谷口雅春先生と御著書の「はしがき」について

仙頭 泰(元生長の家ハワイ教化総長)

 谷口雅春先生は昭和六十年(1985)六月十七日、午前七時五十三分、九十一歳でこの世のご使命を完全に果たされて帰天されました。今年は平成十五年(2003)ですから、十八年の年月が過ぎてしまいました。

 日本では、十年一昔といいますが、私にとっては昨日のように、谷口雅春先生の事柄がつぎからつぎへと思い出されます。谷口雅春先生の御講話を自分の耳で聞き、谷口雅春先生のお姿を自分の眼でハッキリと拝した人々もだんだんと、この世では少なくなってきました。

 谷口雅春先生は常にご自分を、「神のラッパ」であるとおっしゃっておられました。そして常に求道者として、謙虚な態度でお過ごしになりました。

 谷口雅春先生は、御講話のときには、必ずテキストブックを使用されました。それには、ご自分の著者名が書いてあります。はじめに本を開かれてから、まづ「ここに、このように書かれてあります。」と言われてから、本文を朗読されお話をされるのが谷口雅春先生のならわしでした。

 谷口雅春先生は、本の著者名は「谷口雅春」とありましても、先生ご自身は決して「わたしは、ここに、この様に書きました。」などと言われたことは一度もありませんでした。

 谷口雅春先生は、立教当初のご文章「生長の家とわたし」からでも分かりますように、つねに神のご指導を受けておられることを自覚しておられたのだと思います。そのご文章のなかに次のようにあります。

 「なかにはわたしを教祖あつかいにしてくださる誌友もあるが、わたしは『生長の家』の教祖ではない。わたしは諸君と共に『生長の家』の教えを聴聞して、ひたすら、その教えのごとく生きて行こうと努力する一人の求道者にすぎない。」

 「むろん」この雑誌の原稿はわたくしの手にもったペンにより書かれる。しかし、ひとたび『生長の家』を書こうとしてわたしがペンをもって机に向かうとき、もうふだんのわたしではないのである。霊きたりてわたしを導く。」

 「それと同じくわれらがいっそう高き世界より来る思想波動に感ずるためには、自分の心をその思想波動に調子を合わさねばならぬのである。ここにわれらは不断に心を清め、心をいっそう高き世界よりの波動に感ずるように訓練しなければならない。

 この訓練がたりないとき雑音が混じる。受けるインスピレーションが不純なものとなる。もしわたしの書くものに純粋でない雑音が混じっているならば、それはわたしの罪であって、霊界よりこの地上に『生長の家』運動をはじめた神秘者の罪ではないのである。」

 谷口雅春先生は神理伝道の旅をつづけられたのでありますが、その日程は決められたとおりに進み、天候も常に不思議な事象をあらわしました。谷口雅春先生は「自然現象を司る自然霊が、支援してくれているからだよ」と、話してくださいました。
 旅の車や飛行機のなかでも、聖経をポケットからだしてお読みになり、神想観をなさり、そして読書や原稿の執筆をされていました。

 「わたしと共に、求道の生活をつづけよ」と教えられた谷口雅春先生の熱い思いは、「詳説神想観」の「はしがき」の終わりのところでは、「これ(神想観)は神授のものであって、私自身も、これによって尚、修行中のものであることを申添へて置く。」 というお言葉で示されています。

 常に、神のお導きを受けておられた谷口雅春先生が、昇天される前にお書きに成られたご文章である「実相と現象」と題する本の「はしがき」のなかには、神への感謝の思いがあふれ、神からあたえられた地上でのご使命を充分に果たされたという悦びが、満ち溢れているのが伝わってまいります。

 その「はしがき」なかの結びには、つぎのようなご文章があります。
 「そして谷口に賜った神々の大いなる恩寵に、唯々感謝合掌、悦びが、悦びの波動が見渡す限り拡がる様を、心眼に拝するのである。」

 「先の海外巡錫の時よりも若い時代の著述が多いが、もとより谷口の脳髄知、谷口の力倆で構えて説いたものではない。いずれもその折々に最も相応(ふさわ)しい神々の指導助言の賜(たまもの)である。万般の奇瑞が続出するのも、故なしとしない。
 諸賢が本著に親しまれることにより、"聖なる求め"を放棄することなく、日に日に高きを望み、深きに入りて真理を体得せられんことを、神に代わり切に望むものである。」

 谷口雅春先生の数多くのご著書のなかから、「はしがき」の一部をここに紹介したわけであります。これらを拝読するだけでも、谷口雅春先生が如何に偉大な霊的指導者であられたかが、わかるのであります。

 谷口雅春先生は、釈迦やイエス・キリストのように、神の啓示を受けられそれを人類に伝えるといった「預言者」としての特別なご使命をもってこの地上に降誕された方であることが、しみじみと分かるのであります。

 ここで云う「預言者」は、世間でよく云う「豫言者」とは意味が全く違いますので、間違いのないようにして下さい。この「預言」という語がでてくる「終戦後の神示」の最後のところには、つぎのようなお言葉があります。
 「古事記の預言を廃(すた)れりと思うな。預言は成就しつつあるのである。ただその預言を間違って解釈する人が多いのである。」

 それから生長の家の神示のなかには、「今かの黙示録が予言した『完成の燈台』として人類の前に臨むのである」とか、「われは『七つの燈台』に燈(ひかり)を点ずる者である」とか、「われは存在の実相を照らし出す完成(ななつ)の燈台に燈(ひ)を点ずるものである」とか、「『生長の家の神』と仮りに呼ばしてあるが、『七つの燈台の点燈者』と呼んでも好い」とか、「われは七つの燈台に燈(ひ)を点ずる者である」というお言葉が数多くでていることです。

 これら三十三ある神示にはそれぞれ名称がついていますが、総括して「七つの点燈者の神示」と呼ばれています。「七つの燈台に燈を点ずる」、ここに生長の家の大使命を感じるのであります。

 「至上者の自覚の神示」のなかに、「釈迦は決して憑霊の傀儡ではない、基督も決して憑霊の傀儡ではない。いずれも自己内在の無限性を掘下げて終(つい)に仏性に達し、神性に達したから、霊界の諸霊来って此の二聖に事(つか)えたのである」と。
 谷口雅春先生もまたそうでありました。             合掌

 

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