谷 口 雅 春 先 生 と ハ ワ イ
     仙頭 泰(元生長の家ハワイ教化総長)

 谷口雅春先生とハワイの結びつきは大変深いものがあります。ハワイに生長の家の御教えの種がまかれたのは、昭和十年(1935年)頃に一冊の生長の家の聖典がはるばると太平洋を横断してホノルル港に到着したのが始まりと語り伝えられています。

 第二次世界大戦の時に、ハワイの二世部隊の100大隊や442部隊が大活躍をしました。ヨーロッパ戦線でイタリーのシシリ島上陸作戦での日系二世部隊の大活躍は特に有名であります。これら二世部隊の若者たちは、みな「甘露の法雨」をお守りとして携帯していたといわれます。戦争中、ハワイでは、日系人の集会が禁じられていましたが、生長の家の集会だけは当時の幹部の方々の努力により、州政府から特別に許可がありました。生長の家の集会は何時も大盛況であり、ハワイの日系人の心の癒しの場であり、日本語を堂々としゃべれる憩いの場でもありました。

 ハワイの二世部隊は、アメリカの全部隊のなかでも、勲功章を一番多くもった勇猛果敢な部隊であり、この日系二世の若者たちの功績により、日系人の米国における社会的地位は一段と向上したのであります。谷口雅春先生は、御講話の中で「甘露の法雨」の功徳とこの二世部隊の活躍を称讃され、よく紹介して下さいました。

 戦後、日本は色々な物資が不足し困窮しているとき、色々な物資をいち早く日本に送ってくださったのは、ハワイの信徒の方々でした。また生長の家本部会館を原宿に建設するにあたっては、その建設資金の世界的に有力な提供源はハワイの信徒でありました。当時の本部の責任者である中島与一先生がハワイに派遣され、ハワイ諸島を隈なく巡講されて、熱誠溢れる講演をされたことは、今も古老の語り草になっています。また当時谷口雅春先生がハワイ信徒の献資の真心に感謝として贈られた御揮毫は、数多く現存しています。

 現在の原宿の本部会館は、このように全世界の信徒の真心のこもった献資と日本国内の信徒の真心のこもった献資とに寄って建立されたものであります。谷口雅春先生は昭和三十四年三月一日の日付けでハワイの全信徒にあて、つぎのようなお手紙をくださいました。このお手紙は今もハワイの教化部に大切に額に入れて掲げられてあります。 
 
       『生長の家ハワイの進みゆく道』
「ハワイは太平洋上の中心焦点であり、世界海空交通路の十時街頭に位置している天恵ゆたかなる楽土でありまして、生長の家光明化運動の世界的飛躍の橋頭堡であり、重要拠点であります。
 言葉を換えて申すならば、世界平和と人類光明化運動の一大法城そのものであり、信徒誌友の皆様は聖使命菩薩であり大天使であります。
 皆様はこの重大なる地位と使命を感得せられて、更に一層の奉仕献身を以って聖使命の同志の糾合増加に努められ、内は和顔愛語の同志愛を以って円満大調和の実を世人に示されん事を希望して止みません。」

 後日、谷口雅春先生ご夫妻が昭和四十七年、第二回の世界御巡錫のときに、ホノルルのマノア谷の黒岩氏邸での昼食休憩時に、徳久克己博士や私ども地元幹部の前で、生長の家世界伝道本部の構想を話されたのであります。東京本部は教えの本部であり、ホノルルの本部は世界伝道の本部とするというものでありました。谷口雅春先生は、地元の幹部とともに、建設用地を実際に探してくださり、建設資金のことまで心配いただき、この時の講習会の奉納金を、建設基金に早速提供していただいたのであります。

 そして建設用地をオアフ島の各所に探しました。谷口雅春先生ご自身も、予定地を検分してくださいました。そして、最後に探しあてたのが現在『生長の家ハワイ実相センター』があるカネオヘの土地であります。この土地が発見されるについては、色々と不思議なことがありました。結果として、ここに建設するように定められていたことをしみじみと感じています。この土地に建設するについては、谷口雅春先生に建設計画書を御覧いただき、ご指導をいただきました。この建設場所はオアフ島のホノルルとはコーラル山脈を越えた反対側になるカネオヘの美しい自然環境に包まれた、人間社会から隔絶した聖域といった感じするところです。来訪されたことのある方々には納得していただけると思います。

 この建設にあったて、谷口雅春先生は、聖書にあるエルサレムの話をしてくださいました。聖書を示され、『ヨハネ黙示録』の第二十一章 ・一節から四節までお示しになりました。ここに参考のために掲載します。
 『ヨハネ黙示録』 第二十一章 一節・我また新しき天と新しき地とを見たり。これ前の天と前の地とは過ぎ去り、海も亦なきなり。 二節・我また聖なる都、新しきエルサレムの、夫のために飾りたる新婦のごとく準備して、神の許をいで、天より降るを見たり。 三節・また、大なる声の御座より出づるを聞けり。曰く『視よ、神の幕屋、人と偕にあり、神、人と偕に住み、人、神の民となり、神みづから人と偕に在して、 四節・かれらの目の涙をことごとく拭い去り給わん。今よりのち死もなく、悲嘆も、号叫びも、苦痛もなかるべし。前のもの既に過ぎ去りたればなり』

