讃えても讃えても讃えきれない谷口雅春先生
谷口雅春先生は讃えても讃えても讃えきれない先生でいらっしゃいます。不立文字という言葉がありますが、これは真理は言葉や文字では表現できないという意味ですが、まことに谷口雅春先生の偉大さというものは、限定された言葉とか原稿とかではとても表わせない程の偉大な方でいらっしやいます。そのことが、私の中で日一日と広がり深まり高まって行くのです。もちろん谷口雅春先生ご存命中からその想いはありましたが、それ以上に重みを持ち幅を持ち深さを持ち、本当に偉大な先生という想いがこみ上げてまいります。
谷口雅春先生のご生前中には、空気がいつも満ち充ちていて吸っても意識してはおりませんのと同様に、いつも御講話をいただける先生であって、御馨咳に触れることができ、『生長の家』誌、『白鳩』誌、『光の泉』誌、『精神科学』誌、『理想世界』誌、『理想世界ジュニア版』誌のご文章に触れることができました。谷口雅春先生は毎月六誌に執筆なさりながら、月の三分の一は全国を講演されていらっしゃいました。その上、先生が一番御活躍の頃は、六誌のご文章をまとめられて月に二冊くらいずつは単行本を出され、さらにその上に、迫真の才能を発揮されて、日本国家の実相顕現のための救国叢書をつぎつぎと発刊宣布されておられました。
そして、東京の近郊にある飛田給練成道場や河口湖練成道場、日本教文社、印刷会社の光明社、そして七階建ての生長の家本部内にある各局から、毎日毎日、谷口雅春先生にいろいろな書類が届けられ、それを先生は一晩で処理なさっておられました。至らない私どもが漢字を間違って書いておりますと、その誤字までも赤字で訂正されまして、きめ細かくご指導をなさり、お返し下さるのです。
また、全国の教化部からは 「先生、今度新しい教化部を建てたいのですが、本部からの助成金を半分頂けないでしょうか? あとの半分は信徒の寄付に頼りましょうか」 などの相談がまいります。それに対して先生は、 「信徒の方々からただ寄付をして頂くのは申し訳ない。教化部は光明化運動の拠点であるから、揮毫を書くからそれを寄付して下さった方々に配って下さい。」 とおっしやいます。
谷口雅春先生は東京にいらっしやる時も、教化部道場に掲げる 『實相』 をはじめたくさんの揮毫をなさっておられましたが、毎年八月になると孟蘭盆供養大祭がございます。谷口雅春先生はその大祭のために宇治別格本山にお越しになり境内内にあります智泉荘という所で毎晩お休みになります。ある年、私はその智泉荘にお手伝いに行ってくださいと頼まれました。たいへん光栄に存じまして、智泉荘に初めて伺わせていただいてお手伝いをさせていただいたことがありました。
その時に谷口雅春先生のお世話をしてらっしゃる方が、 「先生のゆかたは、すぐに右側の袖のところがほころんでしまうのですよ」 とおっしやいます 。「どうしてですか?」 と尋ねますと、「『今頃先生は智泉荘でくつろがれていらっしやるかな?』と思うでしょう。でも先生はお休みになる間も惜しまれて、ご執筆をされたりご揮毫をされたりしますので、右手を普通の人の何十倍もお使いになっておられます。それで、ゆかたの袖のここがほころんでしまうんですよ」 とおっしやいました。そのお話をお聞きして、私は非常に感激し涙ぐんだのでございます。
「借便」で首が回らない?
