平成18年 1月号

み教えを生きる悦び (24)

二つの挫折感 と 著書 『信仰と愛行による新生』 との出会い (上)

鎌 田 久 子


 谷口雅春先生が翻訳された @ 『信仰と愛行による新生』 (ステラ・テリル・マン著) に、私は非常に深い感銘と救いをもたらされた。 裏表紙をひらくと A 天皇陛下御在位五十年奉祝記念日 ・ 昭和五十一年十一月十日昼休みに求む、とある。

 この @ と A に出あうまでは、私の潜在意識の片隅に、二つの挫折感が、くすぶっていた。

 その一つは、雅春先生のご指導のもと、女子青年会・白鳩会・生政連が、三つ巴になって 『優生保護法・改正』 を訴えつづけ、街頭宣伝の折は、署名活動も活発に展開した。

 青年会の女子部長のころより、日曜・祭日は、各地に伺い 「生命の神秘」 「純潔・純愛を生きる」 などのテーマで話し、語りあってきた。 女子の高校生、大学生も、文化祭には、堕胎の実態などのパネルの展示、防止のチラシ配布や署名、相談コーナーなど設けて生命尊重運動に取組んだ。
 尊師の女子青年へのご期待に応え、私たちは、国力扶翼に邁進させていただくことが、なによりの生き甲斐であり、悦びであった。

 白鳩会に奉職してからは、産み育てる母性を有する白鳩会員が叫ばなくて誰が叫ぶ! と、経済的理由で誰でも安易に堕胎できる 「優保」 改正に、みんなで火と燃えた。そのときどきの厚生大臣や女性大臣に署名を携え、請願のお百度を踏んだ。

 尊師の悲願は、神の悲願、それゆえ神の子われらの悲願でもある。 との深い自覚のもと、毎日殺されている胎児を救いたいと、ねばり強く、十五年間推しすすめてきた 「優保」 改正運動 … 。 この悲願は、昭和四十九年三月ニ十四日、ついに衆議院本会議を経て参議院に送られた。
 ところが、参議院で、 「医は算術」 の拝金主義の日本医師会の反対に遭い、一番最後の項目審議に回されて会期切れとなり、廃案となってしまったのである。食欲減退の日々を過ごした。

 二つ目は、同年に金権・派閥の跋扈する政界浄化と、正統憲法制定 ・ 優保改正を第一義とする議員を国会に送ろうと、生政連が全国区に擁立した田中忠雄、村上正邦両候補が、七月七日惜敗。 この選挙にすべての希望を托し、命がけの運動を展開してきただけに身心の脱力感にさいなまされた。

 尊師は 『生長の家』 十二月号の 「明窓浄机」 に、「 … せめて胎児の虐殺をやめさせる法律が通るまでは吾々の国会代表を減らすことはできない。 これは私の生涯の願いである。」 と語られた。 この年、 「日本を守る会」 が発足し、尊師は代表委員にご就任。
 昭和五十一年十一月十日には、生長の家が中心となって各地で 「天皇陛下御在位五十年」 の奉祝行事が催された。中でも夕刻、東京で行われたパレードは圧巻だった。 上野〜銀座〜新橋と五・五キロの道のりを、都民百万人が日の丸と提灯をかざして、よろこびいっぱいの光の大行進が挙行された。
 国民が、どんな現象の浮沈に喘いでも、必ず天皇陛下によって支えられ、守られ、清められていく。私たちは、なんという仕合せな天皇国・日本に生れさせていただいたのであろうか。

 その日の昼休みに本部で購入したマン女史のご本は、尊師の 「訳者はしがき」 に惹かれ、すぐにでも読みたかったので、持参して光の行進に加わった。五・五キロを歩き、お腹ペコペコを満たし、その夜は元気がみるみる蘇った。精神の高揚する中で、ときめきながら 「信仰と愛行による新生」 を繙くと、眠気を忘れて、朝まで読みふけった。

 尊師がはじめて海外伝道講演に行かれたとき、パサデナ基督教教会の来賓室で待っておられるときマン女史がたずねてこられた。このときの印象を 「はしがき」 に書いておられる。

 ─ 「わたしは、はじめて彼女を直接見たのであるが、あとでわたし達夫婦は、『こんなに魂の輝きが顔にあらわれた美しい婦人は見たことがない』 と囁いたものだった。祈りによって、神に心を馳せている顔貌ほど気高く美しいものはない。」 ─

 尊師ご夫妻が、心から感嘆された女史の著述には、深い常住の祈りと、全知全能のまったき神の愛を強く信じ、 惜しみなくその愛を伝達する熱情が行間に溢れていた。
 女史は、この本の中で、二回もガンジーの言葉を引用されている。 「私は断食して長期間食物なしに生活することが出来るが、一瞬間と雖も祈りなしには生きられない」 と。 私は、過去の自分の祈りが、いかに浅薄で形式的だったかを痛いほど反省させられた。
 また女史は 「人類の全歴史を通じてただの一瞬間でも、神が人間を愛することをやめたという証拠はないのである」 … 。

 そうだった。 私は、神様のあたたかい愛によって生かされていることを、いささかも忘れずに、深く感謝の祈りを捧げながら選挙活動をしていたであろうか … 。 一人一人の接した皆様のお倖せを祈り、必ず投票して下さると信じ、感謝しながら活動していただろうか … 。

  (つづく)





鎌田久子氏
どんな教えか
総合目次