谷口雅春先生の海外での思い出

仙頭 泰(元生長の家ハワイ教化総長)
      

 谷口雅春先生ご夫妻の海外御巡錫(昭和38年3月10日、日本出発、10月14日帰朝される7カ月)のお供をさせていただいて、世界のあちこちで不思議な出来事に多くぶつかりました。私にとっては、聖書にあるイエスの奇蹟を眼の前で見せられるようでした。谷口雅春先生は、すべてが整って物事が順調に行くことを「円滑現象」と言うのだよと、語って下さいました。行くさきざきの天候までも、もっともよい状態に変化していました。

 聖書の一節に「すべて良き木は良き実(み)を結び、悪い木は悪い実(み)を結ぶ。良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。……このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。」(マタイ伝・第7章)という言葉があります。生長の家は立教以来75年、世界の各國に植えられた"生長の家"の樹は人種・言語・風俗・習慣などを超えてしっかりと大地に根をおろし、善き実たる素晴らしき数々の体験を生み続けています。
 今回は谷口雅春先生ご自身が、不思議な出来事(私達から見て)について書かれた御文章をここに紹介いたします。

      日本にいながら世界を翔る
                    
私が海外の全然、見ず知らずの"生長の家"の生の字も知らぬ人のところに姿をあらわし、夢の中で教えを説きその人を救った後、その人が生長の家の本を読んだり、私の肖像写真を見て「あの夢の中で私に教えを説いて下さった人は、この肖像写真の人だった」と、丁度アフリカのブラックソン氏のようにあとから気づく人が随分あるのである。特にブラジルの人たちのなかにはその実例の体験がしばしばある。

10年前にわれわれがブラジルに巡錫した時には、私は齢(よわい)満70歳何カ月であったが、ブラジルの全新聞が、70歳の私がわざわざブラジルを光明化するために来伯したことを筆をそろえて書いてくれていた。だからパカエンブー市の市長アワモル・ヴェランガ・ムギナイ氏はその記事を読んで、私という人間を白髪又はゴマ塩頭の70翁が自分の市へ来るものと思っていた。

その頃、ムギナイ市長は胃癌その他疾患でサンパウロ市の大病院に入院して胸腹部のT字形切開手術をしていられたが、州知事が私を"州賓"として出迎えて歓迎の意を表していられるのに、その州の傘下にある市の責任者がみずから出迎えなければ礼儀を失すると思って,是非早く手術後の衰弱から回復して、パカエンブー市に帰って私を出迎えたいと思っていた。すると、そのムギナイ市長の夢に現実にはまだ見たことも無い私が姿をあらわしたのであった。その姿があまりに若いので、
 「あなたは誰ですか」と市長はたずねた。
 「僕は谷口だよ」と言った。そして
 「私が手に触れて治してあげよう」
といって、私は夢の中で市長の体を抱きかかえるようにして、掌を腹部にあてたのであった。

 その夢のあと3日にして元気を回復して退院し、私の講演会の準備をせられたのであった。その後私はまた、市長の夢の中にあらわれた。その夢の中での問答が面白いのである。
 私は市長の話に答えて「サバド、サバド」と言った。サバドとは、ブラジル語の土曜日のことである。私がブラジル語を話すので、市長は「谷口先生はブラジル語を知っているのですか」と、きいた。
 「いや、知らない。しかし魂でわかる」と、私は答えたそうである。

 市長の手術後、36日目の7月5日、私たち一行はアダマンチーナの町からムギナイ市長のおられるパカエンプー市に車でついた。市長はわざわざ出迎えに出てこられ、私の車を停めて公園の中にある高台に案内して、その席で私たちに花束を贈られると、高台の周囲を取り巻く市民たちに私たちを紹介して、午後1時から講習会の第1講座がひらかれるから、成るべく聴講するようにと勧められた。

 その晩、パカエンブーの生長の家で晩餐会が催され、市長は「新聞で見ると、70歳
の老先生が来られると承知していたのに、夢の中では50歳位の髪も黒い若々しいモッソだったので、別の人を夢に見たのかと思っていたら、今、会って見ると、夢の中で見た通りのモッソだった」と感心したように言われた。モッソとは、ブラジル語の「青年」ということである。

 翌日、7月6日、午前8時から講習会の第2講座が前日同様シネマ劇場で、第3講座は午後1時からあった。ムギナイ市長はそれを聴講して感激おく能わず、「谷口先生のような人が世界各国にあらわれて国民を指導して下さったら世界は変わるであろう。今晩、市民を公園に招集するから、あのお立ち台の上から市民向けの一般公開講演会をして頂きたい」と言われるので宮原毅さんを通訳に2時間ばかり話した。急に人を集めたから市民全体という訳には行かなかったが、2,000人近く集まっているとの事であった。

ムギナイ市長は講演会が終わると、私の側へ寄って来られ、
 「夢の中で私を抱いてくださったように両腕で抱いて掌を腹にあてて下さい」といわれた。私は親しい人と別れを交わすような恰好で暫く市長を抱きしめた。「今はサバド(土曜日)です。先生がサバド、サバドと夢の中で前におっしゃいました。その理由がその時はわかりませんでした。しかし、今はわかりました。夢の中でおっしゃったことが成就したのです」と市長は言った。

 わたしの霊がはるばるアフリカのガーナ国のブラックソン青年の夢に度々あらわれて"真理"を説き、その"真理"をブラックソン青年がアフリカ人に説き始めたら、治病をはじめ色々の奇跡が起こり、既に10万人の黒人信徒が出来、大きな教会建物が建立せられるに至ったというので人々は色々噂しているのであるが、単に霊が"夢枕に立つ"というだけなら不思議でも神秘でもないのである。臨終の人の"愛する人"への逢いたい切なる思いが感応して相手の人に"死の瞬間"に霊姿をあらわした実例などはたびたび聞かせられているのである。

 しかし夢にあらわれた人物が、諄々と真理を説き、その夢を見た人が、その説かれたる真理を明確に憶え、その憶えた真理を人々に伝えると難病が治ったり、色々の奇跡的功徳をあらわしたところに特に神通的な現象として人が驚くのである。それはどうしてかというと、霊は四次元的存在であって、第四次元の通路を経るのであるから、縦横厚みの三次元の廻り遠い距離を通るのではないので、地球の裏側に達することも、別に遠いことではないのである。

 わたしは、こうしてアフリカやブラジルを翔けめぐって人類救済に忙しいのである。しかし私の肉体はやはり日本にいるのである。日本にいながら全世界を翔けめぐって人類救済する。このような神通力を六神通のうちの神足通と称するのである。法華経の中には、釈尊が「座を立たずして夜摩天宮(やまてんぐう)に昇り給う」という一節がある。これが神足通である。「座を立たずして」と言うのは「その場に坐(い)ながらにして」という意味である。肉体はその場にいながら、"夜摩天"という天人の宮殿に釈尊は姿をあらわされたのである。
     
                               (終わり)


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