生長の家"立教の精神"に学ぶ

   仙  頭      泰

 昭和五十四年(1979)三月一日、午後四時半より東京のホテル・ニューオータニにて、生長の家立教五十周年記念祝賀会=谷口雅春先生・輝子先生に感謝する集い=が開催された。その時の式次第を見ると、生長の家理事長は和田英雄氏であった。来賓の祝辞には、内閣総理大臣大平正芳氏、前内閣総理大臣福田赳夫氏、産経新聞社社長鹿内信隆氏、明治神宮宮司伊達巽氏、作曲家黛敏郎氏の名前が記載されていた。

 また信徒代表祝辞には岡山県教化部長喜多登氏であった。そして、この祝典の中に「鎮護国家住吉本宮崇敬会発足について」経過説明が崇敬会設立準備委員会事務総長の田中忠雄氏からあり、その後、崇敬会代表世話人・衆議院議長灘尾弘吉氏から挨拶があった。そのあと花束の贈呈、谷口雅春先生のお言葉となった。各界の名士数百人が集まっての感謝の集まりであった。その中には中曽根康弘氏の姿もあった。

 三月一日の午前中、飛田給の本部練成道場において、谷口雅春先生、輝子奥様の五十年にわたる人類救済の御偉業を讃えて、心から谷口雅春先生御夫妻に感謝を捧げる「立教五十周年記念祝賀式」が盛大厳粛におこなわれた。

 昭和五十四年五月の青年会全国大会の時には、「躍進するわれら」と題するパンフレットを作り参加者に配布した。その中で「生長の家立教五十年を迎え"立教の精神"に学ぶ」と題した記事を掲載し、若き人々に対して表題の内容をしっかりと認識させたのである。今ここに、あの日の感激を新たに思い返し、今日、新しく御教えにふれた若き人々にも生長の家の歴史を正しく認識をして頂く一助として、その時のものをここに掲載する次第である。

 立教五十周年を迎えて

 生長の家は、昭和五十四年三月一日をもって立教五十周年を迎えた。
生長の家が谷口雅春先生を通じて地上に発祥したのは、昭和四年(1929)十二月三十一日、『生長の家』誌の創刊号が製本完成したときであり、それは、兵庫県武庫軍住吉村八甲田(現在の神戸市東灘区住吉町八甲田)と称されるところであった。
 『生長の家』創刊号の奥附には、昭和五年(1930)三月一日発行と印刷されているが、それは一月から三月までに宣伝頒布期間の余裕をもたせるためであった。そして、この三月一日の発行日をもって生長の家の立教の始源とされているのである。

 
 さて、生長の家は、今から(平成十五年)七十四年も前、谷口雅春先生が兵庫県の住吉村に住んでおられた時、毎日、朝風呂に入って禊をされ、近くにある住吉大神を祀る本住吉神社に参拝されて、日本国家の隆昌と御皇室の弥栄を祈っておられた時、「生命の実相を知れ」「人間神の子」「今即久遠」「天地一切のものと和解せよ」の神啓を受けられた時にはじまったのであるが、そこに至るまでには谷口雅春先生の血の噴きでるような、しかも凡ゆる分野にわたっての勉学と求道の過程が、その背後にあったのである。

 即ち「――地上にいのちを受けたところの衆生の一人(注・谷口雅春先生)が、その『視えるところのいのち』の矛盾に悩み苦しみ、そのいのちが本物のいのちではないことに気付き始め、単にあるが如く視えるところのいのちではなく、ついに本物の久遠の、本当にあるいのちを掴むまでの思想歴史」(『仏教の把握』)がその背後にあったということである。

 従って、生長の家の光明思想すなわち唯神実相哲学は、昭和四年(1929)の十一月のある日、谷口雅春先生の脳裡に、ふと、なんということなしに降って湧いたものではなく、谷口雅春先生の命懸けの求道と思索の積み重ねとあるゆる生活体験とが融合し、それが昇華された瞬刻に、実在の世界に久遠の昔からあるところの生長の家が地上に持ち来たらされることになったのである。そしてその時こそまさしく人類救済の瞬刻でもあったのである。

