【伊勢神宮内宮での早朝神想観と正式参拝】
九月十七日、十八日に行われた第三回伊勢一泊見真会は、午後一時からの開会式に先立ち、前泊組による伊勢神宮内宮での早朝神想観実修から実質的に始まった。午前四時五十分に会場である修養団伊勢青少年研修センターの玄関前に約三十名が集合。空は未だ暗い。出発前に長島真山氏が「日章旗奉戴の祝詞」を朗読。五時に宇治橋を渡って内宮に入る。我々以外誰もいない。夜明けを告げる長鳴き鳥の声が聞こえる。薄暗がりの中、内宮正殿前で持参したシートを敷いて坐す。
中島省治講師の先導で「伊勢神宮の神前における神想観」を実修。流石に足は痛いが神想観の言葉に集中。虫の音も聞こえる。神想観が終わると夜も明け初めていた。
虫の音に心澄まして内宮に佇みおれば夜も明け初めり
一旦会場に戻って感謝行を終えると朝食。八時四十分から座談会。「感謝」について多くの人が体験を語った。一人「感謝できない」と言う人がいて、逆に盛り上がった。「親への感謝に始まり、日本人の究極の感謝は天皇陛下ヘの感謝だ」が結論であった。
十時半、神宮正式参拝のため前庭に五十名強が正装して集合。宇治橋前の鳥居をくぐった後は私語禁止で四列縦隊で整然と進む。途中で小雨が降り出す。内宮に到着すると、神官に先導されて一同本殿の中庭に入る。中島省治講師の先導で二礼二拍手一拝の正式参拝を行う。参拝を終えると後ろ髪を引かれる思いで帰路につく。いつ見ても、神宮の屋根の曲線の美しさは見事だ。
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【開会式】
午後一時、開会式。司会は江副嘉彦氏、進行は堀本元忠氏。神宮遥拝、国歌斉唱、開会の祈り、「生長の家の歌」斉唱に続いて、古賀信孝実行委員長が開会の挨拶。今回の研修の目的は、「個人の救済、日本国実相顕現さらに宇宙浄化にある」と力強く宣言。その後、道場の澤好成道事務長が挨拶と共に、山鹿流で大太鼓「日本号」を披露。胸に「ドーン」と嗚り響いた。
第一講話は、中島省治講師による「谷口雅春先生を学ぶとは如何なることか?」。
驚いたことは、谷口雅春先生は「明窓浄机」昭和二十年十二月号で既に「生長の家が個人の魂の救済という単なる宗教運動に終始して、政治力にまで発展せしめ得なかったため、大東亜戦争を未然に防ぎ得なかった」と反省され、政治結社「全国精神主義連盟」の設立を宣言されていることであった。
最後に「生活の智慧三六五章」にある「あなたは神の全徳の噴出口であることを、本当に悟ったならば、人々を救う力が湧き出てくる」のお言葉を紹介され、「立ち上がれ!」「行動せよ!」のお言葉で締め括られた。
聖歌の後、第二講話は仙頭泰講師による「谷口雅春先生について」。
病後のため、お顔はやや痩せられたようにお見受けしたが、お声は以前と全く変わりなく力強い魂の声であった。谷口雅春先生曰く。「私は昭和の北畠親房でありたい。私の中には天皇を守る血が流れている」と。単に「人類光明化運動」では、人間心で運動を展開することになる。神示には「神の人類光明化運動」と書かれている。我々は「神の人類光明化運動に奉仕させて頂いている」と力説。
次いで、二名の方の体験発表。
大阪の大塚治氏は誌友会を二十回開催して学んだことを発表し、最後に「人類光明化運動の戦士を讃えて」を力強く朗読した。
和歌山の蕨野世子氏は神様との一体感を得たいと真剣に行じて、『続真理の吟唱』の「常楽無尽の天国を実現する祈り」を拝読している時に神様の愛を全神経で感じたと発表。
休憩、愛唱歌斉唱後、長島真山氏による「笑いの練習」。二人ペアで握手しながら笑ったり、目を見つめて笑ったり、ユニークで愉快な「笑いの練習」だった。
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第三講話は、石川県にある日本航空第二高校校長の浅川正人講師による「人を愛し、国を愛す」。
祖母の代から「生長の家」で、小中学校練成会で「天皇国日本」の素晴らしさを学び、そのお蔭で今の自分がある。その恩返しという気持ちから今の仕事に就いている。
日本航空高校は靖国神社に参拝していること、『甘露の法雨』を持って甲子園で活躍したこと。知覧の「富屋旅館」に泊まったこと。特攻隊員は鳥浜トメさんに「おばさん。僕の分まで長生きして下さい」と言って出撃して行った優しい子達だったこと。靖国神社は彼等の同窓会場である、と訴えられた。
夕食後、笑いの練習、聖歌練習の後、三名の体験発表。
最初は、竹島返還運動の事務局長の梶谷満里子氏。「この運動は神様の運動です。出雲の神々から始まって、伊勢の神々の御加護を頂いている。戦後顧みられなかった竹島が、今年の六月、衆参両院の本会議で『竹島の領土権の確立を求める請願書』が可決された。この間、何度も根気よく東京の議員会館に足を運んで国会議員を動かした。平沼赳夫議員が『命懸けでやります』と言ってくれた。皆様も地元の国会議員に竹島問題を訴えて下さい」と我々に訴えた。
