平成20年2月号

我ら日本人として(12)

「礼の国・日本」に還ろう

国 元 貴 知


豊かな国の礼なき国民

 中国の春秋時代の斉の賢相管仲の作といわれる『管子』には、「倉廩実ちて、即ち礼節を知り、衣食足って、すなわち栄辱を知る」とある。倉の中の品物が豊富になってくると、人は初めて礼節を知ることができ、日常生活に必要な衣食が十分足りてくると、初めて真の名誉、恥辱がいかにあるべきかを知るのである。

  大東亜戦争、第二次世界大戦終結後六十三年、焼土の中から立ち上がった私たちの先輩の努力が実を結んで今日の日本は、経済的に実に豊かになった。しかし、礼の面ではどうだろうか。電車の中における女性の化粧直し、児童だけでなく成人の飲食、プライオリティ・シートに坐る若者、等の光景は、日常的に見られるようになった。

  日本人の間に礼が欠けてきただけではない。昨年(平成19年)11月23日にインド洋での補給活動を中止(テロ特措法失効)して、海上自衛隊の艦隊が日本に帰ってきた。アフガニスタンでの活動はテロとの対決そのもの、というのが国際認識である。40ヶ国がアフガニスタンの安定化作業に参加しており、アラビア半島沖合いで10ヶ国を超える海軍の艦船に6年間、日本の艦隊が給油を続けてきた。国際社会から高い評価を受け、感謝されてきた中での帰国である。まさに国際的に礼を失した行動である。

  春秋時代の歴史書として最も基本的な資料である『春秋左氏伝』には「礼は身の幹なり。礼は国の幹なり。礼を怠れば政を失う」とある。礼は身の背骨のようなもので、人の世に立つゆえんのものであり、国になくてはならないものである。礼儀を誤ると、一国の政治が失われてしまう。

  今、一国平和主義、経済合理性第一主義が、罷り通っているように見える。しかし、わが国は元々礼の国であり、名誉を重んじる民族であった。たとえば、一五四九年に鹿児島に上陸し、五一年まで平戸・山口・京都・豊後などで布教したフランシスコ・ザビエルは、本国に送った手紙に次のように記している。

  「日本人はこれまで遭遇した国民の中で、最も傑出している。名誉心が強烈で、彼らにとっては名誉が全てだ。武士も平民も貧乏を屈辱とは思っていない。金銭よりも名誉を大切にする。日本人の生活には節度がある。多くの人達が読み書きができ、知的水準が極めて高い。学ぶ事を好み、知的な好奇心に溢れている。」

礼は家族共同体から育つ

 日本国憲法、教育基本法は、当時の日本のリーダーが公職追放される中で制定された。形式としては国会の決議であったが、実質としては、GHQから与えられた(押し付けられた)ものである。一九四八年六月一日、衆議院では「教育勅語廃止に関する決議」が、参議院では「教育勅語等の失効確認に関する決議」が、日本人が発議した形をとって、行なわれた。こうして米国の圧力によって教育勅語が廃止され、憲法と教育基本法の空白を理めるベき大切な日本人の価値観(父母二孝ニ、兄弟二友ニ、夫婦相和シ、朋友相信シ、恭倹己レヲ持シ、博愛衆二及ホシ、学ヲ修メ、業ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓発シ、徳器ヲ成就シ、進テ公益ヲ広メ、世務ヲ開キ、常ニ国憲ヲ重シ、国法ニ遵ヒ、一旦緩急アレハ、義勇公ニ奉シ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ)が削除されたのである。

  GHQは、日本の旧き良き伝統を消滅させようとして、日本語を否定し、漢字をなくしてローマ字で教えようとし、家族制度の崩壊を目論んだのである。家族共同体は、生命と文化の要である。私たちは、皆家族の中に生まれ、その中で育っていく。家族という共同体の場は、一つ前の世代である両親やもう一つ前の祖父母から、箸の上げ下ろしに始まり、家の内外における立ち居振る舞いや言葉遣いなど、さまざまな伝統文化を学んでいくところである。

