「帰幽の神示」余話  

仙頭 泰

「帰幽の神示」の中にある「念譜の形式が変わるに従って、汝の仮有の形式が変わるのである。すべての人の仮有は念の異なる従ってその顕現を異にする」を拝読すると、聖経「天使の言葉」のなかにある、次の言葉を思い出します。それは「迷妄は云う『人は肉体也』と。されど肉体は人には非ざるなり。『人』は神の子にして、生きとおしの生命なれば生滅つねなき肉体を以て代表せしめ得るものには非ず。すべて生滅常なきものは実体に非ずしてただ信念の反映に過ぎず。信念を変うればまたその相も変化せん。」という言葉であります。

そして、続いて思い出す言葉は、聖経「甘露の法雨」の「人間」の項にある言葉であります。「人間は生命なるが故に常に死を知らず。想念に従い、時に従い必要に従いて肉体と境遇とに様々の状態を顕せども、生命そのものは病むに非ず、生命そのものは死するに非ず、想念を変うることによってよく汝らの健康と境遇とを変うること自在なり。」とあります。「帰幽の神示」には「念の形式に大変動を生ずれば、汝の仮有は他界に顕現し、今までの念の顕現たる肉体は、速やかに自壊自消する。これを人々は死と呼ぶが死ではない」とあります。

私達がこの世に生まれて来るときには、父母となる人を選んで誕生をすると教えられています。そしてまた今世は何を勉強するかという予定をたてて、人生学校に魂を磨くために誕生するとも教えられています。霊界よりこの地上に誕生する霊は、或る程度この地上で学習するためにふさわしい霊的レベルを持った選ばれた霊達であるといわれています。産経新聞に子供の「胎内記憶」に関する記事がありました。それは、横浜の池川明産婦人科医の平成十四年から十五年にかけて、長野県諏訪市内と塩尻市内の保育園、幼稚園に通う子供の親計約三千六百人を対象にアンケート調査をした結果が報告されています。

「おなかの中にいた時のことを、子供は覚えていますか」と、胎内記憶の有無を尋ねたところ、「ある」が 33 %、「生まれた時の記憶の有無」についても 20,7 %が「ある」と答えています。記憶のあった年齢は、二歳・三歳が圧倒的に多く、四歳になると激減しているそうです。記憶の内容は「おなかの中は暗くてあったかった」「お母さんのおなかをけった。早く出たかったのになかなかでられなかった」とか、また胎内に入る前の記憶についても語った子供がいたそうです。「わたしは女優になりたかったからママをえらんだの。ママなら女優にしてくれると思ったの」、「知らないおじさんと空中に浮いていたら、家の中から笑い声が聞こえてきて、そのおじさんがこの家でいいかと聞いたので、僕はいいですってこたえた」など答えていると云うのです。

私がハワイにいる時に、尾道の木曽正人さんという生長の家の信徒の方が、自分がレイテ島ビリヤバに、大東亜戦争で現地で亡くなった兵隊さん達の慰霊の旅に参加して、慰霊祭をしたときの不思議な体験を書いた手紙を下さいました。この不思議な体験は地元の「三都新聞」の昭和五十三年十一月八日号に『レイテ島慰霊の旅』として記事が掲載されました。それは長い記事でありますので、その要点を紹介いたします。

この慰霊祭の司祭を木曽さんが引き受けられたそうです。一同が瞑目合掌して英霊の冥福をお祈りした時に、木曽さんは聖経「甘露の法雨」を心の中で誦して、英霊に感謝の誠を捧げられました。すると形容の出来ない柔らか光が投げかけられたような明るい雰囲気を感じたというのです。そしてふっと眼をあけた、それも肉眼か心眼かわからなかったそうです。つぎのようにその光景が書いてあります。

「眺めると小高い山頂附近に、柔らかい黄金色に包まれた、神か仏か、観音菩薩か確かには解らない御方が、尽十方に燦々と霊光を投げかけておられるのが観えるのです。両側には何時の間にか入道雲のように(当初雲と思った)横に整然と兵隊姿の英霊が何千、何万とも知れず正に雲集して浮かんでいるのです。ぼろぼろに破れた軍服姿に穴のあいた帽子と、みる影も無い程でありながらその御顔だけは、皆二十歳前後の若々しい喜びを満面にたたえて私の方を見ているように感じた。