続いて、大分県の中村賢治氏。神想観が分からなかったが、「ただ我武者羅にやれ」と言われて、何も求めないで坐ったら、「ここがこのまま実相の世界である」という言葉が素直に入ってきた。その後は、人を治す力も授かった。
最後に、広島の中尾建三氏。現在の日本には様々な問題が山積しているが、なんとか持ちこたえているのは、天皇陛下のお祈りと、谷口雅春先生の教えを受けた人達が各界で支えているお蔭である。私もこれから頑張ります、と力強く宣言した。
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本邦初公開の「浄心行」
今回の見真会のメインイベントとも言うべき「浄心祭」に先立ち、第四講話として伊藤陽夫講師が「浄心」について話された。
龍宮住吉本宮の宮司も務められていた伊藤講師は、三年前、明治神宮を定年退職されると、慰霊のため単身沖縄に行かれた。沖縄戦の死者は十七万九千八百余人で、県民の四人に一人が亡くなられている。伊藤講師は大田実司令官が自決した海軍司令部壕跡のコンクリートの上で、毎朝三年間慰霊された。今年、沖縄護国神社の宮司となった。「八紘一宇」とは「世界連邦主義」であり、日本神道は他宗も抱擁するし、日本にしか通用しないものではなく普遍性を持つ。天照大神は日本だけの神ではなく宇宙の大神である、と述べられた。
いよいよ「浄心祭」である。今回の「浄心祭」は神式の儀式で行う本邦初公開の「浄心行」である。正面壇上に神棚をお祀りして、伊藤宮司と天香具山神社の皆見宮司の補佐で執り行われた。
先ず、「降神の儀」。創立五十周年の年に、龍宮住占本宮に谷口雅春先生が住吉大神をお招きした際のテープを流し、雅春先生の「降神の祝詞」、「アーオーウーエーイー」に続いて、当時の伊藤宮可の馨蹄(けいひつ)「オー」。雅春先生の気合い「イユー」、伊藤宮司の馨眸と続いた。雅春先生のお声にはお年を感じたが、最後の裂帛(れっぱく)の気合いはいささかの衰えもなかった。
続いて、「献饌の儀」。伊藤宮司の祝詞奏上、「アーオーウーエーイー」、気合いによって、龍宮住吉本宮より住吉大神を見真会会場の神棚の依代(よりしろ)に招いた。
続いて、「学ぶ会」を代表して中島省治講師、新教育者連盟を代表して井上雅夫理事長、参加者を代表して平岡辰夫氏の三方が玉串奉奠(ほうてん)をして、神式の儀式は終了した。
続いて、伊藤宮司の先導で聖経『甘露の法雨』を一斉読誦すると共に、浄心用紙のお炊き上げは会場の庭で行った。一部の参加者は庭に出て、他の参加者は会場の廊下から浄火の炎を見ながら読誦した。小雨は降っていたが、浄火の炎が消えることはなく、虫の音が聞こえてきた。
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充実した第三回見真会
翌朝の伊勢神宮内宮神前での早朝神想観は残念ながら台風十三号のため中止となり、会場で伊藤宮司の先導で神想観の実修をした。この時、伊藤宮司から坐り方と呼吸法について賢重なお話が伺えた。「左足親指を右脚の内踝(くるぶし)の下の方に、右足親指を左足外踝の下の方に」と説明されているが、その際大事なことは「両足の解谿(かいけい)(足首の甲側付け根の部分)が畳に着くこと」である。。もう一つ、神想観の腹式呼吸では息を吐く時も下腹は膨らましたままにする。
感謝行、朝食、谷口雅春先生のビデオ上映、聖歌に続いて、第五講話は鎌田久子講師による「天使のほほえみ」の活動体験。「『宇宙本源の神』が人格的に現れたのが「生長の家の大神」であり『観世音菩薩』であり『ミカエル大天使』である。」「天使のほほえみ」の名前は神から授かった。中絶容認はマッカーサーの大罪の一つ。神の国日本で一日二千人の胎児の命が奪われている。年会費千円ですので「天使のほほえみ」にご入会下さい、と訴えられた。
最後の第六講話は昨年に引き続き、井上雅夫新教連理事長による「日本人として」。御皇室の素晴らしさを様々なエピソードで紹介。江戸時代は幕府が御皇室を粗略に扱ったように見えるが、そうではない。石田梅岩は「御所の前を通る時は天照大神を拝する気持ちで通ること」と教える。将軍も天皇陛下には御簾(みす)ごしでなければ面会できない。御所が炎上すると、松平定信は直ちに修理。感謝の御製が発衣されると、将軍は「御礼の言いようもない」と感激。大東亜戦争の敗戦で国民が一番心配したのは天皇陛下のこと。保田與十郎は「日本の最高の美は御所である。それは無防備の王城だからである。日本の国柄が端的に表れている」と言ったことなどを話された。
決意発表は大勢の方々が発表された。お一人だけ紹介すると、福岡県築紫野市長に立候補される中村晃生氏。是非当選して頂きたい。
結語は、仙頭泰講師。「生長の家」は日本的宗教だから広い。日本の国を成仏させて、世界の国を救おう、と力強く述べられた。
最後の行事は閉会式。聖歌、神宮遥拝のあと、閉会の挨拶はビデオ記録撮影をして下さった道源秀美副実行委員長。そして中島省治講師の閉会の祈り、平岡辰夫氏の万歳三唱、輪になって使命行進曲斉唱、団結の握手で、充実した見真会は終了した。
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