神啓と谷口雅春先生

仙頭 泰(元生長の家ハワイ教化総長)


 「神真理を告げ給う」の本のなかに、つぎのようなことが書いてあります。
「"わたし"は今まで多くの教祖や哲人を通して人生の意義を説いて来た。君たちのうちには熱心に真理を求めて色々の学者の説を読み、それに基いて思索をし、既に人生の意義を知ることが出来た人もある。

 しかしそんな人は非常に稀であって、大抵は、自分の偏見や既成概念の中を迂路チョロしていて、悟ったつもりで実際は悟っていないか、真理なんて求めても到底得られるものではないのだという絶望感で、"聖なる求め"を放棄している人もある。そのような人たちに"私"は、今ふたたび真理を知らせてあげたい愛念によって、今此処に谷口雅春を通して真理を説こうと思うのである。」

 ここには、神の大いなる愛念で、神が多くの教祖や哲人を通して私たちに人生の意義を説いて戴いていることが、しみじみと理解されるのであります。それと同時に私たちは真理の奧の深さを知りますます精進して行くことが大切であることを感得するのであります。それと同時に、神のみ言葉を人類に伝える使命をもってこの地上に誕生された谷口雅春先生の膝下に集うことが出来た私たちは、本当に素晴らしい存在であります。

 神理の探求ということは、私たちの生涯かけてなすべきことであります。それは私たちが毎日食事をして肉体を養うエネルギーをとるのと同じことであります。本当の人間、霊的実在なる人間には、霊的エネルギーが必要なのであります。それが神理を学ぶことによって得られるのだあります。

 この現象世界を見てみますと、人の心の描いたもの、即ち心の振動が一つの行為となって現象界に現れて来て、結果となるのであります。私たちにとって大切なものは、何時も神と一つになった心の振動をすることであります。何時も神と波長のあった心で生活をすることであります。その為には、反省と精進が必要です。神理を学び、それを生活に実践することであります。今その偉大なる神理を、神が谷口雅春先生を通して、教えて下さっているのであります。このことが、明示してあります。

 次ぎを読みましょう。
 「世の中には偉大なる宗教家もあり、碩学もあり、哲人もあり、既にそれらの偉大なる人たちの思想や信仰に共鳴し、同調し、心酔し、讃仰して、彼を聖者の如くあがめて集まって来た人たちが集団をつくって運動している団体もある。それらはそれぞれの悟りの段階に於いて、それでよろしい。

 それらの宗教教祖や碩学や大哲の中に"わたし"は宿って、人々を導くために"わたし"は書いたり、説いたりしてきたのだ。真理は人間の肉体から生まれて来るものでも、人間の脳細胞から生産されて来るものでもなく、実にそれらの人々に宿っている"わたし"がそれを説いているのである。」

 神は今までに、人類に神理を知らせるために、宗教教祖とか哲人とかを通して教えを説かれたことを、明らかにしておられます。そして団体にも、悟りの段階のあること、つまり説かれている内容に、段階があることが分かります。また、真理は人間の肉体からの産物ではないこと、このことが明示してあります。次ぎに、進みます。

 「しかし人間は在来からもっていた先入観念や薫習というものがあって、人間を通して真理を説く場合、どうしても、それによって"わたし"の説く真理が歪められ、賦彩
(イロヅケ)されて、"純粋なる真理"をそのままであることはむつかしい。併し、それはそれでよいのである。」

 ここに神が人類に神理を知らされる場合、人を選んで通信を送られ、更にその人を媒介として多くの人々に神理が語り伝えられることになります。この場合には、神の言葉を神より預かり人々に伝える立場にある人の、生まれ育ってきた環境、境遇、それにその地方やその時代の影響により、神の説かれる神理が歪められたり、色づけされてしまい、"純粋なる真理"そのままが伝えられることは、むつかしいことであると此処に示されています。そして、そのことについては、「それはそれでよいのである」と示されています。

 人生は魂を磨く学校であり、学年が進むに従って高度なことを学び、実践していくのであります。この人生学校での魂の向上については「霊魂進化の神示」の中で、色々と私たちにどの様にすべきであるかが、示されています。私たちは、神の分霊(ワケミタマ)であり、永遠の生命の中で無限の輪廻転生をしつつ、無限向上の道を歩んでいるのであります。

 今、この世に生をうけ、宇宙創造の秘密を学び、人間創造の秘密を学ぶことの出来る私たちは、本当に幸福な人間なのであります。この絶好の機会を逃がすことなく、霊的な向上をしなくてはなりません。人として生をうけたことは、大変素晴らしいことなのです。この機会を有効に使用して霊的向上をすることも、この機会をただ何となく無駄に時間を消費してダラダラと人生を過ごすのも、いづれもその人その人の自由意志にまかせられているのであります。

 しかし、その結果は次ぎの世界に移行するとき、私たち一人一人の人生学校の成績として、影響があります。仏教では、人の世に生をうけることの素晴らしさを教え、そしてこの人生を無駄に生きないように、その指針として「八正道」を人々に教えています。

                            (終わり・251-11)


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