するとまた遠方でドドーンと云う雷鳴(私には英霊が口を揃えて歓声をあげた様に聞こえてた)、と同時に中央に居られた神々しき御方の口が動いたと思うと、私の耳元に綺麗なすみ切った柔らかい、まるで“金の鈴を振る様な”声が聞こえてきたのである。」

そして、この中央に居られる霊人が、一同に対してよく来た旨を云われ、この日を長い間待っていた由をはなされるのです。その理由は立派なお寺の住職、政府派遣の方々が慰霊に何度となく来てくださったが、それらの人達との霊的会話ができなかったが、今回は霊的会話の出来る人が来てくれたので嬉しかった、この日の来るのを数年前から念じて待っていたと云われたのです。続いて次のよう記事は書いてあります。

 「私達は過去三十有余年前、祖国の為第一線に参じ唯々一死奉公、残念ながら武運つたなく此の地に於いて戦死しましたが、今日に至るも私達は魂の安住地を得ることが出来ませんでした。悲しみの中に今尚、戦い且つさまよっている霊魂の戦友がたくさんおられるのです。私達は今も“此処に”生き続け祖国日本を守らんと祈念し続けてきました。何卒一日も早く私達の安住の地を……。貴方を通して多くの人にお伝え下さい……。」と語られると周囲に雲集せる英霊が一斉に頭を下げられるのです。

 木曽さんは、涙が滂沱として流れて胸がつまったと云っておられます。時局のことをあれこれ思い、英霊のいわれることをもっともなことだと、受け止めながらも、自分一人が動いたとて何ができるかと、否、不可能だと思ったその瞬間、眼前の黄金色の霊光が急に暗くなり、中央座の御方の姿は薄らぎ、同時に喜色満面だった英霊の顔が落ち窪んで、それは悲しい骸骨に変わったのであります。木曽さんはビックリして、一心に懺悔し、祖国日本の復興に全力を尽くすことをことを、英霊に誓われた時、周囲は再び元の霊光燦然たる世界にもどったと云うのです。そしてこの後、次のようなことを、その霊人が話されたと云うのです。

 「霊界ではこれまで祖国の現状を見るにつけ私達の死が無駄であったとか、そうでないとか様々な意見があって混乱していたが、この数年間ようやく平定され、今後は現象界が浄化されて来るでしょう。その為に世界は非常に危機的な様相を呈して来ます。(この内容を具体的に表現されたが本稿では割愛する=木曽)日本もその渦中に包含されるが、祖国の上空は私達の念の力で必ず守ります……」。 私は思わず反論した。「念の力でそんな事が可能ですか。」間髪を入れずに厳しい叱責の声。「念の力がどんなに強いかは貴方が一番良く識っているではありませんか。」―― 心に深く飛び込んで来た響きに私は素直に謝意を表した。

 「しかし現象の日本国は何といっても現象界の貴方達の努力で守るより他に方法はない。私達も勿論応援は致します。ところで今、長崎の地にすばらしいものが完成しつつありますね。」 しばし考えて答えた。

 「はい、竜宮住吉本宮という住吉大神の御出御を仰ぐ御社ができます。」英霊が一斉に賛意を表す。

 「私達は以前から承知しています。誠に慶びにたえません。その完成の日を待ちこがれているのです。さて貴方は谷口雅春(呼びすてにされました)を識っていますね。」

 「はい、私達生長の家の総裁先生です。」

 「そうです。しかし御存知ですか、あの方は表面は人間の姿をしているが実は住吉大神の化身でありますよ。」

その強い響きの言葉にふれた時の私の驚きたるや言語を絶したものであり、永年の信仰生活の中でこれ程の感動は無かったのである。嗚呼、尊師は神そのもであらせられる!

木曽正人さんの神秘な体験記には以上のように書かれているのです。さらに麗人の言葉は続くのであります。この体験発表が新聞紙上にされたのは昭和五十三( 1978 )年十一月八日のことであります。

「今後の日本国を守るその中心になって活動するのは、実に谷口雅春導きになる生長の家の信徒の皆様以外にはありません。確かに自衛隊も必要ですが、まだまだ不十分です。國と國の戦いよりも内部の革命分子の蜂起を未然に防止することに起ち上がってくださるのが信徒のみなさまなのです。しかし何と云っても現在の誌友が二百五十万や三百万では不十分です。少なくとも壱千万の方々が信徒誌友になって頂かねば、この儘ではこの日本国は名のみ残り、真の日本国は永久に顕われないかも知れません。幸に住吉大神の御顕齋をするお社が建立され、今後は此処が日本国の真の姿を顕す中心ちなるでしょう。且つ亦、同時に世界浄化の中心となるでしょう。以上の事をよくご考慮くださいまして、お帰りになりましたら直ぐに是非とも多くの方々にお伝え下さる事をお願い致します。」その言葉が終わると眼前の霊光がすっと消えていったのである。その直後私は、「どきっ」として心臓が高鳴る衝撃で我に返ったのである。