 谷口雅春先生は、その感動のクライマックスの情景を『 生命の実相』の"自伝篇――「神を見るまで」――"においてつぎの如くお書きになっている。

 啓示の瞬間

 「或る日、私は静座合掌瞑目して真理の啓示を受けるべく念じていた。私はその時、偶然であろうか、神の導きであろうか、仏典の中の『色即是空』と云う言葉を思い浮かべた。と、どこからともなく声が、大濤のような低いが幅の広い柔らかで威圧するような声が聞えて来た。

 『物質はない!』とその声は云った。で、私は『空即是色』と云う言葉をつづいて思い浮かべた。
 と、突然その大濤のような声が答えた。『無より一切を生ず。一切現象は念の所現にして本来無。本来無なるが故に、無より、一切を生ず。有より一切を生ずと迷うが故に、有に執して苦しむのだ。有に執せざれば自由自在だ。供給無限、五つのパンを五千人に分かちて尚余り、「無」より百千億万を引出して尚余る。現象界は念のレンズによって転現せる化城に過ぎない。彼処に転現すと見ゆれども彼処に無し、此処に転現すると見ゆれども此処に無し。知れ、一切現象なし。汝の肉体も無し。』

 では、心はあるであろうかと思うと、その瞬間、『心もない!』とその声は云うのだった。今迄、私は『心』と云う得体の知れない悍馬があって、それを乗りこなすのに骨が折れると思っていたのだ。ところが『心もない!』と云う宣言によって、私はその『心』の悍馬から実相の大地に降りたのであった。

 『心も無ければ何も無いのか』と私は再びその声の主にたづねた。
 『実相がある!』とその声はハッキリ答えた。
 『無のスガタが実相であるか。皆空が実相であるか』と私は尋ねた。
 『無のスガタが実相ではない。皆空が実相ではない。皆空なのは現象である。五蘊が皆空であるのだ。色受想行識ことごとく空である!』
 『空と無とは異なるのではないか』と私はたずねた。
 『空と無と異なるとは思うな。五蘊皆空であるのに空とは無ではないと思うから躓く。空を無とは異なると思い、「無ではない」と思うから又、「五蘊は無いではない」と引っかかるのだ。「五蘊は無い」とハッキリ断ち切ったところに、実相が出て来るのだ。無いものを無いとした処に、本当にアルモノが出て来るのだ』
 『では、実相とは何であるか』と私は訊いた。
 『実相とは神である。あるものは唯神のみである。神の心の顕現のみである。これが実相だ。』此処に神と云うのは無論『佛』と云う意味も含んでいた。
 『心も無いのが本当ではないか』
 『無い心は受想行識の心だけだ。そう云う意味でなら佛もない、衆生もない、心、佛、衆生三無差別と説く場合には、心もない、佛もない、衆生もない。衆生を抹殺し佛を抹殺し、心を抹殺し、一切無いと一切を抹殺したときに、実相の神、久遠実成の佛が出て来るのだ。』
 『それが、キリスト教ならイエスを十字架にかけることになるのですか』
 『そうだ。肉体イエスを抹殺した時、実相のキリスト、アブラハムの生まれぬ前から生き通しの久遠のキリストが生きて来るのだ。イエスの十字架は現象を抹殺せば実相が生きて来ると云う象徴である!今、此処に、久遠生き通しの生命が復活する。今だ、今だ!久遠の今だ!今が復活だ!今を活きよ!』
 
 私の眼の前に輝く日の出の時のような光が燦爛と満ち漲った。何者か声の主が天空に白く立っているように思われたが、それはハッキリ見えなかった。暫くするとその燦爛たる光は消えて了った。私はポッカリ眼をひらくと、合掌したまま座っている自分を其処に見出したのであった。」