  江戸後期の海防論者林子平(一七三八〜一七九三)は、その著『父兄訓』の中で次のように書いて「親自身が子供の手本であれ」と言っている。

「すべて幼少の者は、万事、人真似をするものだ。その中でも、天然の血筋で、父兄を他に並ぶ者のないほどすぐれた者と思い、何事も父兄のすることを手本にするものだ。だから父兄がそのようにすれば、子弟は自然に、は八徳(孝・悌・忠・信・男・義・廉・恥)および文武の諸芸をも、し覚えるものだ。これは、打たず叱らず、身をもって子弟を導く方法だ。これを徳行という」

父母への感謝が礼の出発点

 礼は、相手への感謝・報恩の心から生まれる。家族共同体における礼は、先ず親の恩に感謝し、その恩に報いようとする心から生まれる。釈迦は、『父母恩重経』で、「父母に十種の恩徳あり」として、

  懐胎守護、臨産受苦、生子忘憂、乳順行育、側乾就湿、洗濯不浄、嚥苦吐甘、
  為造悪業、遠行憶念、 究竟憐懲をあげている。

  釈迦は、「父に慈恩あり、母に悲恩あり」と教える。「慈恩」の「慈」は、深い意味の友情であり、父は子の良き友として、良き先輩として、あるいは誉め、あるいは叱咤し、あるいは助言する。「悲恩」の「悲」は、悲しみ、苦しみ、悩みの中から生まれてきた母の愛情である。この慈恩・悲恩を分けて十の父母恩として釈迦は分けて教えたと経典は記している。

  谷口雅春師は、その著『生活読本』の中で「父母に感謝の挨拶をいたしましょう」の一節で次のように説いておられる。

  「最後に何よりも大切なことは、お父さんお母さんに感謝することです。赤ん坊で何も自分で食べられない時にも、お母さんがお乳を飲ませて下さったり、おむつを取替えて下さったりしたお蔭で、あなたは生きていることができたのです。お父さんはあなたがたの食べ物や着物を買うために必要なお金を得るために、どんな暑い日も、どんな寒い日も、ご所懸命に働いて下さったので、あなたの学校へ行く服や、学用品を買うことができ、欲しい食べ物が食べられて、大きく成長することができたのです。朝、ご飯を食べる時に『お父さんお母さん、ご飯を頂きます。ありがとうございます』と、挨拶してからご飯を食べなさい。きっと身体が丈夫になり、成績が良くなります」
  父母への感謝が礼の出発点なのだ。

皇室の恩・親の恩に感謝する「礼の国」に還ろう

 天皇と国民とが常に倶にあるのが日本本来の姿であり、それが国柄である。終戦の詔勅を全国民が承り、占頷下で外国の例のようなテロもゲリラもなく、マッカーサー元帥は、天皇国家の偉大さに感動したのである。戦後、焼野原から立ち上がり、私たちの先輩が、日本人の民族的特性である勤勉、誠実、忍耐、責任感、忠誠心などを十分に発揮して世界第二の経済大国になれたのは皇室があったればこそである。

  筆者が三十年前に米国の大学に留学したとき、一人の友人が、「日本の天皇は素晴らしい。世界に例を見ない人格者だ」と語ったことがある。そして、一九四五年九月二十七日に昭和天皇が自ら進んでマッカーサ元帥を訪問され、「戦争の責任は私一人にある。私の生命は元帥にお預けする。飢餓にあえぐ国民を救ってくれるように」と願われた話をした。筆者は、米国の青年が日本の天皇を尊敬する姿に接し、日本人として皇室がある日本に生まれたことに改めて感動すると共に皇室への尊崇の念を強めたのであった。

  昭和天皇は終戦の翌年から沖縄を除く日本中の各地を八年六ヵ月にわたって巡幸され、終戦の痛手に悩む日本人や、日本再建に雄々しく立ち上がる産業戦士を励まされた。巡幸日数百六十五日、全コースは三万三千キロに及んだのである。沖縄へのご巡幸は、昭和天皇の強いご希望にもかかわらず、見送られることになった。

   御製

    思はざる 病となりぬ 沖縄を
      たづねて果さむ つとめありしを

  一国平和主義、経済合理性第一主義では、世界の中で尊敬を受けることはできない。また日本の国そのものも存立基盤を失ってしまう。私たちは、国の恩、皇室の恩、親の恩に感謝し、報恩の心を取り戻し、日本伝統文化である「礼の国」に還ろうではないか。世界平和への貢献もここから始まるのである。

 

国元貴知氏
どんな教えか
総合目次