そこで、竜宮住吉本宮のことに話を移したいと思います。谷口雅春先生は、住吉大神の神社建立を御決意され昭和四十九( 1974 )年十一月二十二日の生長の家秋季記念日祝賀式にて御発表になりました。そして昭和五十( 1975 )年一月十三日に谷口雅春先生御夫妻は長崎の本山総裁公邸に御移転をなさいました。昭和五十三( 1978 )年十一月二十一日から二十八日まで、竜宮住吉本宮・鎮護国家出竜宮顕齋殿落慶鎮座祭執行、ならびに落慶鎮座奉祝大祭が執り行われたのであります。この時の世紀の式典の詳細に関しては「顕齋」と題するグラフにまとめてありますので御覧ください。

この竜宮住吉本宮の御神座に住吉大神を奉安するときには、谷口雅春先生御自身が竜宮実相世界の天津御座より“護国の神剣”に神霊を天降り給えと熱祷を捧げられたのであります。あの時の式典に参加された方々は、今もあの素晴らしき霊気に満ちあふれた不思議な情景を回想されるとき、新たに胸躍り、涙溢れる思いに浸られると思います。

「鎮座降神詞」を住吉大神に捧げられるときの谷口雅春先生のお声の響きは、言葉では表現できない響き、雰囲気をもったものであり、全身全霊を捧げ尽くされた熱祷でありました。ここに謹んで「鎮座降神詞」を掲載させて戴きます。

 

「鎮座降神詞」

「掛けまくも綾に畏き住吉大神、竜宮実相世界の天津御座より、此の瑞の御殿竜宮住吉本宮の、御神座に奉安し奉る。

 ここに“護国の神剣”に、大神の尊き神霊を天降し給ひて鎮座してこの神剣を世界平和の核として、この神剣より世界全部に輝くところの平和の霊光を発し給ひて、まことに地上に天国を創造給へと請ひ祈み奉らくと白す。

  警蹕

住吉大神、高天原より天降りまして、この御神体に鎮ります。

ア―オ―ウ―エ―イ―

ア―オ―ウ―エ―イ―

ア―オ―ウ―エ―イ―

  警蹕

住吉大神、宇宙すべてを浄め給ひて、天照大御神の出でます道を浄め給へり。

ア―オ―ウ―エ―イ―

ア―オ―ウ―エ―イ―

ア―オ―ウ―エ―イ―

  警蹕

今ぞ護国の神剣に天降りましたる住吉大神の神霊より平和の霊光世界全部に広がりまして、洵に地上に天国は創造せらる。明日より、総てのことは浄まりまして、世界は別の姿を現すのであります。有難うございます。有難うございます。

ア―オ―ウ―エ―イ―

ア―オ―ウ―エ―イ―

ア―オ―ウ―エ―イ―      

(御気合)

  警蹕

 

つぎに、「竜宮住吉本宮鎮座祭祝詞」を拝読します。谷口雅春先生は、住吉大神が竜宮住吉本宮に鎮座され、「神代さながらの御神徳を顕わされるべき日」を迎えとことを心からお慶びになっておられます。世の中の状態は人類が唯物思想に捉われて、罪業意識や物質の法則に縛られ、自己処罰の潜在意識はたかまり、利己主義、反抗心の衝突などが個人から国家の次元に至るまで重くのしかかり、世界のいたるところまで惨事が繰り返されて、まさに『古事記』に予言されたイザナミの大神の「蛆たかり轟きて雷の神全身を蔽う」状態になってしまっている。このことを谷口雅春先生は座視するに堪えなかったと申されているのです。

