無限大の ”光” の神さまは、ご自分をご覧になりたくて、ご自分を映す鏡として、私たちをこの惑星にお生みになられました。私たちは、この小さな身体と、限られた生涯の中で、全智 ・ 全能 ・ 無限愛の神さまの ”光” をどれほど地上に映しださせて戴くことができるのでしょうか。
近頃私は、常にこの事を念頭に置きながら祈っています。
「神さま、お蔭様であの二度の挫折と試練は、心の鏡についていた汚点を痛みとともに拭いとって戴きました。これからも、無私 ・ 無我の境地をめざし 『天使のほほえみ』 の運営に励みます。
また、金銭や、物質への執着や名誉欲は、できる限り排除してまいります。 神さま、いま私は心をカラッポにして、あなたの全き愛の ”光” を純粋に映し出し、多くの皆様にその ”光” を灯す、運び屋になりとうございます。」
ある日、瞑目合掌を解いて、ふと右手の本棚を見ると、 『神、真理を告げ給う』 の聖典の背文字が目に映りました。すぐ手にとってパラリと頁を開くと、あら不思議! 神さまがその悩みに応えて下さっている頁でありました。
「あなた達は ”神の子” であり、一切の ”美” と ”善” と ”完全” と ”調和” と ”繁栄” と ”豊富” と ”歓び” と ”知慧” と ”愛” と ”勇気” と ”決断” と”断行” と … ありとあらゆる美しきもの、善きもの、愛すべきもの等 … 称讃さるべきことごとくの神徳が、 ”実相” として内に宿っているのである。
あなた達は、自己の内に宿るところの ”神の子” たる実相を潜在状態に置くことに満足せす現実に引き出し顕現してこそ、まこと神の世嗣、 ”わたし” の跡継ぎとしての使命を完うしたことになるのである。」 (同書一三六〜一三七頁)
背丈一メートル六十センチ位、体重50キロ前後の人間の中に神の全き無限の善きものが充満している。それを顕現してこそ、 「あなたは ”わたし” の世継」 という神さまからの有難いお告げ … 。ああ、私たちは、神さまから生まれた 「神の愛し児」 であった。この深い歓びと安らぎ … 。
最近、私は、宇宙の全智 ・ 全能を有する神の子はそれを顕すために、ときには不利条件が必要なのではと思うのです。
新垣勉氏は、沖縄出身の歌手である。父は終戦後、沖縄に駐留していた米軍人。母は沖縄県人で、駐留中だけの妻であったことを思い知らされる。
八ヵ月の身重になった母は、祖母に励まされて、無事健康な赤ちゃんを出産した。ところが数時間後に悲劇は起こった。看護婦が誤って消毒液を新生児に点眼してしまったのである。彼は、外界の事物を見ることもなく失明した。やがて母は、幼い全盲のわが子を置いて家を出てしまう。祖母は彼に 「わたしはお前のお母さんよ」 と嘘をついて育てた。彼は高校生になったとき、心ない大人によって自分の出生を知らされてしまう。
彼は大きなショックを受け、母に自分を産ませたまま音沙汰のない父親を殺したいほど憎んだ。 次に自分を産みっぱなしで、育ててくれなかった母親に腹をたてた。 そして真実を語ってくれなかった祖母にまで不信感を抱くのだった。
「盲目の自分なんか生きてても仕方ない。」
或る日、古井戸に片足をかけたとき、後ろから抱きしめてくれた友人に誘われて、彼は教会に通うようになった。
朝の礼拝で歌う彼の讃美歌の声は、たちまち、評判となり、毎日曜日、独唱を依頼されるようになった。いつもやさしく声をかけて下さる牧師様に彼は苦しい胸の内を告白した。 牧師様は、五時間もかけて真剣に聴いて下さった。
その後におっしゃったことは、
「君は一度も会いに来ない、生活費も送ってくれないお父さんに一番心から感謝しなければ … 。
君の声質はラテン民族独特の声音だ。 こんなに素晴らしい声を与えてくれた父親を怨むなんてもってのほか。 君が生まれた頃の沖縄の女性たちはね、白人や黒人の子供をお腹に宿してね、ほとんどの子供たちは、人工中絶をよぎなくされていたんだよ。 そんな風潮の中でお母さんは君を中絶せずに生んでくださった。感謝しようね。
おばあちゃんは、両親の居ない家庭で育つ君が不憫でお母さんと呼ばせたんだよ。 有難いねえ ─ 」
牧師様のお諭しは、彼の心に沁み入った。
やがて音楽プロダクションからスカウトされた彼は本格的な勉強をし、歌手となった。 初めてのリサイタルの日、彼は心をこめて母親に招待状を出していた。彼は当日 「母に捧げる歌」 を最後にうたい、 「お母さん、僕を生んでくれて有難う」 とお礼の花束を渡すことを企画していたが、母親は現れなかった。
しかし、彼はもうくじけない。声楽の分野で神の栄光を地上に映し出す神の子の使命開花の日であったから … 。
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