しかしながら、現在の私は、その時の感激よりも、もっともっと大きな感激をもって、毎日毎日谷口雅春先生の偉大さに感動しております。本当に私の力など谷口雅春先生と比べれば何億万分の一の微力ですけども、 「世直し・国興し」 という事で二年前に 「暁の鐘」 という会を立ち上げさせていただきました。当初はその会のお世話だけをさせていただいておりましたが、段々と色々な会に呼ばれるようになりまして、全国色々な場所に伺いますと、私が存じ上げない方からも「懐かしい」と言って下さったり、後でお手紙をいただいたり、物を送っていただいたりというようなことが増えまして、交流がどんどん広がりまして、九州や四国や北海道からも 「風の便りに聞いたのですが、どんな会を作られたのですか?」 といったお便りを頂くようになりました。
そういう時に、改めて 「谷口雅春先生は本当に偉大だなあ」 と感じます。私は 「暁の鐘」 という本当に小さな会を立ち上げただけですけれども、お仕事が一杯増えつつあるのです。昼間は個人指導のお電話があり、夜になって静かになってから頂いたお手紙のお返事を書いたりいたします。これは私の性格なのでしょうが、この方が一番先にお手紙を下さったから、この方からお返事を書かないと二番目の方はどうしても書けないという生真面目な所がございます。 「でもこの方の質問は三つもあるから、急いでおられる二番目の方へのお返事が遅れてしまうし、困ったな」 などと悩んでしまいます。でも最近の私は上手になりまして、八枚以上は書かずにまとめるという癖がやっとできました。以前は、正確にお答えしなければと、雅春先生の御著書を数冊並べて便箋二十枚くらいに認めておりました。 ですから最近は週に二回くらいの徹夜で済むようになりました。よく 「借金で首がまわらない」 と申しますが、私の場合は、借金の替わりに 「借便」 のため返信が遅くなりがちで、 「借便で首が回らない」 などと冗談を言いながらやらせていただいております。
私は東京の渋谷区に住んでおりまして、自宅の近くに代々木郵便局があります。渋谷の本局と同じように、二十四時間、日曜 ・ 祭日いつでも営業しております。お返事の手紙のほかに短歌十首を雑誌に寄稿しておりますので、必ず締め切りまでには出さなくてはなりません。それを一晩で詠草します。毎日忙しくしているものですから、一晩で詠みあげ、締め切りの前日に出しに行くのです。午前○時の便ですとその日の消印になりますが、次の午前三時の便になりますと次の日の消印になります。ですから午前○時五分前頃までに、約ニ十分の道程を駆け足で代々木郵便局に出しに行くのですが、それがいつものことですので、職員の方が 「今日の日付にしてあげましょう」 と言って下さって私を喜ばせてくださいます。
「ありがとうございます。助かります」 とお礼を言って、 「やれやれ、今日で全部借便が返済できた、返便できた」 と思って喜んで帰って、また翌日の朝十時頃マンションの集合郵便受けに行きますと、もう何通もお手紙が入っております。 「またお返事を書かなくちゃ」 と思いながら、一方で実は恐怖心にも襲われるのです。お手紙の中には素晴らしい方がいらっしゃいまして、便箋何枚も書いてくださっているのですが 、「お忙しい先生の事でございますからお返事は結構でございます。ただ私の今日までの事を是非知っていただきたくてお手紙を書きました。」 という方もいらっしゃいます。そうかと思うと、 「私は神様に感謝します。生長の家の組織から離れて寂しかったところに、先生が 『不二』 に和歌をお出しになっているのを拝見して、嬉しい」 といってお手紙を下さった方もおられます。この方は元学校の先生で九十歳を超えておられまして、私という茶飲み友達ができたとおっしゃって、いろいろ書いて送って来られるのです。日を追ってお手紙が長くなるものですから、私もご返事は三通に一回くらいの割合にしていたのですが、ある時、長距離電話がかかってきまして、 「先生どうなさったのですか? お返事が来ないので病院にでも入院されたのかと思いました。良かった、お声が聞けて」 「申し訳ありません。今晩書きます」 と申しまして 「長距離電話なので、あまり長くなっては申し訳ありませんから切らせて下さい」 などという事があったりいたしました。