「実相の御心に成る大調和の世界を、現実界に持ち来たす」ことを期して、大神に出御を願われたのであります。住吉大神を国民の多くは、鎮守の神、産土神、あるいは安産の神、繁栄の神としてお祀りをして、住吉大神の宇宙を浄め、天照大神の御光を六合に照り輝かす道を開かれる偉大な御徳を忘れ去ってしまったのであります。そのために、「皇国の御光を宇宙に輝かす力も自ら衰えゆき、ついに天皇は、豊葦原の瑞穂の國治しめす御使命の御座より単なる“象徴”という空座に移され給い恰も天之岩戸隠れを再現せるが如き暗澹たる国情に陥りて、その隙に乗じて“赤き龍”の輩、日本国の四方に回りて爆弾騒ぎなどさまざまの策動をなし革命の焔、いつ燃えあがるとも計り知れざる実情とはなりぬ。」と谷口雅春先生は切々として胸の内を告げられているのであります。

 このような世情であればこそ、住吉大神を顕齋し奉り、大神の本来の国家鎮護皇国護持のご使命を完全に発動され、妖雲悉く祓い浄められて、天照大御神の御稜威六合に照り輝き、神武建国の八紘一宇の理想が実現し、万国の人々が御徳を中心に仰ぎ奉り、中心帰一、万物調和、永久平和の世界の実現を期すと、縷々告げられたのであります。

谷口雅春先生は「大神より親授されし神想観という幽齋を厳修し来り、大神の御言のまにまに修行を積みたれども、尚われら現実の力のみにては及ばず、茲にいよいよ大神の御出御を仰ぎ奉るべき機熟したることを感得し、誠に畏れ多き事なれども、大神の現実界に現れ給うべき時を、今迎えたりと覚えぬ。」と、住吉大神の顕齋について述べておられます。更につぎの如く大神の御徳を讃えておられます。

「ああ、住吉大神、住吉大神、住吉大神、いよいよ竜宮の本宮より出御ましまして大神の稜威をあらわし給い、現し此の世の迷いの雲を祓い給い、宇宙を浄め給い日本国の聖なる実相を顕現せしめ給え。天照大神、天之岩戸より姿をあらわし給うならば、万物万生悉くその光を受けて、暗黒は消え、争いはなくなり、一切の禍と不幸とは此の世より姿を消し、人類の悲しみ嘆き、苦しみは悉く消え去り、天国浄土を今此処に、顕現するのである。」

ハワイに「実相センター」があります。谷口雅春先生は、昭和三十四( 1959 )年三月一日付けのハワイ信徒に対して親書を渡しておられます。それは「生長の家ハワイの進みゆく道」と呼ばれているものです。この親書のなかに、「ハワイは太平洋上の中心焦点であり、世界海空交通路の十字街頭に位置した天恵豊かな楽土であり、生長の家光明化運動の世界的飛躍の橋頭堡であり、重要拠点である」と明示されています。そして「世界平和と人類光明化運動の一大法城そのものであり、信徒誌友の皆様は聖使命菩薩であり大天使である」とのお言葉を戴いています。このハワイに「実相センター」が建設されるにつきましても、色々と人智をこえた不思議な出来事が沢山ありました。それらのことと、竜宮住吉本宮の建立に関しても不思議な因縁のあることをしみじみと感じさせらて、神界よりの経綸の深さを思い知らされるのであります。

谷口雅春先生は昭和三十八( 1963 )年三月十日にはじめての七ケ月にわたる世界御巡錫をなさいました。そして昭和四十七( 1972 )年三月二十五日より五月四日までの四十二日間、ハワイ、北米、カナダ、メキシコを御巡錫をされました。ハワイでは三月二十七日はヒルトン・ハワイアン・ビレッジでの講演会には二千五百名の参加者でした。また三月二十九日より四月一日までの四日間の詳密講習会がアラ・モアナ・ホテルで七百七十名の受講生でありました。このときには、教化部での幹部会、アラモアナ・パークでの受講生の人達との野外昼食会や、パラダイス・パークの見物、そしてマノア谷の黒岩正人氏宅での幹部の人たちとの昼食会などなど、御多忙の日程の中での行事でありました。随行者は谷口寿美さんと、徳久克己本部副理事長でありました。

このときにマノア谷を幸喜さんの車で通過されながら、谷口雅春先生が云われたのが生長の家世界伝道本部をハワイに建設する話であり、黒岩氏宅の昼食のあと、谷口雅春先生から、ハワイに於ける世界伝道本部の構想が一同に発表になりました。そして、谷口雅春先生は受講奉納金をそのまま建設資金としてハワイ教化部に寄付されたのであります。十三年前にハワイに戴いた親書が大きく具体的に動きはじめた瞬間でありました。

