信仰の本質は「知る」にある

仙頭 泰
 「光明法語」の中で、谷口雅春先生はつぎのように述べておられます。

 「神に対する信仰を深めるためには、神は法則であるということを先ず知ることにある。種子を植えるにしても、それが必ず生えると云う信仰がないと種子を途中で掘り返して結局芽が出ないであろう。

 それと同じく、神を信ずると云うことは法則が先ず此の世界を支配していると云うことを『知り』、法則にまかせると云うことである。即ち『知り』て『まかせる』のが信仰であって、信ずるとは『知らないから、出たら信ずる』と云うようなアヤフヤなものではないのである。信ずるとは『真に知る』ことである。」

 谷口雅春先生は「神は法則である」ことを知れと、教えておられるのであります。聖経「甘露の法雨」の中にも、「神は宇宙を貫く法則」であると書いてあります。法則には秩序性があります。生命は一定の秩序あるところにのみ出現し、秩序が破るれば生命は姿を消すのであります。

 動物は本能によって其の秩序性を守って生活し、人間は自主的統制によって其の秩序性を守って健康に生活します。人間の自由とは無秩序のことではなく、自由意志と自由選択とによる完全なる自己統制であると教えておられます。

 私達は神とは宇宙に遍満する創造の原理であり、法則であり、同時に内在する人格神であると理解します。そして神は無相にして無限相でもあるわけです。

 法則は私達人間が発見する前から、法則として厳然とあったのであります。人間の科学に対する知識が発達することによって、色々の法則を発見しそれを利用することができるようになっただけであります。

 谷口雅春先生は、人間は科学の法則の発見とその利用には力をいれてきましたが、これからは、心の法則、霊の法則、愛の法則などをもっと人間が活用して、「御心の天になる世界」をこの地上に展開して、人間が互いにその神性仏性を拝み合い、生かし合い、扶け合っていく社会を建設しなくてはならないことを、繰り返し説いておられるのであります。

  現象界は、観ずる通りにあらわれる世界でありますから、全人類の「観の転換」ということが、大変重要な課題になってくるのであります。私達講師会員はこの点をよく理解して、一人でも多くの人々に、生長の家の御教えを伝えていかなくてはならないのです。

 生長の家の運動の大目標については、すでに「生長の家七つの光明宣言」のなかで述べられています。その第七項には「吾らは正しき人生観と正しき生活法と正しき教育法とにより、病苦その他一切の人生苦を克服し、相愛協力の天国を地上に建設せんが為に実際運動を起こす」と明記されているのであります。

 私達は「人間・神の子」の自覚に徹しきって、生活をしなくてはなりません。谷口雅春先生は「神様が私を生んだから、私は神の子だ」と云う漠然とした宗教感情だけにとどまらず、哲学的にそれを解明しなくてはならぬことを教えておられるのです。

 自分というものを単なる個人として、把握するだけでなく、「自分は全宇宙を包容するところの実体であって、自分は全てである」という大自覚に徹しきることを、教えられているのであります。この大自覚に徹しきることが、「自分自身に、本当に親切であれ」ということになるのであります。

 私達講師会員は、生長の家の御教えを正しく伝道する大切な使命をもっているのであります。神の人類光明化運動の消長も、すべてみな自分以外の他の誰の責任でもなく、自分自身がどれだけ、神の人類光明化運動の伸展を考え、そして神に祈り自分の我を無くして愛行し、また行動しているかにあることを、お互いに自覚いたしましょう。この自覚は生長の家の幹部にとって大変大切な自覚であります。


 講師会員はお互いに、今まで以上に「常不軽菩薩行」に徹して、活動をしましょう。「実相を観ずる歌」の中にあります「吾祈れば天地応え、吾動けば宇宙動く」、この言葉をお互いにに心の中に銘記して伝道に従事して行きましょう。
                          
                             (終わり)

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