ご自分をさらけ出される偉大さ
そういう日常茶飯事の忙しさというものを体験させていただいているのですが、私などとは比べものにならないほどのお忙しさを、谷口雅春先生は生長の家を昭和五年に始められまして、何と昭和六十年にお亡くなりになられるまでの五十五年間にわたって続けて来られたのでした。
『生長の家』 は、昭和五年三月一日が、今日立教記念日となっております。その昭和五年の三月一日に 『生長の家』 誌創刊号が発行されたわけですが、その 『生長の家』 誌の創刊号千冊を無料でお配りになって、それで生長の家のみ教えをお広めになっていかれたのですが、それからの谷口雅春先生のご多忙というものは大変なものでございました。
当時、谷口雅春先生はヴァキュームーオイルーカンパニーというアメリカの石油会社に勤めておられて、そのお給料で 『生長の家』 誌を発行しておられました。一日八時間オイルカンパニーでお仕事をされて、そのお仕事も英語の翻訳でして、たとえば 「貨幣」 という漢字の「幣」が「弊」という間違った漢字を一字使って翻訳しただけでクビになった人もいたというほど神経を使う仕事をされておられました。谷口雅春先生は当時を振り返られて、目をつむると漢字と英語が踊っていたとおっしやっておられますが、それはどの激務をこなされてお帰りになり、それから徹夜でお原稿をご執筆されたのでした。その他にも、その『生長の家』誌を校正し、宛名書きをなさり、輝子先生が乳母車に積んで郵便局に運ばれる。 まさに挺身 ・ 致心 ・ 献資の奉仕に徹せられたのです。
普通、宇宙普遍の真理を説いている仏典などは何十回読んでも分からないものです。お葬式の時にお坊さんにお経を読んで頂いても、私たちには何の事やら訳が分かりませんが、 谷口雅春先生が 『生長の家』 誌を出してくださったお蔭で、ありかたいお経には、「肉体本来無し、病本来無し、悪本来無し、罪本来無し、幸福のみ充満する世界である」 という、この素晴らしい真理の真髄が説かれているということが、私たちにもはっきりと分かるようになったのです。それは、まるで親鳩が餌を口の中でグニョグニョにして牛乳のように柔らかくして小鳩に与えるように、谷口雅春先生は、私のような幼い魂の者にも分かるようにお説きくださったのでした。
はじめは 『生長の家』 一誌だけだったのが、『生命の教育』 誌も創刊され、『理想世界ジュニア版』 まで発行されるようになって、宇宙に遍満する唯一最高の真理を子供にまで分かるように説かれまして、真理の月刊誌七誌に執筆をされるようになりました。 やがてご自宅で誌友会を開かれ、さらに講演会・講習会も始められました。
このように、谷口雅春先生は本当に毎日お忙しい日々を過ごしてこられたのですが、最近、先生のご文章を拝読しておりまして、大変感動しました。 これは、中島省治先生もご紹介されておられましたが(本誌平成十五年四月号)、その中島省治先生が日本教文社にお勤めされていた頃に谷口雅春先生にご質問のお手紙を出された、そのお返事のご文章です。
これは 『生長の家』 誌の昭和三十一年十一月号に載っておりますが、谷口雅春先生の日常のご姿勢というものはご生涯にわたっていつもこのようなご姿勢なのです。拝読させていただきたいと思います。
「大体、私を神の如く、どこから見ても一点の欠陥もない円満完全な人格だと思うことが可けないのでありまして、私は私の現実を皆さんの前にさらけ出して、そう云う誤解をさけるようにしているのであります。それで、 『生命の實相』 第一巻の 「生長の家と私」 の項にも、 ”私は教祖ではない、私はただ教えの如く生きんと努力し修行しつつある一求道者に過ぎない” と云う意味が書かれているのであります。」
素晴らしいですね。今、色々な宗教教団の頂点に立っている方の中には釈迦の生まれ変わりだとか、キリスト以上に偉いと豪語する人まで現われました。オウム真理教の浅原彰晃もそうでした。あの獰猛な顔で肉をムシャクシヤ食べていた人が、信者には不殺生を説いていました。そして、ゴキブリも拝みなさいということで、浅原彰晃をいまだに信じてる方達は「ゴキブリさん、出て行ってください」と言って窓の外に捨てているようですが、その浅原彰晃は何をやって来たかというと人殺しをやって来ました。自分を偉く見せておいて信者を盲信させる、という典型的な似非教祖でした。
