谷口雅春先生ご夫妻海外御巡錫随行記
    昭和三十八年三月より

  仙頭 泰


 この記録は随行当時の色々な私の日記・本部への手紙などの記録を集めたものです。面白い出来事、感激した出来事などを皆様に紹介したいと思います。平成十六年四月から数えて、もう四十一年前の出来事になります。
 谷口雅春先生・輝子奥様の御事績を皆さんに知って戴き、偉大なる神の預言者でいらっしゃいましたご夫妻の御徳を心から讃えさせていただきます。           合掌


合掌
 皆様にはおかわりなくおすごしのことと存じます。ハワイに三月九日の夜、九時四十八分、ホノルル国際空港に到着しました。
 空港には、この空港が出来て以来といわれる大勢の人が出迎えに来て下さいました。
それ以後は日程に従って、毎日を多忙に送っています。
 谷口雅春先生、輝子奥様共にお元気でいらっしゃいます。今日ここに送りますものは、「ハワイ報知」三月十四日に掲載されましたもので、三月十二日に「ハワイ報知」の女性記者・鶴田ハツ子さんが宿舎に来て三十分間位、対談されたものを載せたものです。この女性は良本君の奥さんの叔母さんになる人だそうです。感じのいい人です。
 皆さんのご健闘を祈ります。                              再拝
     三月十五日
                                         仙頭 泰
  田中 忠雄先生



合掌

 中林先生はじめ渉外部の皆様にはお変わりなくお過ごしのことと存じます。
羽田を出発してから三万三千フートの上空はお天気もよくて心配したことはありませんでした。ハワイ諸島に近づくに従って空も暗くなり、機上に月を見た時は、ここで一句と思いましたが出てきませんでした。下を眺めれば白い小さな雲が漂って海面がギラギラと見えているようでした。

 途中、日付変更線付近で「バンドを着用して下さい」とサインがあり、飛行機が少し動揺しました。ホノルルの国際空港に着き来賓室の様なところで、コホ放送局の人とハワイ報知の婦人記者鶴田ハツ子さんが谷口雅春先生御夫妻にインタビューです。

 この間に私共は税関検査の準備です。外では空港(この新しい国際空港)はじまって以来の人の波だといわれる歓迎陣が旗をふりふり待っていました。検査も完了して外に出ますと大勢の人々が生長の家の小旗をふり、涙を出さんばかりして「有難うございます、有難うございます」の連続です。そこに幹部のみなさまが一人一人出てきて挨拶してから「レイ」をかけてくださり、顔が埋るくらいで首が花輪でまわらなくなりました。

 群集の半分まで進みますと突然(勿論準備はしてあったのでしょうが)ハワイの色の黒い健康そのものといえる若い婦人が二人あらわれて、男の人のギター伴奏のもとに名物のフラダンスをご披露に及びました。先生、奥様もニコニコ笑ってごらんになりました。

 可愛らしい日曜学校(青年会員の皆様によって指導運営されている由)の生徒さん達も夜遅いのにもかかわらずニコニコして小旗を振って出迎えてくれました。ここから自動車に分乗してワイキキ海岸のすぐ側にある「フォスタータワー」というアパートスタイルの宿舎に落ち付きました。夜寝たのはハワイ時間の午前三時でした。

 そして十日からは日程通りの行事で本日までやってきています。行事内容はハワイ・タイムス、ハワイ報知の新聞にその実情を正しく載せていますので、切り抜いて送りましたのでご覧ください。新聞の切り抜きは航空便にしましたが、新聞そのもののそろったものは渉外部宛に送りましたので、受け取られましたら適当に教文社、普及協会その他に配って下さい。完全な新聞としては渉外部と書いたものと理事長と書いたものだけで、あとはこちらの情報の載っている頁のみです。皆様の御愛念のもと張切ってやらしていただきます。

SP ハワイの空は青く、空気も新鮮で木々の色は緑したたるといった言葉ピッタリです。ファリントン高校の講演会(十二日)は千二百五十名の定員席が一杯になり立っている人も多く、ついには帰った人もあったほどです。定刻三十分前には満員でした。
  講習会は八百名程度です。こちらの習慣として講習会という言葉を使った会合は、そのグループの幹部のみの会合との印象が強くあるとのことでした。では又
                                          再拝

 

 

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