自己の本質を知ること

仙 頭    泰

 

 「生長の家」と云う名前は、神授のものであり、生長の家の運動は「神の人類光明化運動」と呼ばれるものであります。この神の人類光明化運動で、先ず第一になすべきことは、「神の子としての人間なるものの本当の相(スガタ)を凡ての人々のうちに開顕し確立する」ことであると定義しています。

 その昔、ソクラテスは「汝自らを知れ」と云ったのであります。これは、「新たに生まれる」ことにもなるのであります。今までは人間は、肉体の塊であると思い、生があり、死があると思っていたのであります。それが「人間とは生まれてきて、そして滅んで無くなるような物質の塊ではない。神の最高の自己実現であり、霊的実在である」と自覚することが、大切な事なのであります。

 人間は肉体を現している間は、肉体という革袋に縛れているのであります。飯を食べなければ腹は減るし、眠らなかったら辛い等々、いろいろと肉体的な縛りがあるわけです。

 死によってこの肉体を棄てた人の中には、肉体から抜けだし肉体の制約から解放されていながらも、肉体から脱出したことを知らぬ人もいます。そのために霊界に行っても「肉体あり、悩みあり、病気あり」として、苦悩の状態を現しているのであります。この様な人を亡者というのであります。これは肉体を実際に持たない人のことです。

 ところが、今肉体を持って生活している人でも、自己を肉体であると思い、しかも亡びないと思っていると、それは魂の方では亡びているのです。その理由は人間みづからの本性を抹殺して、自由自在なる神の子の自覚を否定しているからであります。本当の人間の、自由自在の霊なる存在を悟らないから「霊なる存在」が亡びたる状態となり、「亡者」と同じことになるのであります。この様に「肉体が自分だ」と思うことは、みな亡者の仲間になることであります。

 私達が本当の人間について自覚する時は、私達が肉体を今ここに現しながらも、すでに「亡びない者」になるのであります。これが「新たに生まれる」ということです。イエスの弟子のパウロが「もはやわれ生くるにあらず、キリスト我にありて生くるなり」と云っています。この場合のキリストとは、真理であり、普遍的な存在であります。私達が「肉体われ」の自覚から「キリストわれ」の自覚に、観の転換をした時はパウロと同じ自覚を得たことになります。

 谷口雅春先生は、戦争のような闘争が起こるのも、人類の一人一人が「われキリスト」との自覚を忘れているからだと、述べておられます。自分が「愛」そのものであるところのキリストだと云うことを忘れている。そこに色々の争いが起こり、色々と面白からざることが起こってくるのであります。私達が、自分に宿るところの神性、仏性を忘れているところに、一切の混乱の源があるのであります。

 私達が本当の自分を「霊的実在である」と自覚する時、人それぞれに「神の子」である実相が現象界に現れてくるのであります。ここに人それぞれと、云いましたのは自覚の程度が、人によって異なるからであります。実相は完全円満でありますから、その完全円満な相(スガタ)が現れてくるのです。しかし、いくら完全円満な神性・佛性が私達の内部にありましても、それに気がつかないと出て来ないのです。

 この現象の世界− 感覚にて感じられる世界は、認めることによってそれは「アル」と、はっきり出て来るのであります。認めなければ有れども、無きが如しであります。つまり体験として存在の世界に出て来ないのであります。

 例えば、いくらご馳走がここにあっても、それを見なかったらご馳走が、あるやらないやら分からないのであります。太陽がいくら輝いていても、自分が眼を閉じていてはその輝きを見ることが出来ず、暗いのであって、光は体験としては「無」に過ぎないのであります。ですから、生長の家では心の眼を開いて、この世界の実相を観(み)よと教えているのであります。

 世界の実の相(スガタ)を如実に観(ミ)、そして人間の実の相(スガタ)を如実にみることが必要なのであります。心の眼を開いて、今までの間違った観念を打破することが、光明生活をするためには必要なのであります。生長の家では常に「三六〇度の観の転換をせよ」と教えるのであります。

 私達は実相世界の完全円満なる相(スガタ)のみを、観ずることが大切なのであります。実相の完全な相(スガタ)において、相手を観ることが是非とも必要なのであります。また、自分自身の実相を常に礼拝し、神の子のすばらしさを毎日の生活の中で表現する時、環境も運命も光明化するものです。私達の忘れてならぬことは神示の中に示されている次の言葉であります。
   「神の愛は貰いきりではならぬ。
    頂いたお蔭を『私』しないで、
    神の人類光明化運動に協力せよ。」
このお言葉を私達は肝に銘じて、御教えをそれぞれの場に於いて実践していきましょう。

      
                     (終わり・216・2)

 

み教えの基本講演と論文
どんな教えか
総合目次