また、『ヨハネ黙示録』 第一章、十三節の話、『生命の実相』第一巻の一番初めに出てくる『ヨハネ黙示録』(第一章、十二節から二十節)の話をして下さいました。ここに示されたる方のご守護のあることをお話くださいました。実相センターには、生命の川が流れ、生命の樹々が茂り、新しきエルサレムのような、黙示録の文句と合致したような境内にしょうと話して下さいました。そして、谷口雅春先生からその聖書をいただきました。

 実相センターは、青々とした木々にかこまれ、美しい山々の懐にいだかれ、そのまま蒼穹に連なり、居ながらにして大自然に吸込まれ、溶け合い、神我一体の霊的雰囲気に自然とつつみこまれるように考慮されて、建物が建設され配置されています。敷地内には、日本庭園のよさも取り入れ、まわりの風景は京都の庭園の借景のように考慮されて造られました。大講堂は、天井から柔らかい光が室内に流れ込み、清浄な空気は天井近くの屋根裏の窓から室内に流れいるように設備され、講堂のまわりにはゆったりとしたラナイを設け、仕切りの戸は、日本の障子風に作られ、くつろいだ柔らかな雰囲気を醸しだしています。

 講堂の正面には、大きな『実相』の額が掲げられてあります。ここは、大きな扉が左右に動いて開閉されるようになっています。そして正面の「実相」の額の左右には、「七つの灯台」を象徴する七本のローソクの燭台が置いてあります。そしてまた室内正面の脇には、鉢植えの背の高い植物が置いてあり自然との融合を表現しています。講堂は正方形で外から眺めますと、ピラミッドの型の屋根が見えます。

 その他、宿泊して色々な行事が出来るように設備されています。海外からの来訪者にも活用できるように配慮されています。この「実相センター」が、いつの日か「生長の家世界伝道本部」機構が設置されて、地上の楽園ハワイが、霊的救済活動の一大拠点になることを願っています。 

 この実相センターが落慶したのは、昭和五十八年九月四日でした。そのときの様子を「生長の家」誌に投稿した記事がありますので、ここにその模様を紹介したいと思います。

    『生長の家実相センター完成! ハワイより光のおとずれ』
 神の人類光明化運動の一大法城として、特に英語圏への伝道の重要拠点として、私たちハワイの使命は大なるものがあります。その使命の中から、生長の家ハワイ実相センターの構想が生まれ、昭和四十七年谷口雅春先生御夫妻の第二回世界御巡錫のときに、建設用地を検分して頂いて以来十年、昭和五十八年九月四日、待ちに待った落慶の日を迎えることができました。

   『新しきエルサレム 天より降りて この聖地に鎮まり給ふ』

 谷口雅春先生より頂いたこの御言葉に、落慶なった実相センターのすべての思いがこめられています。私たちハワイの信徒は、この喜びを分ちあい、ますます祈りを深め、神の人類光明化運動を世界的に飛躍させる橋頭堡として、伝道に邁進いたします。

 去る九月四日の落慶式に関して、数々の不思議なことがありました。九月三日の夜、前夜祭はランタン・パレードの日であります。実相センターの付近は、いつも吹く風は止み、美しい星空で、ローソクに灯をつけての行進は見事に美しく、町の人々もしばし嘆声をあげて眺めていました。この夜もいつものように風が吹いてきますと、ローソクの灯が消えたりして困ると思ったのは杞憂でした。

 ところが、ホノルルやカイルアの方から来た人達は不思議な面持ちです。この時そちらは大雨で、とてもランタン・パレードどころではないと思って車を運転して来たら、ウイルソントンネルを抜けて実相センターに近づくと、定規で線を引いたように、雨がピタッと止まってしまったということでした。

 日本から百八名、米大陸から三十八名、ヨーロッパから一名、それに地元の人々、信徒の老若男女が、うちそろって静かな山並みの道を進み、ランタンの灯が、それはそれは美しく続きました。

 九月四日、空は雲ひとつなく晴れあがり、この青空のもと落慶式は、午前九時、聖歌隊の合唱とともに開始されました。落慶式会場は、講堂、ラナイ、それに庭といっぱい並べられた椅子に八百名以上の参加者でした。日本から来て下さった方々、米大陸から来られた方々、各島よりの参列者、そして地元の人々と、皆喜びを満面にたたえて祝福して下さり、私は涙とともに感謝しました。実相センターは、カネオヘにあるバレー・オブ・ザ・テンプルの隣り、美しい自然環境の中に、明るい雰囲気のみちみちている講堂、まことに天地融合の神仙境であります。

