平成二十年十月二十六日。この日は、私にとって生涯忘れられない奇蹟に遭遇した日である。
昨年、両国のKFCホールで開催された世界初の 「胎教博覧会」 には、石川創与香さんと二人だけで受講した。今年はあのときの感動を、多くの方とわかち合いたい一心で 「暁の鐘」 ・ 「天使のほほえみ」 ・ 近所の若いお母様方 に参加を呼びかけてきた。
それだけに、雨が降ろうが、槍が降ろうが、率先して参加しようと決めていた。
ところが、一度目の転倒でできた額のコブから右下の瞼に移行した内出血のアザが、人様に不快感を与えては申し訳ないと、眼帯をしたのがいけなかった。昼食をのせた大きなお盆をサイドテーブルに置こうとしてバランスをくずし、二度目の転倒をした。
痛いの何の、前回の比ではなかった。壁づたいに、やっと等身大の鏡の前に立ち、映して観て驚いた。左側の肋骨がニセンチほど突出している。内臓を肋骨が守ってくれたのだ。腰骨と肋骨の間の筋肉は、歩くと激しく痛む。足を一歩前に出すとき筋肉が連動して身体が支えられて進むことを知り、腰骨上の筋肉を五本の指で強く押さえて歩くと、痛まないことが解った。神が宿り給う、身体の絶妙な仕組みに感謝しながら、 ”胎教博” 当日を迎えた。
少し時間を要したが、無事、会場に着いたときは、嬉しさがこみ上げてきた。先にいらしていた近所の小西さんに、怪我の顔には気づかれなくて済んだ。私のお目当ては、七田眞ドキュメンタリー映画「魂の教育」を観賞することだった。
六時前にチケットを買い、ホールに入った。照明の暗さの中で、ほっと一息。満身創痍の身体を休めること五分。未来先生のお話が始まった。二人のお子様の詩の朗読は魂にひびき、地球を浄める愛に満ちていて、感動の涙があふれた。
白鳥哲監督のお話は、多分、撮影中の苦労話やこぼれ話かと推測していた。ところが … である。彼は七田先生の映画を制作中に、突然嘔吐と頭痛におそわれ中断せざるを得なくなった。医者に脳腫瘍と診断された。
ちょうど撮影は、七田氏が肺結核で1ヵ月の命といわれ、哲学書を読み、翌日病床から立ち上がり、就職活動を始めた、そのところを撮っていた。彼は、すぐに背水の陣をしき、イメージトレーニングに徹した。二ヵ月後、病院に行きMRIを撮ってもらうと、まだ腫瘍はあるとの診断。
七田氏に指導を乞うと、すぐさま、 「 『すでに消えました。有難うございます』 と感謝をすれば必ず消えます!」 と教えられた。
彼は、四六時中、教えられたとおりに続けて、五ヵ月後の昨日、病院に行って調べてもらうと完全に消えていた。彼は 「ありがとうございます」 と、声を震わせながら話された。会場から拍手と歓声が沸き起こった (まるで生長の家の御講習会のようだった) 。
白鳥監督が命がけで撮られた映画は超一級のもので、七田眞氏の今日ある原点を見事に抽出し、観る者の魂を奮い起こす内容にまとめあげていた。
病み上がりの七田師は、ほとんどの会社から断られ、小さな会社にやっと就職したら、一ヵ月で倒産。ある日空腹をかかえながら神社で英語の本を読んでいると、 「おじさん、英語読めるの? 僕、英語が苦手なんだ。教えて」 といわれ、神社の境内で塾を始めたのが最初だった。
師は、リーダーの七つの条件は、 @才能よりも徳育重視。 A人に奉仕する人間。 B自分の魂を磨くこと。 今までの教育は左脳教育だったが、右脳(感性)教育こそ、魂の発達開花に必要と説く。
現在、七田式幼児教育を実践している教室は、四五〇を数え、世界六ヵ国に七田式教育論が広がっている。
映画を観終わってロビーに出ると、池川明先生や ”天使のほほえみ” の久保山理事にもお会いできた。帰りは、四十一歳のときにくも膜下出血で言葉を失い、以来発病前よりも元気になり、ユニークな活躍をされている石川氏と途中までご一緒し、別れてバスに乗ろうとしたとき、私は ”アラッ” と声を発した。
全治三ヵ月といわれていた左の脇腹が痛くない。それまでは、バスのステップに上がるとき、右手で手すりにつかまり、左手で腰骨の上をギュッと押し、 「すみません、怪我をしていまして … 」 と謝りながらゆっくり乗車していた。それが何としたことか。すいすいとバスの中央まで歩いている。バスが揺れると痛みが走っていたのに。元気の気が身体中に溢れる思い!
白鳥氏に起こった奇蹟が私にも起きたのである。自宅であったら、 「フロイデ(歓喜)、フロイデ」 と叫んでいたかも知れない。
明朝、鏡をのぞくと、3センチもあったコブが5ミリくらいになり、頬の赤黒いシミはごく薄いピンク色になっていた。普遍の真理は万人にふり注がれている。
合掌
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