、実相を直視し、天地万物に感謝を捧げ、天地一切のものと和解した生活をすることが、如何に大切なものであるか、と云うことがこれで理解できるのであります。これが、神とともに生き、神の栄光を現すところのすばらしい生活となるのであります。 (終わり・215-11) |