平成21年11月号

み教えを生きる悦び (67)

『朕惟フニ』 は 『天之御中主神惟フニ』 ということ

─ 教育勅語を誦し奉る ─

鎌 田 久 子


 先日、友人の K さんと電話で、谷口雅春先生の偉大さについて、熱烈に語りあっていたときのことです。まことに畏れおおいことながら、彼の口吻を通して天界の谷口雅春先生が霊波を送って下さっているという思いがしてならなかったのです。
  とくに K さんが、谷口雅春先生著の 『信の力』 の中に収録されている 「教育勅語」 に関して、語られた内容は抜群で 「明治から今日に至るまで、あれだけすばらしい霊的解釈をされる方は、谷口先生をおいては、いらっしゃらないですよ … 」 とおっしゃる。私は、思わず 「それ、コピーして速達で送って頂けません?」 と叫ぶようにお願いしていました。

  翌日届けられたコピー用紙二十五枚の表題には 『教育勅語を拝承し奉りて』 とありました。 天皇陛下を心より御尊崇申し上げる谷口雅春先生が、最高級の敬語を用いておられることに感服させて戴き、ここに慎んで、その精粋の大要を掲載させていただきます。

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  天之御中主神様は、天之御中主命 即ち 『みこと』 であらせられる、ミコト 即ち 言葉であります。天之御中主神様のミコトノリが、時間空間的にひろがったのが宇宙であります。天之御中主神の御いのちのヒビキが宇宙であり、天皇即ち宇宙、宇宙即ち天皇であるのが、日本人の宇宙観 ・ 天皇観 ・ 国家観なのであります。

  天之御中主の神様から天照大御神様へ、そして現在の今上陛下にずっと直系をひいて連綿 (つなが)って一体でいらせられるのでありまして、明治陛下が 『朕惟フニ』 という事は 「天之御中主神惟フニ」 ということにも当り、また 『大宇宙惟フニ』 ということにも当るのであります。ですから、此の教育勅語に書かれております真理は宇宙の真理であります。

  さて、宇宙の大生命が 『今上』 の一点にご顕現遊ばされまして第一にどう仰せられたかといいますと 『皇祖皇宗國を肇ムルコト宏遠二』 であります。皇祖とは、天之御中主神を申し上げます。更には天之御中主神から天照皇大神に至る間をも皇祖というよう謂われております。 それから後の歴代の天皇様は皇宗という風に解釈せられています。 『 ─ 國を肇ムルコト宏遠ニ ─ 』は、日本の国の肇は二千六百年よりもっと遡り、天地の初発 (はじめ) の時、時間空間未だ剖 (ひら) かざるところの、そこから国が肇っているのでありまして、宏遠 (はかり) しれないほど大きな、天地を内に孕む無時間無空間の世界であります。

  斯くの如く日本の国は 『國ヲ肇ムルコト宏遠』 でありますが、 『徳ヲ樹ツルコト深厚なり』 であります。 『徳』 というのは、人間が社会的生活の便宜上勝手に作為したものではない。既に宇宙の初発からそこに徳が樹 (た)っているのです。その徳たるやどういうものであるかということを、明治陛下は 『我が臣民克ク忠二克く孝二』 というように仰せられまして、一切の徳の本源として 『忠』 を挙げ給うた。 『忠』 というのは 『徳を樹ツルコト深厚ナリ』 と仰せられましたところのその 『深厚なる世界』 から出て来たものであります。

  天之御中主神様の、 『御中』 の理念が 『忠』 であって、その 『中』 の理念が循環して御親より出でて吾々子に来たり、再び御親に復るのが忠であります。

  「天之御中主神」 の 『天』 というと宇宙でありますが、宇宙を 『○』 を以て表しますと 、『御中』 は 『○(うちゅう)』 を貫く中心一貫の理念であります。宇宙の真ん中の、中の一点にすべてのものが統一されているのであります。 『真ん中』 と謂っても必ずしも幾何学的の中心ではない。innermost (内奥の 『中』 ) であります。一切がそこに平衡を得、砕けないところの結びをそこに確立しているのが 『忠』 であります。
  かくの如くして 『忠』 とはその天之御中主神の理念から稜威 (みいつ) としてそれが現象界にひろがり、吾々の心の世界に流れ入って、それがもう一遍本源の 『中心』 に帰っているすがたが 『忠』 であります。 『忠』 の心は天之御中主の 『忠』 の心が吾々に宿って、自然と天之御中主神 ・ 天照大御神 ─ その直系でいらせられるところの天皇に対して 『忠』 の 『まこと』 を盡さずにはいられないという心が自然と湧き起こってくるのであります。
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  谷口雅春先生は、不立文字といわれる宇宙の一大真理を、明治天皇のご煥発 (かんぱつ) 遊ばされた 『教育勅語』 において縦横無尽にお諭し下さっておられます。 抄録させていただきながら、尊師の御声をじかに聴聞させていただいているような錯覚さえして … 。 『教育勅語』 こそは、本流を生きるわれら一同、心をこめて朝に夕に誦し奉りたく存じます。





鎌田久子氏
どんな教えか
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