世界一周講演旅行時の谷口雅春先生のメッセージ
    仙頭 泰(元生長の家ハワイ教化総長)

 昭和三十八年(1963年)三月十日、谷口雅春先生ご夫妻は世界一周、七カ月間の御巡錫の旅に出かけられました。この日の東京は雪が降り白一色で清浄な雰囲気に包まれていました。谷口雅春先生は、世界一周の御巡錫をするにあたり、「このたびの講演旅行の目的」について発表されておられます。

 この頃は、世界の各地にいる数多くの信徒の間から、自分の生涯に一度だけでもよいから直接谷口雅春先生にお会いして、神理のお話を伺いたいとの切なる願いが澎湃として起っていました。実際に御巡錫が゙始まりますと、現地での信徒の方々の歓迎ぶりは言葉で表現できないほどの熱烈なものであり、また数多くの奇跡がありました。その当時の様子の記録は、谷口輝子奥様が『世界を旅して』と題する前編、後編の二冊の本でまとめられています。この本には旅行中の講演筆記や興味ある海外事情の観察記録などがたくみなペンのながれで書かれてあり、今読みなおしても当時の光景がまざまざと目の前に浮かんできます。

 さて、この講演旅行の目的という御文章の中に、谷口雅春先生が旅行を必要であると感じられたのは、「真理運動をしている自分たちが、単なる個人の治病に止まっていてはならないという急迫した要請」を霊感されたというのであります。世界平和に絶対必要なのは「人類の潜在意識の浄化」であり、このことを世界の政治家や学者や宗教家に訴える努力の必要なことを強く感じられたのであります。私は、或るアメリカの心理学者が、キリスト教会で毎日曜日に繰り返し、「人間は生まれながらにして罪深い存在である」という説教をしているが、これは戦争の心的原因であると述べていたことを思いだします。

 谷口雅春先生は、戦争は先ず「人間の心」に発生し、ついで現象界に顕れてくるのであるから、戦争を防止するためには、人間の心の中に「一つの神から生まれた一つの人類」、即ち「人類はいのちの兄弟姉妹だ」という思想を徹底的に、潜在意識の底まで浸透させる必要があることを説かれるのであります。皮膚の色が違うという理由だけで、人間を差別するのは間違った観念であります。

 谷口雅春先生は「戦争は、人類意識の自己処罰から生まれるのであるから、人間は罪の子であるという偽の信仰を除き、人間は神の子であるということ、即ち原罪なき清浄受胎ということの自覚を通して、本来自己処罰の必要なしということを徹底的に人類の潜在意識に銘記させるということは、至上の重要性を持つのである。」と述べておられます。

 谷口雅春先生は、人類に世界平和をもたらすためには、全人類の思想と信念を一変させることが、現在至急に必要だということを感じられ、「人間・神の子」という本当の信仰をもって、いつも神の愛に護られて、随処に主となる生活を展開することを望んでおられることを強く感じます。世界平和のために、生長の家が「万教帰一」の旗印のもと「人間本来神の子・原罪本来なし」と、光の進軍を進めることが如何に大切なことであるかを、あらためて考えさせられるのであります。

 谷口雅春先生は昭和四十七年三月から四月にかけてアメリカ、カナダ、メキシコに二度目の海外御巡錫をなさいました。そのときに、谷口雅春先生は如何なる話をすべきかを、毎夜、神にお祈りになられました。そうしておられましたら、「暁方(あけがた)に目覚めたときに夢うつつの如き心境に於いて、神がわたくしに真理を、"かく語れ"というかのような意味の声を聞いたのである。」と述べておられます。

 谷口雅春先生は神が諄々と説き給うのを聴いておられたのです。そのときに筆記されたのではなく、唯、神が谷口雅春先生に繰り返し告げ給うた言葉を記憶によって再現して、それを文章表現したものが『神真理を告げ給う』と題する本なのであります。この「はしがき」の中に次のようなお言葉があります。「従ってその文中"わたし"とあるのは"神"御自身のことであって谷口のことではない。」と述べておられることです。私には、「生命の実相」第一巻にある「『生長の家』とわたし」のご文章が浮かんできます。つぎにその要点を抜粋させていただきます。  

