忘れもしない。 昭和三十四年十一月二十八日、この日は、谷口雅春先生が、日本を代表する各界三人の方々と日米安保条約改定批准賛成の講演をされた日である。開会の十分前に、神田の共立講堂へたどりつくと、すでに座席は超満員であった。
「申し訳ありません。申し訳ありません」 と、私は身体を斜めにちぢめながら、立ち席の最前列に進み出た。生長の家の谷口雅春先生の雄姿を拝したい一心であった。 壇上の先生は、端然と鎮まり、住吉の大神さながらのオーラを放っておられた。私はこの会場にいる大勢の方々に、叫びたい衝動にかられた。
「宗教家の中には ”争いはさける。汚いものには目をつぶる。臭いものには蓋をする” という指導者がいらっしゃいますが、谷口雅春先生は違います。それらの暗に、強い祈りに根ざした ”言霊の光” を照射していく使命を帯びて日本に降誕された方なのです。 釈迦 ・ キリストの教えを完成される ─ 日本・世界・宇宙を浄める ─ 最高の霊的指導者なのです。昨日は、左翼の学者達に扇動された学生達が赤旗を振って国会に乱入したではありませんか。 歴代天皇の御稜威のもとに栄えてきた日本国家の最大の危機が迫っています。
皆様、本日は、谷口雅春先生から照射される ”言霊の光” を、身体に、心に、魂に沁み込ませて、『天皇国・日本』 を守る選士の自覚を深めて下さいませ」 と。
四人の講師による含蓄に富む熱のこもった講演は、本当に頼もしかっか。中でも雅春先生は、 「根幹に天皇信仰を据え、宇宙の理念 ─ 中心帰一 ─ の真理が天降った 『神定国家日本』 の帝都に、万を越す全学連が集って赤旗を振ってデモをする現状を、日の丸の旗で埋め尽くす首都にしなければならない。日本をソ連 ・ 中共に侵略させないために、新改定安保条約を成立させることを推進しよう! 『天皇国・日本』 を存続させるために、私は、米国と手を組んで、一日も早く安保条約を批准せねばならないと考えております」 と。
安保賛成の明確な論旨と恋闕の至情あふれる雅春先生のお話に、万来の拍手は鳴り止まなかった。
司会者が、四人の講師への質問をコーディネートした後、 「あとお一人、感想を述べて下さいませんか?」 の声に、 「ハイッ!」 と私の隣の長身の男性が手をあげた。
ワイヤレスマイクが彼のもとに届く。
「私は、夜行列車でここに参りました鹿児島県のOO為五郎と申します。ただいまは地元で高校の教師をしております。今日は先生方の強い信念と、同志の方々の熱い気にふれて、勇気凛々燃えています。
実は私が京都帝国大学に合格したとき、父が非常に喜び、入学資金 ・ 学費を農業をしながら送ってくれました。大学一年の夏休みに、両親の元に帰り玄関をあけると、奥から父が大刀を持って出てくるなり
『入ってはならん。天皇陛下に弓引くような者は勘当だ! ご先祖様に申し訳ない。お前が共産党を止めないのなら、お前を殺して俺も死ぬ』
と怒られました。
私は最初何のことか分かりませんでしたが、友人にさそわれて、数回、 ”社会学研究会” に出席したことがありました。ある日、寮舎に警官が抜き打ち検査で入ってきたとき、先輩が置いていった本があったため、私も連れて行かれましたが、すぐに先輩達が証言してくれて戻ることができました。
そのことだったら、何もこんなに大げさに怒らなくても … と反発して、きびすを返すと、母が追いかけてきて 、 『京都から村の駐在所に電話が入り、親からしっかり注意して欲しい! と。 今日のところは氏神様の御堂に泊まらせてもらいなさい』 と言われ、お世話になることにしました。母は毎日握り飯を運んでくれ、 『父さんは、息子が改心するまでは、断食だ! と、何も口にしない。どうか謝りに来て欲しい』 と来るたびに泣かれました。
母の涙にも屈せず、意地を張りっづけて六日目、母が目を真っ赤にしてやってきて、 『父さんが、昨日脳溢血で倒れた。医者が、「このまま断食していたらもうすぐ死ぬ!」 と言った。お前は父さんを殺す気か。この親不孝者!』 と言葉のパンチを食いました。私は母と一緒に駆けつけて、父の枕元に土下座して、 『二度と共産党の思想には興味を持ちません』 と、父に謝りました。父は、生命を削って、不忠の息子を諌めてくれたのです。
今の私は、天皇陛下の宸襟を安んじ奉りたい。自分の言動は、天皇陛下の大御心にかなっているだろうか。父 ・ 母によろこんでもらえるだろうか。と、ここに焦点をあわせて、日教組と闘いながら生きています。」
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