永遠に神と直結する自覚と実践を

仙頭 泰

 谷口雅春先生が昭和二十七年の「生長の家」誌の三月号の「明窓浄机」のなかに述べておられることを、抜粋して学習いたします。まず、はじめのところにつぎのように書いてあります。

 「生長の家は人間が神に直結する運動であります。そして本誌はその直結の媒介になる機関であると共に、私が神のお取り次ぎをして、神自らの人類光明化に真理をお示しになるための機関であります。」 私達はこのことを忘れてはならないのであります。さらに次のように述べておられます。

 「吾々が神に直結すると云うことは、最初から、人間は神の子であって、神と直結しているのでありますから、結局『神に直結している』という『自覚を得る』ことにほかならないのであります。その自覚を得るためには、一部づつ、その発行のたびごとに金銭と引換えに雑誌を買うというようなやり方では、ただの商取引であって、『神との直結』という信念にピッタリしないのであります。」

 谷口雅春先生は、なんとかして読者と神様とを直結させてあげたい、直結した感じにならせてあげたいという強烈な思いでいらしゃるのであります。そして神様がどんなに私達を愛して、「神と直結している」という感じを持たしがっておられるか、そのことを私達に教えて下さっているのであります。その次ぎに移ります。つぎのように書いてあります。

 「『祈り成就する』条件の一つは、神との直結の自覚と共に、単なる自覚だけでなく、神の人類光明化運動に、自分も神と一緒に協力しているという自覚です。この自覚がなければ、神と直結しているという自覚も、机上の空論のような力弱いものになる恐れがあります。

 神と一緒に協力していると云う自覚を得るためには、キリストは次のように言っています。1)行きて福音を万民に伝えよ。2)与えよ、さらば与えられん。3)いと小さきものに汝等の為したる善き行いは、我(キリスト)に為したるなり。4)主よ、主よと云うもの必ずしも天国に入るにあらず、神の御心を行ずる者のみ天国に入るのである。

 このように、多くの実践が強調せられているのです。生長の家の真理にて、一寸でも救われた感じのする人、人生が明るくなったとか、病気が快方に赴いた人とかは、是非、その福音をあなた知人にお伝えください。誌友を御勧誘ください。

 善き言葉の力の雑誌が地球上に多くなるほど、それだけ、言葉の力にて人類が光明化し、地上に平和がもたらされるのであります。」

 私達が一人でも多くの読者をふやすことの意義はこのように大きいのであります。谷口雅春先生はさらに次のように説いておられるのであります。

 「釈迦は人類を声聞、縁覚、菩薩、佛の四つに区分しました。声聞と云うのは佛の説教(声)を聞いて自分だけが救われたら、それでよいと満足している人たちのことであります。縁覚と云うのは自分が救われただけでなく、因縁の理を覚って『なるほど、こんな心持ちをもったら、こういうように現れるものだ』と悟って、独り心を澄まして浄まろうとする人であります。だから独覚(ドクガク)とも訳されています。

 菩薩と云うのは自分が救われるだけでなく、自分が因縁の理を覚ると云うだけでなく、自分はまだ救われないでも、まずさきに他に真理を施して、他の人を救わずには置かないと、真理をひろめ、布施行をする人達であります。

 大抵、他の御利益宗教に集まっている信徒たちは『救われたい』声聞の信徒が多いのであります。生長の家は最後の完成の燈台(燈台とは照らす宗教の意)でありますから、ここに集まる人達は菩薩衆が多いのであります。皆さんは菩薩なのであります。ただ自分が救われたいために集まったようなケチな人達ではない筈です。

 どうぞこの真理をお悟りになり、神があなたに与えられた使命を御自覚下さい。そして一人は少なくとも十人の知人を誌友に御勧誘下さい。これが神と協同運動を実践していると云う自覚を深める実践行となるのであります。

 こう云う実践行によって、今まで書物を読んで神の子を知るだけでは、どうにも好転しなかった運命や健康が、急に好転してきた人は沢山あります。生長の家は不言実行ではなく、有言実行、皆倶成仏(かいぐじょうぶつ)の教えであります。ひとり先に功徳を得ようとするような利己主義ではありませぬ。」

 私達は、これらの谷口雅春先生のお言葉をしっかりと各自の胸のなかにたたみこみまして、自ら実践することは勿論のこと、メンバーの一人一人が、ここで教えていただいた自覚を持った人になるように導くことをしなくてはならないのであります。あらたなる覚悟で神の人類光明化運動を展開して行きましょう。

                            (終わり・205−1)

 

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