でも谷口雅春先生は、時々ご自分をさらけ出されるご文章をお書きになって、 「実は私は偉くはないのだ、しかし私は神様の精密な受像体となって多くの方々に真理を伝えさせていただくのだ、その信念と使命に支えられて生きているのが私である。」 と、先生はそうおっしやっておられるのではないかと思います。続けて先生は、
「肉体の私が神の如く円満完全であり、永遠不死の人間であるかの如く錯覚していると、それらの人々は私の生活を見て何処かに欠陥を見つけたり、私の肉体が病気になって死んだりしたら、今まで持っていた信仰を失ってしまって気の毒な心境になってしまうに違いありません。実際私は、薄徳菲才で教祖などと称さるべき偉大なる人格ではありません。 ただ私は選ばれて神から御教えの啓示を受け、その啓示を伝えるべく使命づけられたものであります。 そして、みずから、その教えを実行したいと努力しながら時々脱線したり、疲労困憊しつつあるものであります。」
そして、少し先の方でこうもおっしやっていらっしやいます。
「私は『先生』ではありません。私はラッパであり、同時にその喇叭から出て来る教えを聴聞して、それに従って生きん事を念願努力しつつある一信者であります。 『皆さん』 と 『私』 とは 『信者』 と 『信者』 との関係であり、教祖と信者の関係ではありません。ただ役割が異るだけであります。」
と、こう書かれておられます。このようなご文章に触れますと、またまた感動がこみ上げてまいります。神の世界からの無限の啓示を誰よりも謙虚に正確に受信され、その真理を、全身・全霊を傾注されて、愛ふかくご教示くださった谷口雅春先生 ──。いまもなお、尊崇と敬慕の情やみがたく、感謝の涙があふれます。
「皇恩に感謝せよ」は絶対に省略してはいけない
昭和二十八年に初版が出ました谷口雅春先生の 『限りなく日本を愛す』 のご著書の中で、綾川博三というその頃の 「生長の家神戸青年会」 の人ですが、その青年が谷口雅春先生に反論してこう書いております。 「チョンマゲが既に旧きものとなって行く様に過ぎゆくものに何の執著が要りましょう。軍備や挙国一致に必要であった日本精神、家族制度、更に強制された天皇制は徹底的に破壊して、人民の人民による人民の為の政治をする真の民主主義を絶対に守らなければなりません。先生の 『日本再建の道を拓くもの』 を読んで私は先生に対する愛想がつきました。どうかよく考え直して下さって、もう一度今度は 『日本新生の道を歩むもの』 を書いて下さらん事を伏してお願い致します。反抗する弟子を持った師は苦しいと先生は言われますが、全てを捧げた師に裏切られた弟子の心も考えて下さい。 『もとに帰れ』 と又云われますが、私はもっと 『生長の家立教当初に帰れ』 と叫びたい。立教当初の教えは 『汝ら天地一切のものと和解せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である』 ということだったではありませんか。世界を繋げ花の環に、我が理想!」
私なら、こういう事を書かれますと傷ついて当分は気分が悪くなっているところですが、終戦後八年しか経っていない時代にも、マッカーサーから諸悪の根源である現憲法を押しつけられ、教育も唯物史観に塗り替えられてしまって、そこで育った青年達は、わずか八年でこんな生意気な事を谷口雅春先生に書いていたのだなと嘆かずにはおられません。しかし、現在の生長の家の中にも、この青年と似たようなことを言っている方が、それも相当な幹部の中にもおられるようです。それに対して、私などは、 「借便」 の返済に苦心惨憺している状態ですが、谷口雅春先生は何十枚という長い長いお手紙を書いていらっしやいます。それがこのご本に載っております。