 谷口雅春先生は遂に得られたこの悟りの喜びを人類に発表し、これを伝えることが、経済的無力と御自分の身体の虚弱という現実の前に躊躇していて思いきって雑誌の発行に踏み切る勇気が出なかったのであった。

 「『物質は無い、肉体は無い』と悟りながらも、尚、過去の迷いの惰力で、実生活の上では、物質や肉体を存在すると思い、それの欠乏や虚弱を一個の実際的障礙であると思っていたのであった。雑誌を出すことを念願したり思想的に人類光明化を念願するようなことが一個の聖者振ろうとする利己的野心であるかのように考えて、自己のそうした念願を否定する詩を、筆のすさびに書いてみたりしてみづからを慰めることもあった」とその頃の心境を書いておられる。で、そうした葛藤のある日、谷口雅春先生は二度目の盗難に逢われたのであった。そして、この盗難こそ、人類に福音をもたらす契機となったのである。

 第二の啓示を受ける

 「盗難、それは他の人にとっては何でもない、ありがちな人生の出来事に過ぎないのであった。併し、私にとっては重大な意義があった。と云うのは、私の悟りを発表して人類を光明化するための雑誌を発行するのは、月々の月給の一部を貯蓄して、それが発行維持費に達した時に始めようと思っていたからであった。併し関東震災後、これで私の盗難は二度目であって、いつも幾らか平常の衣服などが揃ったと思う時分に、全部ソックリそれを持って行かれるのであった。

 こんなことを続けていたら、いつ私の使命感を完うする仕事が出来る時が来るか判らない。永久に、私の使命感を果たさずにこの肉体は死んで了うかも知れないと思った。その時、
 『今起て!』と云う声が、覚えず私の頭の中で、どこからともなく降るように聴えて来たのだ。
 『今起て!』とその声は云った。
 『今のほかに時はない。「今」の中に無限があり、無尽蔵がある。軍資金が出来てから、時間の余裕が出来てから、身体の余裕が出来てから、光明化運動を始めようなどと云うのは間違いだ。三界は唯心の現れだ。力が出ると知れば、その時既に無限の力は汝の有である。実相のお前は久遠の神性であり、既に無限の力を持っているのだ。既に無限の力を有っているのだ。』
 
 もう、私は何の懸念するところもなかった。私は早速ペンをとって、雑誌『生長の家』の原稿を書き始めた。――」

 五十年を貫く"立教の精神"

 それは、昭和四年(1929)十一月十三日のことであった。そしてその年の暮、『生長の家』誌の創刊号が出来上がったのである。谷口雅春先生は創刊号の巻頭において「生長の家出現の精神」を高々と掲げられたのである。

 「自分はいま生長の火をかざして 人類の前に起つ。起たざるを得なくなったのである。友よ助けよ。同志よ吾れに投ぜよ。人類は今危機に瀕している。生活苦が色々の形で押し寄せて、人類は将に波にさらわれて覆没しようとしている小舟の如き観はないか。自分は幾度も躊躇した。起つことを躊躇した。自分は中心者として増上慢のそしりを受けることを恐れていたのだった。一求道者としていつまでも謙遜でいたかった。

 併し今は謙遜でありたいと云うことが自分にとっては安易を貪る一つの誘惑と感じられる。自分は此の誘惑に打ち克って人類を救わねばならない。自分の持っている限りの火で人類を救わねばならない。自分の火は小さくとも人類の行くべき道を照らさずにはおかないだろう。此の火は天上から天降った生長の火である。

 火だ!自分に触れよ。自分は必ず触れる者に火を点ずる。生長の火を彼に移す。自分は今覚悟して起ち上がった。見よ!自分の身体が燃え尽すまで、蝋燭のようにみずからを焼きつつ人類の行くべき道を照射する」

