認める方向に子供は伸びる

仙頭 泰


子供の才能を引き出す教育を熱心に実行している人に、光永貞夫先生という方がおられます。谷口雅春先生より「生命の教育」について教えられ、それを実際に実行している教育者であります。この光永貞夫先生の指導の体験談を引用しながら「生命の教育」の勉強をしたいと思います。

健ちゃんは中学校の3年生になりますが、大変勉強きらいな子供でした。健ちゃんの母親は、このことが一番悩みの種でした。ある日のこと、生長の家の誌友会で「子供は叱るよりも、褒める方がよい」という話を聞いて家に帰りました。

母親は家に帰ってから、早速「健ちゃん!この頃、大変良い子になりましたねぇー」と褒めたのであります。すると健ちゃんは「ちぇ!僕を勉強させようと思って、調子のいいことを言っている」というのです。完全に母親の心の中を見透かしています。

学校に行きますと、担任の先生が健ちゃんと出会った時、「やぁー、この頃は家でもしっかりと勉強しているらしいじゃないか!」といって褒めてくださいます。実はこれは、母親が学校の先生に健ちゃんを褒めてくれと、頼んでおいたのです。健ちゃんには、この事がピンとすぐわかったらしいのです。家に帰ってから、大変不機嫌な口調で母親に言いました。
「この頃、学校の先生までが僕をおだてて、勉強をさせようとしている」

健ちゃんの母親は「子供を褒めても、子供の方で自分をおだてているといって、素直によろこんでくれない。中学生になると、褒めても駄目だ」と、思いました。健ちゃんの母親は、健ちゃんを何とかして勉強させようという心がありました。そして、その方便として「褒め言葉」を、口先だけで言っていたのに過ぎなかったのです。腹の中では「うちの健ちゃんは、勉強をしないので困ったものだ」と、しっかりと信じているのです。

子供というものは、直感がすばらしく、母親が「あなたは良い子だね」と言いますと、ちゃんと先回りして「また、お使いにいってこいと言うのでしょう」と、母親の心の中を見抜いた言葉をいいます。

ですから、「褒める」ことを、子供に何かをさせるための手段として、使用してはいけないのであります。親の中には、褒め方を間違える人がいますので、注意が必要です。以上の場合は、「子供は勉強しないものだ」としっかり心の中で握っていながら、「何とかして勉強させたい」――そのためには褒めるのがよいと、こういうものですから、子供は勉強しないのです。

生長の家では「認めたものがあらわれる」と教えています。そこで子供の完全円満なる神の子のすばらしさを、認めることから出発しなくてはなりません。その神の子のすばらしさを、認めて褒めればよいのです。子供を褒める場合には、どんな小さなことでもよいのです。裏付けのある事実ならば、どんどん認めて褒めてやればよいのです。とかく親というものは、大きなところだけを褒めようとするから、滅多に褒められなくなるのです。

学校のテストの成績でも、満点でないと褒めないお母さんが居られます。そのかわり、お食事の時"箸"の持ち方が悪いとか、やれものの言い様が悪いとか− 悪いことを叱るのは、どうでもいいようなつまらないことまでも、ほじくり出して叱るのであります。その逆のことをすることが大切です。生長の家では善認発表(ぜんにんはっぴょう)というものをします。人のよいところを少しでも発見して、みんなの前で褒めてあげることです。どんな小さな事でも、善いことをしたら、みんなでその善いことを認めて褒めてあげるのです。これは家庭の中でしても効果があります。

日記に毎日、家族の人達や会社の仲間達の善いところばかりを書く方法もあります。これは大変簡単でありまして、家族の名前を書きまして、そのすばらしさを褒め称えて書きます。そしてその日あった善いことばかりを記入するのであります。この日記は自分自身をも褒めて書いて置くことが大切なのであります。ともかく子供というものは、親や周囲の人から認められた方向にむかって、どんどん伸びて行くものであります。

子供を「褒める」ことは、子供自身に自分の美点を認めさせることになるのです。子供は自分の善い点を自覚することによって、積極的な、建設的な人間へと変わってゆくのであります。子供の勉強も親が「勉強しろ!」と叱りますと、子供は「勉強しようと思っていたのに、勉強がしたくなくなった」と、よく云うものであります。"子供はたのしい時ほどよく勉強をする"− これは本当のことであります。家庭の中を明るくたのしい雰囲気にしておくことは、大変大切なことであります。

「生命の実相」の御本の中から抜粋してみます。
人間自身が"興味"それ自身になった時、あらゆる学科が興味の溶鉱炉に、溶かし込まれてしまうのであります。人間自身が"興味"それ自身になるとは、その人間の内部生命に火がつくということであります。生長の家式にいえば、『実相』に火がつくことであります。埋没されていた『神の子』なる実相に火が点ぜられ、それが表に輝きでるということであります。あらゆる学科を興味の光で、燦然と照らし出すことが出来るのであります。

やさしい学科で、自信を得て「自分は出来る」という信念を得れば、むつかしい学科にも"興味"が出るのです。興味は自己の「出来る自覚」にあって、学科そのものには存在しないのであります。次のような体験談があります。

中田美穂さんには、五歳になる男の子がいます。この子供は、毎日指をくわえて部屋の中で寝そべって、外に出て友達と遊ぶことをしないのです。中田さんは、この子供を色々と褒めて、元気な明るい子供にしようと何時も考えていました。「生命の教育」は、褒めることだと思って「純ちゃんは体が、がっちりしているのねー」とか、「純ちゃんはやさしいから、お友達にすかれるのねー」と褒めます。すると一日、二日はよいのですが、矢張り効果がないと云うのです。

そこで「生命の実相」を読みなおしたのです。その時、御本には「褒めることは、認めることである。観ずることである。信ずることである。親が認めたこと、信じたことを言葉にあらわすことが、ほめることである」と、この様なことが書いてあるのに気がついたのです。今まで中田さんの褒め方には、親の計算が入っていたのに気が付きました。つまりこの様にしたら、こう褒めたら、子供は外に出て元気よく遊ぶだろうという計算でした。

中田さんはそれから無条件になって、子供の美点を探すことをされました。ところが、元気がない、暗い表情、泣き虫、不明瞭な返事、指をくわえてテレビに一日中しがみついているー といった状態でなかなか美点が見つからないのです。ところが、ある日のことでした。中田さんと一緒に純ちゃんはテレビを見ていました。すると、純ちゃんが「あの女の人は、別のチャンネルで、さっき出た人だよ。そして同じ着物をきているよ!」と、何気なく云いました。

五歳になる男の子が、着物の柄まで観察しているので、中田さんはビックリしました。そういえば、中田さんはテレビの主人公の服装など、今まで気を付けて見たことはなかったのです。中田さんは早速、心の底から「純ちゃんはよく着物の柄を覚えているのねー」と言った感嘆の声を出したのであります。中田さんはそれから気を付けて、純ちゃんの描いた絵や粘土で作った人形などを見てみますと、とてもこまかい観察でよく出来ているのに気が付いたのです。

中田さんは、この純ちゃんのすばらしい個性に、びっくりして感動しました。子供には、どんな子供でも必ずすぐれた個性を持っているものです。それを親が発見すればよいのです。それからは、純ちゃんは県下の絵の展覧会にも入選するし、人間も自然と明るくなって、「外で遊べ」と云わないのに、外に出て友達と仲良く遊ぶ、積極性のある子供にかわったのでした。

                             (おわり・23―6)

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