蛙を沸騰しているお湯に入れると、ぴよーんと、すばやく跳び出す。ところが、水の入った鍋に入れ、とろ火にかけると 「いい湯だな、アハハン」 と、のどかな表情のまま、やがて白いお腹を出してヒックリ蛙になってしまうという。
いま日本は、民主党連立政権によって、この蛙と同じ運命をたどらされていることに気づいて欲しい。その気づきのために … 。
(一) 民主党の掲げたマニフェストは、投票数獲得のための空手形でした。国民は、編されたのです。
彼らが、自民党から政権奪取を果たした暁には、ひそかに用意していた政策集INDEX2009の法案化を着々と実現させることが真の眼目だったのです。 現在すでに13項目中の二つの法案が浮上しています。 @ 「外国人参政権付与」 A 「選択的夫婦別姓」 等々 … 。あとの、11項目は、割愛します。
とにかく、民主党がこれから次々と、国会に提出する13項目が衆・参両院で可決された場合、日本国家の屋台骨は、バラバラに解体され、国の生命は凋落の一途をたどるしかありません。
(二) なぜ、このような政党が昨年の衆議院選挙で勝利してしまったのでしょうか。
あの夏、私共は ”腐っても鯛、腐っても鯛” と自らに言い聞かせながら、全身全霊を傾注して自民党を応援したのに、なぜ民主党は、自民党の二倍もの票数を集めることに成功してしまったのでしょう。
その謎を解くヒントが、谷口雅春先生の著書 『古事記と日本国の世界的使命』 の中にありました。
それは自民党から民主党へと政権交代を行わせたのは、古事記に出てくる八岐遠魯智の赤き龍です。 戦後の日本弱体化思想によって一段と拍車のかかった唯物論、赤色革命思想の流れを汲み、日夜、日本崩壊を目指して活動してきた一団 (左翼的な国内勢力以外にも、中国、朝鮮半島の外国勢力やアメリカ経済を牛耳っているほど力のあるユダヤ金融資本など) の成果であったと推察できます。
かつて、自民党の政治資金については、マスメディアが執拗に追求しました。しかし、今回の鳩山 ・ 小沢両氏の政治資金問題については、非常に甘い。 それは、日本の報道界も、日本崩壊の戦後思想、赤色革命思想に汚染されているからです。
(三) そこで、昨年の衆議院選挙のあと、鳩山 ・ 小沢問題を顕在化させたのは、偶然という人もありましょうが、私は、英霊をはじめ、日本を守って来られた先人達の御加護と、住吉大神の浄化の働きであったと信じています。
いまこそ私たちは、この先人達の志に波長をあわせ、天照大御神の霊統を嗣ぐ天皇陛下を戴く ”真理国家日本” の ”天の益人” の誇りを堅持し、悪魔連立政権の打倒に全力を傾注しなければなりません。
『生長の家三十年史』 には、谷口雅春先生が、戦争を止められなかったことを沈思され、戦後の人類光明化運動発進の宣言ともいうべき文章が掲載されています。要約すると次のようになります。
「 『汝等天地一切のものと和解せよ』 との信条に生活せる吾等が単なる宗教運動に終始して其の精神を政治力にまで発展せしめざりしがためなり。 是れ実に吾等の罪也。 吾等の罪は断じて贖わざるべからず。 その贖のために起って宗教的信念を政治運動に発展して救国のために新党を結成せんとす。 今や吾らは 『宗教』 という静的精神面に安眠を貪るべき時に非ず。 爰に吾等は生長の家誌友の協力を得て日本救国の一大運動たらしめんことを期す。」
天に召された谷口雅春先生のこの愛国の至情を、三代目の雅宣先生が、先頭に立って推進して下さっていたら … という感慨が胸をよぎります。
(四) 「学ぶ」 誌五月号の 「森で滅びる生長の家教団」 を拝読して、私はあらためて愕然となりました。生長の家の三代目総裁は、やっぱりあの美しい日本の魂を、赤色革命思想、戦後思想によって亡くしてしまったのです。
五年ほど前の情報では ”森のオフィス” 構想は、八王子の原野に建てられると聞いておりましたが、山梨県の八ヶ岳の山麓に移るとは … 。 これは、八岐の遠魯智が岳 (高くそびえる山) で頭をもたげ、とぐろを巻いて、待ちうけている杜に呑み込まれる。 ほろびの道をたどり始めることなのです。
過日 『聖経・廿露一切を需す』 を戴き、ご生前の谷口雅春先生がお召しになっていらしたお着物の布地に触れるや、私は先生の暖かい光の波動につつまれ、まったく予期せぬ大声を発して泣いてしまった。 あの大粒の涙は、雅宣先生の実相顕現を熱祷してきた力みや、雅春先生の末弟子でありながら、未だご恩奉仕が出来ていないことなど、諸々の業を流してくれたのでした。
このお聖経は、日本を救う為、日本の政治家、教育者、実業家、自衛隊員、警察官等の全ての皆様に、携帯して頂きたいと思います。
〈如何に八俣遠魯智に深謀遠慮がありましょうとも、日本の国には宇宙創造の時以来、その天爾の使命遂行のため惟神なる深謀が行ってあるのでありますから恐れることはありません〉
(『古事記と日本国の世界的使命』 一六五頁)
|