平成20年12月号

み教えを生きる悦び (57)

赦しと感謝とお詫びと使命感

鎌 田 久 子


  つまづいたって 
  いいじゃないか
  にんげんだもの

        みつを (相田みつを)

  ファイルを整理していたら、相田みつを氏の味のある筆跡の切抜きが、ひょっこり出てきた。
  ちょうど、高さ15センチの石段につまずいて、額から膝まで全身を打ち、救急病院に運ばれ、処置をうけて五日目だったので、心にぐっと染み入り、胸に響き渡った。

  額にできた白い瘤は、時間が経つにつれて、ますます大きくふくれ、青から赤黒く変ってくる。鼻と上唇、左手の甲、ひじなどの六ヵ所は皮が破れて血がにじみヒリヒリする。翌朝は、内出血が上下のまぶたに移動し、目がふさがってしまった。
  それにしても打ち身は、転んだ瞬間よりも一日後には痛みが増し、笑っても、咳をしても痛い。家の中ではもう恥じも外聞もかなぐり捨てて、杖をつき、 「痛い、痛い、痛いの飛んでいけーっ」 を連発しながら動いていた。

 すでに決まっているスケジュールは、ほとんど断らずにこなしたものの、帰宅すると、へなへなになり、食事も取らずにベッドに直行する日々を過ごした。
  内心 「誰も訪ねてきませんように。電話もファックスもありませんように」 そんな思いでいたときに ”にんげんだもの” の深い悟境に達した相田氏の言葉に出会って、この一年、すべては私がいけなかった! と、自分を縛っていたものが、ふわーっとほどけて、肩の荷が軽くなった。すべての人・事を、赦したつもりになりながら、自分を赦せず責め続けてきた私。 「現象のあなたは、不完全だらけだけれどいいじゃないか、実相は完全円満の神の子だもの…」 そう、みつを氏に呼びかけられたように思え、神様からも許されていたのだと思うのだった。

  九月十三日、宇治にて一億人の中絶児鎮魂供養祭に参加させて戴き、今生でのすべての業を浄める総仕上げに、大怪我を自ら引き寄せたのだった。

   @無視し、軽蔑してくださった人たちよ、有難うございます。
   A尊敬と信頼を裏切った人たちよ、有難うございます。
   B奉仕に励む者から大金を詐取した人たちよ、有難うございます。
   C奉仕の仲間、同志なのに、ウソ八百の悪口を喧伝して去っていった人たちよ、
    有難うございます。
   全部、自己が引き寄せて、互いに切磋琢磨させていただいた、尊く有難い、
   神の子同士でございます。有難うございます。

  心の底から、赦しと感謝とお詫びの気持ちが湧いてきて、三〇分ほど実相円満誦行をしていると、現象への捉われが消えて、やすらぎに満たされ、元気が出てきた。
  つまずいたとき、意識が一瞬とだえた。そのとき、 「神様、まだ ”天使のほほえみ” は緒についたばかりです。使命を果たしておりません」 と心の中で叫んでいたっけ … 。 あのときに私は、神の子として新生させて戴き、いまここに生かされているのだ。

   法身こそ応に『我』なり。
   仏心こそ応に『我』なり。
   不壊なるものこそ応に『我』なり。
   死せざるものこそ応に『我』なり。
   尽十方に満つるものこそ応に『我』なり。

  谷口雅春先生の聖経のみ言葉が魂に鳴り響いてやまない。

  愛する祖国日本は、偉大な霊的指導者を天に召されて以来、限りなく堕ちていく。この地球に危機迫るとき、待望の聖典 『古事記と日本国の世界的使命』 が世に顕われた。天の谷口雅春先生から、われらへの霊託の書である。私も謹んで三〇冊を注文し、政治家、有識者に献本中である。 この御著書を拝誦し、実相世界の中心帰一妙有の世界を、この地上にもちきたすこと、このことが奇しくも谷口雅春先生のご教導にあずかることのできた我らの使命であると、しみじみ思う。

  今こそ、われらは、日本国家の世界的使命を自覚し、その担い手となって祈りとともに、この真理の聖典をかざして、宇治別格本山にあった次の「祈り」を行じつつ、暗を消す運動を推進していきたい。

   「使命を生きる祈り」

  住吉の大神宇宙を浄め給う
  宇宙浄めの天の使いとして
  生まれしが (自分の氏名) なり。
  神は私に使命を授け給う
  今日何を為すべきか教え給う
  この神より教えられし使命を
  実践することが、私の生き甲斐であります。





鎌田久子氏
どんな教えか
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