 式典は、明るく楽しく、しかも荘厳にすすめられました。徳久克己生長の家理事長をはじめ、日本の本部、アメリカ伝道本部からも諸先生に列席して頂き、地元からは、有吉知事の御母堂、井上ダン上院議員、藤谷本願寺総長をはじめ数々の方が祝福にかけつけて下さいました。井上ダン上院議員は「人間が物質文明の世界で、権力・地位等の争いに明け暮れる現代に、人間の霊性向上のためにあらわれた、この実相センターの出現の意義は大きなことです」と祝辞で述べられました。こうして式典が進み行く中で、参列のハワイ信徒の皆が、谷口雅春先生、輝子奥様、そして谷口清超先生、恵美子奥様の御恩をしみじみと思い、深く感謝いたしました。

 翌九月五日、実相センター落慶を記念して一日研修会が開かれました。神示を中心に、徳久克己先生、鶴田昌世先生、田村大先生らに神示講義をして頂き、研修生三八四名、み教えの偉大さを改めて認識すると同時に、"吾今立ち上がりて、神の人類光明化運動に挺身せん"との気迫に満ちあふれました。翌日はもうサヨナラ・パーテイです。たった四日間の短い間でしたが、海外の同信の友と過ごしたひとときは、私たちハワイの信徒にとって大きな喜びでした。

 このかけがえない『人間・神の子』のみ教えにふれた尊さを、あらためてしみじみと味わった日々でした。夜も更け、サヨナラ・パーテイも終わりに近づき、西に東に別れる時が来ました。ハワイの人たちの合唱する「アロハオエ」の歌声の中、神の人類光明化運動に挺身することを誓い合い、再会を約しつつ、固い友情と団結の握手を交し、美しい夜空に輝く星に祝福されながら別れました。

 友情と堅信に満ちあふれ、夢と希望にいろどられた、すばらしい実相センター落慶式典の数々でありました。                        合掌

 実相センターが完成して、そのことを長崎の総裁邸におられました谷口雅春先生に御報告に行きました。先生は「ハワイに行きたいね」とおしゃって下さいました。谷口雅春先生が「生長の家」誌・昭和五十八年十二月号の『明窓浄机』に次のように記事を書いて下さいました。聞くところによれば、これが『明窓浄机』としては最後のものであったとのことであります。

 「もう二十年も前でしたか、私がハワイに巡錫した際、彼の地の日系人の大学生は、他民族と異なり、その学業成績が優秀であり、常にトップ・クラスにあって優等生として表彰されているということでありましたが、現在も同様なことを伝え聴いて、日本民族の優秀性の自覚を更に深めて悦んでいます。ハワイ通信は尚次の如く悦びの言葉で続いています。


 『ハワイの生長の家実相センターでは、地域社会の人々のために、小学生を中心としてアフタースクール・プログラムというものを昨年の九月より始めていますが、昨年は六十名の子供でしたが、本年は九月の新学期には百余名の申し込みがありました。だんだん申込者が増えますので、第一期工事の完了した生長の家実相センターが、教室に使用する部屋がたりないといった嬉しい悲鳴をあげています。八月末の夜には父兄と新入学の子供たちが百三十名位集まってきまして、これからのプログラムの説明会がありました。その時に"生命の教育"について概要の説明がなされました。この実相センターは地域社会の人々からとてもよろこばれ、不思議なことが沢山起こっています。"七つの燈台"として、実相センターも活躍しています』と。

 九月四日がその落慶式だったが、奇跡が続出しつつある由。
 私たち夫婦がハワイへ巡錫し得る機会がおとずれることを、みなが今もたのしみにしてくれていると、通信にはありました。また、ハワイの実相センターには、今フィンランドの青年が御教えを学びたいとてやって来た由、私の念願通り、ハワイは風光明媚の地であり、国際的な中心道場となりつつあります。

 私の最初の構想の通り、世界伝道本部として、色々な人種が集って来ている由で『異なる民族が人類の兄弟として互いにみなが合掌して"アリガトウゴザイマス"と拝み合う姿は本当に美しいものです』と通信にはありました。世界の本当の永久平和はこのような実践からうまれてまいります。

 話が前後しましたが、このハワイの道場の祈りの間は、大変明るい日本間で造られており、『実相』の額をかかげ、そして創始者として谷口夫妻の肖像写真がかかげられ、何時も教祖と魂が一緒であることを、みんなが憶い返していられる由。『衆生仏を憶念すれば、仏衆生を憶念す』と仏典にあります。
 最近では、九月四日に、吾々谷口夫妻の魂が皆さまと御一緒に居ることを憶念しつつ、落慶式が厳かに執行せられた由です。」

 以上が谷口雅春先生の『明窓浄机』の最後となった御文章です。今、静かに先生の全世界光明化の御構想を思い返し、この世に在る者の大きな使命を感じるものであります。

 

ご業績とエピソードへ
総合目次へ