平成22年 7月号

み教えを生きる悦び (75)

手足が無くとも楽しいよ

−奇跡の人生を歩む乙武洋匡(おとたけひろただ)くん

鎌 田 久 子


 「先日放映された、乙武君のテレビ、観ました? 手足が無いのに何でもできる、二十三歳の好青年。私は五体揃っていながら、やれ腰が痛い、年なので、とぼやいていた自分が恥ずかしくなりましたよ。いま彼の書いた 『五体不満足』 が、ベストセラーで、入手が困難だそうです。再版が間にあわなくて … 」

  蕊(しべ)の短歌会主宰の杉山葉子先生は、勉強会の席上、感激の面持ちで話された。私は、毎月届く数冊の月刊誌を、全頁読破できないまま、翌月を迎えていた。
  それで、すぐにも読みたい衝動を押え、またいつか店頭に積まれたら購入したいと思っていた。その後、乙武さんには、映像ですらお目にかかる機会もなく、十一年の歳月が過ぎ去っていった。

  ところが最近、六郷通りの古本屋にふと立ち寄ると、緑の帯を巻いた 『五体不満足』 に出会えた。表紙カバーには、電動車椅子に乗った彼が、こちらを向いて、にっこり笑っている。なんて明るく、さわやかな青年なんだろう。思わず手のひらで、車椅子を覆い、もう一度見つめ直すと、そこには、意志の強さを表す濃く太い眉。ピンと伸びた背筋。自信に満ちて、人生を歩む頼もしい若者が映っている。四肢がないなんて、信じられない … 。

  五百万部以上も出版されたという、ミリオンセラーの本をかかえて一目散。家に着くとすぐ、 ”あとがき” から読み始めた。

 「胎児診断。文字通り、母親の胎内にいる子供の検査のこと。この時子供に障害があると分かると、ほとんどの場合、中絶を希望するという。障害者と接点を持たずに過ごしてきた人が、突然 『あなたのお子さんは、障害者です』 という宣告を受けたら、やはり育てていく勇気や自信はないだろう。ボクの母も 『もし私も胎児診断を受けていて、自分のお腹の中にいる子に、手も足もないことが解ったら、正直に言って、あなたを産んでいたかどうか自信がない』 という。
  だからこそ、声を大にして言いたい。 『障害を持っていても、ボクは毎日が楽しいよ。』 健常者として生まれても、ふさぎこんだ暗い人生を送る人もいる。関係ないのだ、障害なんて。 ─ 」

  なるほど。四肢がなくても毎日が楽しい人生という洋匡さんに、ますます興味が湧き、 ”まえがき” へと目を移す。

 「昭和五十一年四月六日、やわらかな陽射しと、満開の桜に祝福されて、彼は大きな泣き声をあげて誕生した。先天性四肢切断。いまだ原因不明。超個性的な姿で生まれた男の子。初産の母親に知らせるのはあまりにも酷ということで、 『極度の黄疸症状のため』 と理由づけ。一ヵ月間面会を謝絶された。一ヵ月を経た面会当日 『実は、少し身体に異常がある』 とだけ告げられて病室に ─ 。現実に直面し、ショックのあまり気絶するかも知れないと、ベッドが用意されていた。」

  初対面のその瞬間 『かわいい─』 と母は、口走ったという。この母の愛にみちた 『喜び』 の一言が、彼の人格を形成し、運命を好転させ、幸福な明るい未来を招く、原動力となっているのだと思う。
  御両親は、実に立派な方で、四肢がない子を隠すことなく、いつも堂々と彼を連れて歩かれた。普通、赤ちゃんを誉める場合は 『お人形さんみたいにかわいい』 。 だが 『ぬいぐるみみたいで、かわいい』 と誉められる。胴体にジャガイモがコロンとくっついているような … 。 個性的な可愛い赤ちゃんとして近所中の人気者となる。御両親の大らかな明るさの賜である。
  四肢はない。しかし内部には無限の可能性を秘めたすばらしい生命。若い両親は、洋匡くんを授かったことによって、愛が深まり、智慧が啓け、生命をいとおしむ魂の開花。生長を遂げてゆく。一方生まれつき四肢が無いことによって、洋匡くんは強靫な精神力を養い、何でも出来る奇跡の人生を歩む人となる。

  日本の国の生命も、現憲法 ・ 母体保護法 ・ 神道指令 ・ 教育基本法 (自虐史観 ・ ジェンダーフリー教育) により手足をもぎとられた乙武君状態である。
  しかし、厳然として二千六百七十年の輝く歴史のいのちが脈打っている。弱体化政策なにするものぞ。
  われらは尊師より神国日本実相顕現の祈りを授けられている。今こそこの言霊 (書き ・ 話し ・ 歌う) をふりそそぎ ”神性日本” の覚醒・回帰を促進しよう。





鎌田久子氏
どんな教えか
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