平成十五年の大晦日。百八の除夜の鐘に煩悩を洗い流し、十二時を期して賀状を書き始めた。
宛名と数行のコメントは、必ず肉筆で書くため徹夜になる。眠気覚ましにNHK総合テレビを、ラジカセに切り替えて、ながら族を決めこんだ。
午前一時三〇分からは、養老猛司氏と、犬養道子氏の新春対談 「生命の灯び」 がある。お二人の著書は、感銘深く拝読しているので、きっと含蓄に富む対談になるだろうと、楽しみであるが、決して書く手は休めずに伺おうと思っていた。
まず最初に養老氏が口火を切り、犬養氏の番になった。難民救済に献身していらっしやることは知っていたが、そのすさまじい奉仕活動には、度肝を抜かれた。あるキャンプ地に着いたとき、食糧が明日届くことになり、コップ一杯のヨーグルトをスプーンー杯ずつ十人で分け合ったという。
また、マザーテレサの許で働いていたとき、日本から若い女性たちがボランティアでやってきた。現地に着くなり、汗と埃を流したいのでシャワーはどこかと尋ね、シスター達を驚かした。 飲む水すら事欠くここでは、シャワーなどはないと答えると、大分厳しい現実が解ってきた彼女たち。 素直に汚れた衣服を着替えると、今度は洗濯機はどこかとウロウロしている。
「ミセス道子。あの人たちに、すぐ日本に帰るように伝えて下さい。私たちは、ここの難民の世話で手いっぱいです。日本のお国の方々をお世話するゆとりはありません。」 、マザーにそう告げられた犬養氏は、顔から火が出そうだったという。
犬養氏の話は、具体的な愛行に裏打ちされた迫力と臨場感あふれる内容で、私は何度もテレビ画面を観たい衝動にかられた。けれども、次の話を聴くうちにもう我慢できず、テレビの前に釘付けになってしまった。魂に深い内省と、飛躍・開花を与えられる内容だったからである。
それは、パレスチナの難民救済に、道子氏が滞在していたときに起きた。 Sさんは、大学卒の英語にも堪能な、信仰深いシスターだった。いつも遠い奥地にまでゆき、懸命な救済活動に専念していた。或る日、暗くなるまで働いて、中央キャンプ地まで帰れなくなってしまったので、一人現地で仮眠をとっていた。そのとき、通りかかった兵上達に襲われた。 必死で逃げようとするSさんを、彼らは掴まえ、身体中に煙草の火をおしつけ、凌辱していったというのである。 肉体の火傷も痛かったに違いない。けれども、それにも増してSさんの心に受けた屈辱の痛みは、いかばかりであったろう。
夜が明けて、シスターたちに発見されたSさんは、中央キャンプに運ばれてきた。道子氏は、両手で彼女の手を包み、かける言葉もみつからず、ただ涙を流すことしかできなかったという。
数日後、せわしく働いている道子氏のところヘシスターが飛んできた。
「Sさんが、あなたに会いたいと言っている。すぐ来て下さい…」
あわてて駆けつけると、
「ミセス道子、私は、あと数時間で死にます。でも、私をこのような目にあわせた兵士を、憎んだり、恨んだりしたままでは苦しくて死ねないのです。どうか彼らを赦す祈りを、ともに行なってください。」
と、英語で懇願するのだった。
道子氏は、あまりにも気高い彼女の心根に感泣し、両手で上からそっと彼女の身体を覆い、かすかに動く口びるに耳を寄せ、ひたすら神とともに祷った。
「神様、彼らが私にしたことを、ふたたび他の人にしないように、彼らをお導き下さい。神様どうか彼らを心の底から赦す力をお与え下さい。 神様、私はいま、あなたのみ愛、み力をいただき彼らを赦します。 ああ、神様、わたしは彼らを赦すことができました。 いま、私の心は苦しみから解放され、何のわだかまりも無く、そちらの世界に生れ変ることができます。 有難うございます。 アーメン」
息絶えた後も、彼女の目尻からは、水晶のような清らかな涙が間断なく流れ続けたという。
その涙は、彼ら兵士の魂をおおっていた付着物を洗い清め、彼女白身の魂を、こよなく美しく輝かせる涙となったであろう。
Sさんの大いなる赦しは、仏教の 「四無量心」 ─ 自分に害を与える人をも愛する ─ の最高の第四段階の ”赦す愛” である。 Sさんの受けた屈辱に比べれば、私の人生途上で受けた屈辱などは、ほんの二〜三分で赦せることばかりであったと、平成十六年の元旦の朝、私は、しみじみ反省することができた。有難い年明けとなった。
「他に自分の欠点を指摘されたら、ありがたいと思え。他が怒ったら、ことの善悪にかかわらず相手の心をかき乱してすまなかったと思え。平明に自分の過ちを承認せよ。自分の過ちを素直に承認される瞬間その人の神性は高いのである。」
(『新編聖光録」「智慧の言葉』より)
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