平成20年 8月号

み教えを生きる悦び (53)

英霊の気高き行為と無償の母の愛

鎌 田 久 子


  四川大地震の最大被災地の一つ北川県で、救援隊が生存者救出のために通りかかると、倒壊した建物の下に、四つんばいの恰好で死んでいる女性を発見した。
  ふと気になって、一人の隊員が遺体の下に手を入れると、温かい赤ちゃんの手にふれた。 「おお、生きているぞー」 の声に、戻った隊員たちの必死の作業によって、毛布にくるまれた生後三ヵ月の乳児が救出された。
 毛布の中には、息絶える寸前に、力を振り絞って入力した母の、短いメッセージが、携帯電話の画面に残されていた。

 『赤ちゃん、もし生き延びてくれたら、私があなたを愛していたことを、絶対に忘れないで … 』

  全身全霊で、乳飲み子の生命を守り拉いた、尊い母の愛に、隊員たちはみな涙をこばしたという。
  日本であろうと、支那であろうと、わが子をいとおしく思う母の気持ちに変わりはない。この乳児は、母の言葉をお守りにして、社会、国家、世界に役立つ人に生長し、天国の母の愛に報いることだろう。


   一億の人を救ふはこの道と 母をもおきて君は征きけり   林まつゑ

  クリスチャンの母の影響を受けて育った、林市造少尉(京都帝国大学三年生・二十三歳)は、

 《すべては神様の御手にあるのです。神様の下にある私達には、この世の生死は問題になりませんね。私は賛美歌を歌ひながら敵艦につっこみます》

と、母へ便りをされている。遺書には、

 《一足さきに天国に参ります。天国に入れてもらへますかしら。お母さん祈って下さい。お母さんが来られるところへ行かなくては、たまらないですから。お母さん。さようなら》

  信仰厚き母、まつゑ刀自は、以心伝心、市造比古之命が突入される時刻に、同じ賛美歌をうたわれたのではないかと思う。送葬の祷りをこめて…。

   神ともにいまして 征く道を照らし
   天のみ糧もて 力を与えませ
   またあう日まで また会う日まで (天国で…)
   神の守り 汝が身を守れかし

  いまお二人は、高き境涯にのばられ、世界平和と日本国家の弥栄を、切々と祈り、お導きくださっているにちがいない。合掌。


  天皇陛下万歳と、大音声で叫び、小さな声で、お母さんといいながら、殉じた十代後半から二十代前半の護国のみ魂の遺書や和歌を拝誦すると、泣くまいと思っても、涙が勝手にあふれて困ってしまう。
  陸軍歩兵中尉・光山英夫命の母上宛の遺書には、

 《若し子の遠く行くあらば 帰りてその面(おも)見る迄は出(いで)ても入りても子を憶ひ 寝ても覚めても子を念ず 己れ生あるその中は 子の身に代らんこと思ひ 己れ死に行くその後は 子の身を守らんこと願ふ あゝ有難き母の恩 子は如何にして酬(むく)ゆべき あはれ地上に数知らぬ 衆生の中に唯一人 母とかしづき母と呼ぶ 貴きえにし伏し拝む
  (後略)
  お母さん お母さん お母さん お母さん
  お母さん おけさん お母さん お母さん
  お母さん お母さん お母さん お母さん
  お母さん お母さん お母さん お母さん
  わ母さん お母さん お母さん お母さん
  お母さん お母さん お母さん お母さん》

  こんなにも母を仰慕し、万感をこめ、丹精な筆字で二十四回もお母さん、お母さんと呼びかけている=「遊就館」内第十六号展示室ローケース=の前に、私はしばし立ち尽くしていた。
  一億の日本民族と、何十億もの植民地民族解放のために、若き生命を捧げられた英霊の気高い行為は、無償の母の愛が支えになっていたからこそ … 。


  ある英霊の母君が、六年前に詠まれた歌がある。

   かくばかりみにくき国になりたるか
   捧げし人のただに惜しまる

  惻々(そくそく)と胸迫り、ひたすら御魂と母君に頭をたれて謝するのみである。合掌。


  神は、すべての女性に ”母性愛” を発揮する力をお与えになった。また神の子を宿す子宮をお与えくださっている。このお宮は、少しも働く努力がいらない。冷暖房完備、栄養食完備、すべてが調っている小宇宙。この胎生期の醍醐味が、人類に子宮回帰の願望をいだかせ、母仰慕にもつながっている。この至福の十月十日を経験せず、いつ中絶されるか解らない恐怖の日々を過ごさせたら、生長後、異常性格の殺人鬼になるかもしれない。まして生きて使命をまっとうしたい望みを断たれた小さな生命は、大きな悲しみを与えられて霊界に移る。

  私どもの 「天使のほほえみ」 は、神の要請に応えて戦後やむなく中絶された一億の胎児の供養をしっかりさせていただき、清く、正しく、美しい日本再生のための強力な運動を推進する組織なのである。合掌





鎌田久子氏
どんな教えか
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