「日本精神を愛しない、家族の恩愛を育てる制度を愛しない、そして、天皇を愛しない人があると云う事に気著き、私は且つは驚き且つは悲しむものであります。 生長の家が、天皇陛下を愛し且つ皇恩に感謝する事、そして家族の恩愛の調和ある実現の中にこそ本当の光明生活があることを、生長の家出現の当初から説いて来ていることは、その発祥当時書かれている 『生命の實相』 第一巻の巻頭の神示に、 『汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母である。神に感謝しても父母に感謝し得ないものは神の心にかなわぬ。…… 皇恩に感謝せよ。汝の父母に感謝せよ。汝の夫又は妻に感謝せよ。汝の子に感謝せよ…… 』とあることによってでも、如何に家族の恩愛の情を吾々が立教当初から大切にしているかが明かであります。
(中略)貴方は 、『生命の實相』 第一巻及び 『甘露の法雨』 の巻頭の 『皇恩に感謝せよ』 の神示の一句さえも読まず (読んだのかも知れないが、その神示とは反対に、天皇制を徹底的に破壊せよと云われるから読まないのと同じことだ) にいて、みずから生長の家神戸青年会員と名乗るけれども、君は現在の心境に於いては決して生長の家の青年ではない。」
『生命の實相』 第一巻の巻頭に載っている神示は 「七つの燈台の点灯者の神示」 の中の 「大調和の神示」 ですが、ここで最も大切な言葉は 「皇恩に感謝せよ。汝の父母に感謝せよ。汝の夫又は妻に感謝せよ」 ですが、最近の生長の家の組織の方は 「皇恩に感謝せよ」 を抜かして誦げているようです。 まだ生長の家に入信して間もない方がこの神示を読誦します場合、大体の傾向としまして、妻に感謝できない方は妻の横に座って大きな声で 「汝の夫に感謝せよ」 と読誦しますが、 「汝の妻に感謝せよ」 は抜かして誦げるようです。反対に、妻の方は夫の目の前で 「汝の妻に感謝せよ」 と大きな声で夫の前で誦げても 「汝の夫に感謝せよ」 は蚊の鳴くような声で誦げているようです。ご自分に都合の悪いことは省略なさるわけですが、私か絶対省略してはいけないと思うところは、 「皇恩に感謝せよ」 という箇所です。
この 「大調和の神示」 は、谷口雅春先生が昭和六年九月二十七日に神様から受けられた神示ですから、いかに生長の家が立教当初から天皇陛下と家族の恩愛を大切にしてるかは明らかです。そして、この神示は 『生命の實相』 第一巻や 『甘露の法雨』 の巻頭にも収録されており、一般の生長の家関係の人々は熟知しているところであります。そう谷口雅春先生はおっしやって、この青年に、ご自分が生長の家を悟られ啓示を受けられてからどのように生長の家は歩んできたか、生長の家の経緯を諄々と本当に噛み砕くようにお示しになっていらっしやいます。それを二十九頁もの長さでお書きになっておられます。
そして同じ 『限りなく日本を愛す』 の中に、やはりある青年が 「天皇制の是非について」 質問をしております。かいつまんで言えば、 「私は生長の家の教えによって病気が治りました。だから宗教的真理としては、生長の家は正しいと思いますが、天皇絶対崇拝と説いていることだけは納得がいきません。」 と言っています。
それについて先生はまた烈々たる気迫で書いていらっしやいます。
「何故そんなに、自国の歴史にケチをつけなければならないのですか。ソ連を祖国とする人は別として、苟(いやし)くも日本の国に生れて、日本国民として、祖国日本を愛する愛国者であるところの君の如き人が。 私の説は、またあなたに『 『生命の實相』 を読んだ人には首肯出来るかも知れませんが、それは哲学論であって政治論としては、成立しない』 と云われるかも知れません。しかし吾々の哲学は 『象牙の塔』 の中での空論ではないのであって、実生活に効果をあらわし得るのですから、哲学論であると同時に政治論にもなり得るのであります。」
私はこういう質問が来た時には本当に二日間徹夜をしてしまいます。本当に相手の方に納得してもらおうと思いますので手紙の文章にひっかかってしまい、どういうふうに書かなければならないかと思い悩んで、大変になってしまうのです。けれども、谷口雅春先生は神の受像体として最高の方でいらっしやいますから、こういう青年に対しても長い長いご返事を短時間のうちに書いてしまわれます。こういう崇高な魂の方が肉体をもってこの地上に現れるのは二度とないかもしれない、たとえあったとしても何千年も後のことであろうと拝察する、すばらしい方でいらっしやいました。
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