平成18年 6月号

み教えを生きる悦び (28)

足の痛み、尊師の神想観の気合いと共に消ゆ

鎌 田 久 子


 人は、生涯に一度 ”このことに自己のすべてを捧げたい” という崇高な ”おもい” に駆り立てられるときがある。 ”すべて” とは、肉体の生命をも含むすべてである。

  さきの大戦のとき、一切の執着をかなぐり捨て 『祖国よ、永遠なれ』 と、護国に殉じた英霊の方々の尽忠を惟うと、いつも熱いものがこみあげてくる。その崇高な殉死にはとおく及ばないが、かつて私も、足一本切り落としても ”神様、お二人の候補者を当選せしめ給え” と、命がけで選挙活動にたずさわらせていただいたことがあった。

  昭和四十九年、優生保護法改正案が、衆議院本会議で可決され、五月下旬、今度こそ参議院でも可決されるかと固唾を呑んで見守る中、医師会の反対にあい、時間切れで廃案となってしまった。

  谷口雅春先生は 〈わたしたちは自民党と決別しよう。金力の裏工作が頂けなければ、いくら人命尊重でも 「優生保護法改正案」 には協力できないといふ議員をたっぷりかかへてゐる汚れた政党と手を組んで神聖国家顕現の神聖目的を達成しようなどと考へたことが間違つてゐたのであつた〉 と述懐された。 ( 「生長の家」 誌 昭和四十九年十月号 「法語」 )

  かくて金権や派閥の柵みのない、生長の家政治連合から田中忠雄会長、村上正邦氏が参院選全国区に擁立された。この二人の方を政界に送ることによって、 (一) 正統憲法制定、 (二) 優生保護法改正、 (三) 政界浄化、が為されれば、”日本の真姿が蘇る” と全国の信徒は挙って燃え上がった。
  前年度、白鳩会誌友は百万人突破。 各都道府県での、白鳩大会・一泊研修会・一日研修会・教育講演会の年間行事派遣に加えて、相・白・青対象の生政連派遣が加わり、休日なしの、わが生涯最高に生き甲斐のある日々がはじまった。

  五月四日夜、 「あっ、終電に乗り遅れる」 と、疾風のように原宿駅の階段を駆け上がり、ちょうど入ってきた電車に駆け寄ったとき、ホームの突起に蹟き右足をコキッとひねった。気が遠くなるほど痛かった。
  翌日、病院でレントゲンを撮った結果、外踝にヒビが入り、細い血管が切れたため内出血をおこしている 。固定した方が早くよくなるといわれたが、まだ腫れそうなのでギブスは明日お願いしますと謝して、原宿本部へと直行した。 二日後には、日本武道館において 「白鳩会全国大会」 がひらかれる。己の怪我に公けの時間を使っては申し訳ないと思い、その後、病院には一度も行かなかった。というより通院の時間が生み出せなかった。

  五月七日は、空も心も日本晴れ。 足の痛さに気合いが入り、秒単位のタイムプログラムに従って、初めてほぼ完璧な司会進行をさせていただくことが出来た。 実行委員皆様のお蔭である。通路まで埋め尽くした一万七千名の白鳩は、谷口雅春先生・輝子先生・清超先生・恵美子先生の御法話を拝聴できた悦びと感動を胸に、また田中・村上両氏の力強い出馬表明に、必ず当選させましょう、との誓いも新たに、 やりましょう!やりましょう! と意気天をつく大会であった。

  夜、七時に帰宅すると、心臓の鼓動とあわせてズキン、ズキンと足が痛む。 そうだった。明日から岩手県四日間を皮切りに、東北一円の選挙行脚だったと気づき、あわてて包帯・シップ、スリッパ三足を買いに行き、旅装をととのえた。
  翌日、スリッパで駅に降り立ったとき、風に裾がめくれて、葡萄色にはれた脛が見えてしまった。岩手の会長が 「ほっとくと壊疸になる」 と悲鳴をあげた。 「大丈夫。すぐ会場に案内して下さい。足一本なくしても、お二人が当選なされば本望です。踝を怪我したこと以外は口外しないで下さい」 と固く口止めした。各地を命がけで経巡らせて頂き、七月七日の投票日に帰宅。八日、両氏落選確定。 生涯でこれほど燃え、こんなに落胆したことはなかった。切なく、くちおしかった。

  八月十八日は、本部の日曜大誌友会の担当になっていた。 講演後、三十分間会場の皆様と対面して神想観の実修がある。 一週間前から正坐の練習をはじめたが、痛くてすぐひっくり返ってしまう。係りの方に打ち明けると、 「尊師のテープをかけますので、説明中は脆坐 (きざ 足を爪先立ちにした状態で正座する) にして、神想観に移行した後、足を前に出されたら … 」 と助言してくださった。

  当日は、助言どおり、脆坐のまま、尊師のご説明をうっとり拝聴していると、やがて 「瞑目合掌、用意」 の尊師の気合いがかかると、思わずストンと腰を下ろしてしまった。
  身体中の光の粒子が、シュワーと頭頂葉に集り、そこから抜け出た星型の光が大道場一面に スーッ と消えていった。無我全托、少しも痛くない。何ともいえない安らぎの中、心身の力みが抜けて浄められ、癒やされてゆくのを感じていた。

─ 『内からの導き』 は神 (全存在) に溶け込むことによって得られる。神に溶け込む修行が 『神想観』 である。 ( 『智慧の言葉』 )





鎌田久子氏
どんな教えか
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