悦びを得る原則

仙 頭    泰


 谷口雅春先生は「静思集」の中で次のように述べておられます。
「悦びを得る原則は、神を自己と最も近しきものとして感ずることであります。神を『親さま』と感じ、今現にその慈手の上に抱かれているのであります。」

 つまり、自分は神の子であり、神が自分を通して神の生命を顕現したものであることを常に自覚することが必要であります。私達はつねに、「招神歌」の言葉を繰り返したり、「実相を観ずる歌」の言葉を繰り返したりすることは、神を親様として感ずるには大変よいことであります。

 「実相を観ずる歌」は、実に素晴らしい歌でありまして、題名の通りに、その中に書かれてあることは、悉く実相を観ずる為のすばらしい言葉で満ち溢れているのであります。神はすべてであり、全ては神に於いて一体であり、天地の万物はみな神の力により生かされ、神に中心帰一したところの素晴らしい世界は言葉で表現出来ないところの、それはそれは妙なる調和に満ちていることが述べられています。

 そして天地のすべてのものは、神を中心として生かし合い、愛し合い、神の智恵により繋がっていて、「吾れ祈れば天地応え、吾れ動けば宇宙動く」と云う壮大なる宇宙の構図があることを、私達に教えてあります。谷口雅春先生のお言葉につぎのような「自己を偉大にする言葉」があります。

 「吾れは吾が心のうちに広大無辺なる宇宙を蔵する。星をみつめてたたずむ吾れは見詰らるる星よりもなお広大なのである。吾れは吾れのうちに星を理解する類いなき能力(チカラ)のあることを見出すのである。吾れは空の星以上のものである。

 何故なら吾れは彼等を理解すると同時に、自分をも理解するかあらである。吾れは天に在す神々の如くに造られたのである。吾れは星の軌道を闊歩する偉大なるものなのだ。吾れは主の如く永遠の道を歩むものなのだ。

 吾れ心を有するが故に、吾れは世界の王者である。いま吾れは吾が仕事の上に王者としての第一歩を踏むのである。吾れは星よりも大なるが故に此の宇宙を造れる力と同じものなのである。然り、吾れは宇宙を造れる力と一体なのである。

 いま吾れはあるゆる種類の恐怖と弱小と卑ろうとを超越して生活する。吾れは空の星に比肩せらるべきものである。吾れは、大地をつくり、天空を支えたもう神が、吾れを安固に保護したもうことを信ずるのである。それ故に吾れは心安らかである。地の造り主、天の造り主と吾れは真に一体である。御親神様に感謝いたします。」

 ここまで読みきたりました時、私達は人としてこの世に生まれ、人間とは霊的実在であり、神の最高の自己実現であることを自覚すること、いよいよ深くなり魂は歓喜に満たされるのであります。「霊魂進化の神示」の中に、「神の子」なる人間の実相を現象界に実現するのが人生の目的である、と示されています。ここに述べられています現象界とは、現界・幽界・霊界を含んでいます。私達は実相人間の素晴らしさを、この現象界への投影を完成する為に、毎日の生活をしているのであります。

 現象界に実相人間を顕現するにあたり、大切な事は「念波」を浄めることであります。現象界には「類は類をもって集まる」と云う法則が働いています。ですから私達の環境、境遇と云うものは、すべて自分の念波の集積の種類に従って現れていることになります。環境、境遇の浄化の為には、自己の念の浄化と云うことが大切な事であります。

 念の浄化には、第一には実相を悟ること、第二には物質慾に捉われないことであります。つまり私達が忘れてならないことは、自分に「神の生命宿る」と感ずることであり、このことに感謝することです。「我」の自分を「神なり」と主張して本当の自分を学ぶことを忘れてはならないのであります。私達、この点をよく反省して自己研鑽を怠らぬことです。そして神の人類光明化運動の第一線で活動を続けましょう。

 谷口雅春先生は、更につぎの様に私達に教えておられます。
「傲慢に『われ神なり』と簡単に自覚するのが生長の家ではありません。『我』を否定し、否定し尽くしたる最後のギリギリに、最早『われ生くるに非ず、大神の生命吾れにあって生くるなり』との自覚に到達するのであります。イエスの言ったところの『われみづからにては何事も成し得ず』との自覚が 『吾れはすべての事を成し得』との自覚の根底になるのであります。謙遜と自遜との一致。謙遜のない自遜はただの傲慢にすぎません。」

 吾々は先ず「神の子」であることを自覚し、「物質」のような不完全不自由なものが決して自分ではないことを自覚し、更に一切のものが―― 如何にそれが普通の人には陣痛のような苦しみに見えようとも――無痛であることを自覚するとき、吾等はどんな艱難をも苦しみでなく受け容れることが出来るのであります。今の時代は、人類史あって以来の一大変革期に邁進しているのであります。いわば新しき「自覚」を生み出すべき陣痛期であります。色々生活に、経済的その他の重圧は加わりましょう。

 この際この時、それを無痛に抑える方法は、「人間」と云うものの自覚の一大転換を要するのであります。人間を「物」より「霊」へと置き換えることが必要なのであります。これこそ未曾有の「史代」を無痛で生み出すべき唯一の方法なのであります。

 吾等は自己自身に対して一層多くを期待したならば一層多くの力が自身から生み出されて来るのでありますが、常に謙虚な心を失ってはならないのであります。もしその力を神から来たものであるとして感謝せず、自分の力であると誇負するような心がありましたら、その力の本源から絶縁され常なる力が出て来なくなるでありましょう。力の源泉は「感謝する心」にあるのだと云うことを知らねばなりません。

                             (終わり・224・8)




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