 この立教の精神が、そのまま谷口雅春先生の真理宣布のお姿となり、御行動となって人類光明化運動、日本実相顕現運動として今日に至っているのである。そしてこの五十年の間、内外ともに激動する昭和史にあって、谷口雅春先生は、一貫して人間と、天皇と、日本国の実相を説き続けてこられたのである。そして、生長の家人類光明化運動も、幾多の試練をこえて、組織的にも政治、経済、教育、文化等々のあらゆる分野にも大きく発展を遂げ、今や国内だけでなく広く海外にも生長の家の真理が宣布されるまでになったのである。

 まことに生長の家五十年の歴史とは、谷口雅春先生の歴史である。そして五十年の歴史を貫いているものは、まさに立教のあの精神そのものにほかならないのであり、光明化運動の諸方面の発展の全てもその具体的な展開にほかならないのである。そして、また生長の家五十年の歴史とは、真理の炬火を掲げられた谷口雅春先生の膝下にわが身を投じたところ全ての人々の志と信仰の証しの歴史でもある。われわれはこのことを立教五十年を迎えた今日、心に深く銘記し、更に住吉大神の御顕斎後の新たなる運動に邁進してゆかなければならないのである。

 結び

 われら平成十五年(2003)の御代に生を得ているもの、いま一度この立教の精神にたちかえり、「生命の実相哲学」に立脚して如何にしてこの二十一世紀を霊的文化の華さく、住吉の世とするかを真剣に考え実践して行こうではないか。

 谷口雅春先生はつぎのようにお話くださったことがある。
「或る霜の真っ白に降りた寒い冬の日の朝、庭の梅の木に可憐な梅の花が一輪咲いていた。これは、今は眼に見えないが、もうすぐ万物が馥郁として花開く春がやってくるとの知らせである。否、肉眼には見えなくても、もうすでに春が来ていればこそ、この一輪の梅の花が咲きでたのである。この一輪の梅の花の示す意義は大きいのである。」と。

 されば、われらが「生命の実相哲学」を学び、その真理を各自の場において実生活に展開し、結実させている意義もまた一輪の梅の花として、その持つ意義は大なるものがあることを識るのである。われらは自己の欲する道に於いて既に社会人として、教育界で、経済界で、思想界で一流人として日本の社会に飛躍している仲間が輩出しているではないか。また家庭にあって、すばらしき子供を産み育て、すぐれた夫を拝みだし、命の安らぎ憩う明日への活力の源泉として、大地なる母として神の愛を堅実に生き抜き、すべてのよきものを産み出し育む愛の天使たる女性がいるではないか。            
 
 「生命の実相哲学」に今日ふれることのできた読者の皆さん! 星の数ほどあると世間の人が云う人間の中から、この偉大な「生命の実相哲学」にふれられたことは、偶然のことではない。「あなたには、あなたでなければなす事の出来ない使命」をもってこの地上に誕生してきたのだ。以前、ニューヨークの教会で谷口雅春先生が聖書をもとにして「人間・神の子、原罪本来なし」の話をされた時、黒人の青年が人生の意義を知り魂の底から救われたことを思い出してほしい。この地上には無駄な人は、誰一人存在しないのだ。神は私たちが生きているだけでも、喜び祝福しておられるのだ。

 今日ここにはじめて、「生命の実相哲学」にふれられた若き諸君、この人生の荒波を乗り越えてきた人生の先輩として訴える。諸君は、このすばらしき「生命の実相哲学」を人生のジャイロコンパスとして、人生の大海原を活気凛々として航海せよ。われらは常に叫ぶ。「われ神を選びしに非ず、神われを選びしなり」と。 



   青年会活動をしていた時に、常に祝福しあった言葉をここに書き写し筆をおく。

                      新しき友に
         
                  われ等今日ここに   
                  新しく『神の子』のあなたを
                  霊の選士の兄弟姉妹として
                  迎えたことを
                  神に心より感謝すると共に
                  終生かわることなき
                  友情と団結で
                  神の人類光明化運動に
                  邁進することを誓う

 

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