神との和解

仙頭 泰


 生長の家の教えの根本をなす神示は「大調和の神示」であります。この神示のなかに「天地一切のものと和解せよ」と、示されています。また「和解するとは感謝することである」と教えてあります。神は天地一切のものの創造者であります。そこで、私たちが「悪」が存在すると思うことは、神を「悪」の創造者だと認めることになるのであって、これでは神と和解をしていないことになるのであります。

 私たちの先ずすることは、「神と和解する」ことであります。それは神の創造した「本当にあるもの(実在)」は円満完全であり、「今、すでにその完全さがある」ことを信じて感謝することです。「今、既に完全がある」と云うのに、「まだ完全でない」現実にぶつかると、信仰がともすれば動揺するのであります。このような時に「実相の完全」を肯定しながら「現実の不完全」を矛盾なく感ずるにはどうすればよいか。

 谷口雅春先生は「現実は表現の世界であって、それが不完全に見えるのは、実在の完全さを徐々に一層ハッキリと顕れて来ようとしている過程であるから、不完全その者が実在するのではなく、完全の表現の中途に過ぎない」と、考えなければならないと教えておられます。ですから、今どんなに不完全な状態があらわれていようとも、既に「実相の完全さがある」という観念を否定することなしに、現象状態の改善に自信をもつと云うことが、大変によいことなのであります。

 私たちは、言葉が創造力をもっていることを忘れてはならないのであります。生長の家では、「想像力は創造力である」と教えています。谷口雅春先生は、言葉によって宇宙の潜在意識に対して呼びかければ、言葉の創造力によってあらゆる人生の問題を自分の欲する通りに支配し解決することが出来ると教えておられます。その理由は「個人の潜在意識」は宇宙の潜在意識の大海お中にあり、個人の心の一波一波は宇宙の潜在意識を媒介として、その波長に合うものを引き寄せるからであります。

 そこで自分の必要とするものであれば、その問題が自分の心に思い浮かんで来るたびに、「心配」する代わりに「神は既にわが必要を満たし給うたのである。ありがとうございます」と、感謝をすればよいのであります。そしてこの次ぎが大切です。谷口雅春先生は、現象処理といって今出来ることをキチンとすることが大切なことを、繰り返し教えられました。即ち自分の尽くし得る限り、手近にある問題について出来るだけ、愛念をもって他の人の利益のために働いてあげることがよいと教えておられます。「他の人の利益のために働く」ということは、「神の愛念」と波長を合わせるために絶対に必要のこととされています。

 谷口雅春先生は更に次の如く述べておられます。
「『神は既にわが必要を満たし給うた』と云うのは『実相の既成事実』なのである。『感謝』と、他の人々への利益のために仕えると云う愛行の実践は、既に神の与え給うている恵みに波長を合わせて、それを現象世界に映し出すために必要な手段なのである。『蒔いた種は生える。蒔かぬ種は生えぬ』が現象顕現の法則なのである。『人々の利益のために奉仕する愛行』を実践すれば、それが『蒔いた種』となり、やがて発芽して自分の実生活にも豊かなる富が実現することになるのである。

 併し自分の肉体が不自由であり、経済的にも不如意であり、肉体的にも、経済的にも、人の利益のために奉仕することができないときには、どうしたら良いのだろうか。そんな場合には心の世界で、他の人々が幸福になるように『祝福の念波』を送るようにすればよいのである。」

 そこで私たちは、常に自分の回りの人々に、そして全世界の人々に「神の豊かなる供給が今あなたに注がれています」と、人々の実相の豊かさを心に念じて祝福いたしましょう。「神の完全なる健康が今すでにあなたに実現しています」と、実相の完全さを心に念じて祝福いたしましょう。私たちはすべての、私たちに触れる機会のある人の幸福と健康と豊かさとを「既にある」として祈ってあげるのです。すると、既に実相においてその人にある幸福と健康と豊かさとが呼び出されてくるのであります。私たちは、多くの恩恵を色々な形で受けているのであります。神をはじめとして、先祖、親、兄弟、親類、友人、そして世の中の人々――考えれば数限りがありません。

 私たちはこのような多くの恩恵に、「借り越し」にならないように、愛行をしていきましょう。谷口雅春先生は、私たちに「世界平和の祈り」を捧げることを教えてくださいました。

 「私たちが他の人々の幸福や健康や豊かさのために祈ってあげることが、如何に重大なことであり、自分にも幸福をもたらすものであることがわかるのである。朝となく夕となく、時間のある毎に、人々のために愛念と祝福の祈りを送る――これはその人自身にとっては一種の霊的訓練であり、自分の霊魂を愛他的に浄化し、自分の霊魂を高めることになるのである。

 では、私たちが、世界平和のために、毎朝また毎夕、また暇ある少時間を利用して次の如く祈ると云うことは、如何に自己の魂を浄め高め、他を平和に幸福にするかと云うことは、もう論ずる必要もないのである。では常に次の如く毎朝夕祈りましょう。」

 「神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
 その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の
 心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う」

                             (終わり・248−8)

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