 「なかにはわたしを教祖あつかいにしてくださる誌友もあるが、わたしは『生長の家』の教祖ではない。わたしは諸君と共に『生長の家』の教えを聴聞して、ひたすら、その教えのごとく生きて行こうと努力する一人の求道者にすぎない。」

 「しかしもし『生長の家』に教祖というべきものがあるならば、この地上のわたしではないであろう。」

 「およそ宗教的な深さをもったものは、それが教えであると芸術であるとを問わず、その源は霊界にあるのである。古来から神品といい神徠といいインスピレーションといったのはこれである。われわれはすべて霊界および現世の人々からラジオ的に放送されて来る思想波動を感受するところの受信機であるのである。」

 「それと同じくわれらがいっそう高き世界より来る思想波動に感ずるためには、自分の心をその思想波動に調子を合わさねばならぬのである。ここにわれらは不断に心を清め、心をいっそう高き世界よりの波動に感ずるように訓練しなければならない。」

 「この訓練がたりないとき雑音が混じる。受けるインスピレーションが不純なものとなる。もしわたしの書くものに純粋でない雑音が混じっているならば、それはわたしの罪であって、霊界よりこの地上に『生長の家』運動をはじめた神秘者の罪ではないのである。」

 この御文章は、立教当初のものでありますが、谷口雅春先生の御著書を年代ごとに紐解いて行きますと、その中を貫いている力強い一筋の神理の光が、ますます強く私たちに迫ってきて、谷口雅春先生の偉大さを強く感じ、み教えにふれた喜びはますます強烈に拡大し、「われ今何を為すべきか」と自己の使命感が高揚してくるのであります。

 『神真理を告げ給う』の御著書の「第一章宇宙及び人間の創造について」の一番初めのところにつぎの如く述べてあります。

「 "わたし"は今まで多くの教祖や哲人を通して人生の意義を説いて来た。君たちのうちには熱心に真理を求めて色々の書物を読み、色々の学者の説を読み、それに基いて思索をし、既に人生の意義を知ることが出来た人もある。しかしそんな人は非常に稀であって、大抵は、自分の偏見や既成概念の中を迂路チョロしていて、悟ったつもりで実際は悟っていないか、真理なんて求めても到底得られるものではないのだという絶望感で、"聖なる求め"を放棄している人もある。そのような人たちに"私"は、今ふたたび真理を知らせてあげたい愛念によって、今此処に谷口雅春を通して真理を説こうと思うのである。」

 かくの如き谷口雅春先生は、常に神に祈り、神から授けられた啓示を、私どもに伝道し続けられたのでありました。先生は何時でも『聖経』を携帯しておられ、旅先の乗り物などの中でも讀誦をされたり、また神想観をされたりしておられました。勿論、乗り物の中で原稿をお書きになることもありました。或るとき先生が笑いながら、「自分ほど原稿を読み直す人間はいないだろうね」とおっしゃいました。それは、原稿を日本教文社に送付され印刷原稿で返却され、校正されそれを送りかえされ、さらにまた再校を御覧になり間違いのない原稿にして送付されるからだそうです。このような先生のご努力 ご愛念の結晶が私たちの手元にある本なのであります。

 このように谷口雅春先生は、神理を誤り無く人々に伝えるご努力をしてくださいました。私たちは御著書を拝読するときに、先生の深い御愛念に感謝しつつ「文底の秘沈」を読みとらなくてはならないと思います。谷口雅春先生の御著書の「はしがき」で公式に最後のものといわれるものは、『実相と現象』と題する御本の「はしがき」であります。
これには「昭和六十年五月二十八日 著者 谷口雅春 識す」と署名がされています。

 谷口雅春先生は、昭和六十年六月十七日、午前七時五十三分、九十一歳の天寿を完うされて神界に還られました。ですからこの「はしがき」は帰天される二十日前にお書きになられた原稿であります。私はいつもこの「はしがき」を拝読しては、谷口雅春先生が如何に偉大な霊的指導者であり、優れた神の預言者(豫言者ではありません)であられたかをしみじみと追慕するのであります。その「はしがき」の中の終わりの部分のご文章をここに抜粋いたします。

 「このような文章― 神の言に接する毎に、私は畏れ平伏すのである。そして図り知れない神のはからい、摂理、お導きに、谷口は十二分にお応えし得たであろうか、この九十余年の生を以て些かの悔いることなく尽くし得たであろうか、と魂の打ちふるえるのを覚えるのである。


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