「もういや、こんなこと」
則子さんは、心臓の手術中に天に召されたわが子と対面したとき、思わず口走っていました。
康ちゃんは、胸を切り開いたままで、九ヵ月の短い生涯を終えたのです。
「パパ、ママ、頑張ったけど、ごめんなさい。大好きなママ、泣かないで。毎日病院にきてくれて、嬉しかったよ。ボクのような先天性の心臓病の赤ちゃんを産んで、育ててくれて、ほんとうにありがとう。パパ・ママ、ずうーっと、忘れないよ … 」
きっとそう言って、ちいさな胸を全開きにして、康ちゃんは、精いっぱいの感謝の気持を両親に告げて、天国に還っていったのでしょう。
坂爪研一さんと則子さんは、はじめて小さな生命を授かったとき、 ”天にも登る心地” ってこういうことなんだね、と喜び合いました。
やがて胎児が生長するにつれて、胎児水腫と診断され、重度の心疾患をもって生れてくることを告知されました。中絶か、出産かを問われたお二人は、いま、息づいている生命がいとおしくて、自分たちを選んで、慕って宿ってきた生命を産ませていただく決断をしたのです。
35週で、二〇九三グラム、40センチで生れてきた康ちゃんは、 「かならず治る」 という両親の想いに応えるかのように、毎日を懸命に生き続けました。
生れてからずっと、大学病院のベッドで鼻から管をとおし、小さなかぼそい腕には、点滴をして … 。
康ちゃん、寒かった冬が去って、いま桜のつぼみがふくらみ始めました。 あなたが生きていた九ヵ月の間、則子ママは、一回も休まずに会いに行きました。 あなたをムギューと抱きしめて、子守唄をうたったり外の景色を見せたいと、何度思ったことでしょう。 でも、ママはガマンしたのです。 最後のとても難しい手術で、あなたが治って、全部の管がとれたら、パパとママが代わりばんこに抱っこして、桜を見に行きたいなと夢をふくらませていました。
あなたが天国に召されてしまってから、ママは食欲がなくなり、毎日泣いていました。そんなとき、やはり心臓病で長男を天に送った友人から、飯田文彦氏の 『生きがいの創造』 という本が届いたのです。 その本には、生きている意義や、人間生きとおしの輪廻転生のことが書かれていました。
そして、ママは、
「あなたとお別れしたのではなく、あなたと出会えて、とっても密度の濃い幸せな九ヵ月を過ごせたんだ。康ちゃんは、今も天国からママを見守ってくれている!
『ママ、心をひらいて、ボクと同じような病気の子を宿した両親に、勇気を出して産みましょうって、教えてあげてはしいんだ。ボクたち不完全な身体で生れてくる子供は、大好きなパパとママの魂をみがいて、高めて、いっぱい愛情を引き出したくてやってくるんだよ。だからボクは、九ヵ月でお宙に還ってしまったけれど、いまパパもママも魂が輝いているよ。その輝きの体験を伝えていく使命があるんだよ』
康ちゃんのあの忘れられない姿は、生命がけのダイイングーメッセージだったのだ。」
と納得できたのです。
そして、則子ママは、康ちゃんがママから離れて、もっと高いところへ移ったけれども、これからも、永遠に魂は時空を超えて繋がっていくんだ、と気づいたのです。
康ちゃん! あなたはパパとママにたくさんのひらめきと気づきを与える天の使い、すばらしい神の子ですね。 則子ママは、この頃、ミニ仏壇にあなたの可愛い写真をかざって、お供えをするようになったのよ。そうしたらお食事がおいしく頂けるようになったんですって。 康ちゃんのお蔭です。本当にありがとう。
平成20年10月26日、両国のKFCホールで開催された ”胎教博覧会” は、七田真・ドキュメンタリー映画上映を最後に、幕を閉じようとしていた。ホールからフロアに出て語り合っていた私たちに、横でうなずきながら聞いていた青年が、私の顔前にひょいと携帯の画像を差し出した。
「あら、生まれたての赤ちゃん?」
「ちょうど1ヵ月になります」
「赤ちゃんって、真っ赤だからそう呼ぶのねえ」
若いパパは声を立てて笑った。
そしてまた別の画像を嬉しそうに見せて下さった。
「まあ、こんなに気高くて、可愛い赤ちゃんは始めて拝見しました」
「長男の康祐です。九ヵ月のときの写真です … 」
時間のなかった私は名刺をお渡しして会場を後にした。四日後、坂爪研一ご夫妻と幽冥境を異にした康ちゃんのことを識ったのである。
(いま、ご夫妻は、先天性の心臓病とダウン症の康ちゃんを育てるという大変な試練を乗り越えられ、二人目の小さな生命を、大切に慈しみ、育てていらっしゃいます)
|