ハワイはこれから、この世界伝道本部を建設する用地を「実相センター」と名付けて捜すことになりました。谷口雅春先生御夫妻も、カネオヘ、リキリキハイウエイなどの土地も御覧になり購入資金のことまで指示して下さいました。信徒も多くの場所を尋ねて探しましたが、適当な土地が見つかりませんでした。そのうちに、ワイアナエに牧草地が見つかり、既設の建物を改造して、練成会やサンデーサービスなどをおこない、世界伝道本部の構想を図面に表し、本部の理事会でもその内容を説明しました。結果としては、地元の公聴会で土地使用に関する説明をしましたが反対をされて建設が不可能になりました。

それから、また建設用地の発見に信徒の方々の努力がはじまりました。オアフ島の色々な場所を探し歩いているときに、現在の土地が発見されました。この土地は区画整理で教会を建設する予定地でありました。美しいコーラル山脈の麓にある心安まる環境の土地です。実相センター建設には何らの問題のないすばらしい土地です。この土地に関しては、実相センターが建設される前から、このことを知らされる不思議な出来事もありました。それは丁度、生長の家のマークが現象界に現れる時と同じような不思議な現象です。

谷口雅春先生は、実相センターの建設に関して、聖書の「ヨハネ黙示録」の二十一章の一節から四節までを示されました。そこには次のように書いてあります。

「第二十一章 1,我また新しき天と新しき地とを見たり。これ前の天と前の地とは過ぎ去り、海もまたなきなり。 2,我また聖なる都、新しきエルサレムの、夫のために飾りたる新婦(はなよめ)のごとく準備して、神のもとをいで、天より降るを見たり。 3,また大いなる声の御座(みくら)より出づるを聞けり。曰く『視よ、神の幕屋、人と偕にあり、神、人と偕に住み、人、神の民となり、神みづから人と偕にまして、 4,かれらの目の涙をことごとく拭い去り給わん。今よりのち死もなく、悲嘆(かなしみ)も、さけびも、苦痛も名軽部氏。前のもの既に過ぎ去りたればなり』」

そして「生命の実相」第一巻の一番はじめにある「黙示録」第一章の十二節から二十節のことも話してくださいました。境内に関しましても、実相センターの境内に座するだけで境内を囲む木々を越え、丘を越え、山脈を越えて、青い大空につながり霊的に高い雰囲気を感じるように造りあげることも教えてくださいました。そして「実相センター」を祝福して「新しきエルサレム 天より降りて この聖地に鎮まり給う」というお言葉を戴きました。まだ、その大きな構想は完全には達成されていません。でも大講堂には自然の柔らかい光線が射し込み、空気は自然に換気され、魂の安らぎを感ずるようになっています。外部から見学に来られる人の中には、この大講堂に入ると強烈な霊的力を感ずるという方が多いのです。

平成十六年十月十二日、この「実相センター」にて、生長の家の御教えが普く、宣布されて一日でも早く住みよき世界になりますようにと「住吉大神のご加護と谷口雅春先生の神界よりの御導き」が天降りますように祈願をいたしました。このとき、竜宮住吉本宮の宮司をされ、住吉大神の鎮座降神の儀式の時には、谷口雅春先生のおそばにて、警蹕の役目を果たされた伊藤陽夫さんに、「住吉大神の御加護祈願祝詞」を奏上して戴き、一同で聖経「甘露の法雨」を讀誦し、最後に竜宮住吉本宮に於ける住吉大神の鎮座降神の時の模様の録音テープを拝聴しました。この時です。谷口雅春先生の住吉大神の鎮座降神詞が始まるや、ハワイの美しい青空から雨が力強く降ってきたのです。

谷口雅春先生のお声が続く間、雨は降っていました。そしてお声が消えた時に雨はパッと止みました。そしてもとの澄み切った美しい青空と輝く太陽のハワイに戻っていました。ハワイでは霊的な慶びのときには、雨が降るという言い伝えがあり、参加者一同はこの不思議な出来事に言いしれぬ神霊の加護を感じ取り、生長の家の運動は確かに「神の人類光明化運動」であり、住吉大神のご加護、ご指導のあることの確信を深めた次第です。木曽正人さんの霊的体験や竜宮住吉本宮の鎮座降神の時のこと、そして、また今回の「実相センター」での不思議な体験を通して、生長の家がこの地上へ顕現した重大な使命を感じるものであります。

(終わり)



「み教えの基本」へ

「総合目次」へ