平成15年 6月号

わが師谷口雅春先生を語る (中)

鎌田久子

(元生長の家本部講師 ・ 現 「暁の鐘」 代表)


『神想観』という最高の「観法」

 偉大な谷口雅春先生に捧げる満腔の感謝の念、それは、筆舌に尽しがたいものがございます。なかでも、今生において一番感謝申し上げておりますのは、『神想観』という最高の「観法」を教えていただいたことでございます。
  『神想観』とは、みなさま御存知のように、神を想い観ずるということでございます。円満完全な実相世界に観入し、神との一体感を深め、神の光の波動、完全な言霊の波動によって、現象の暗黒を消去することの出来るすばらしい生命宣りの「観法」です。
  神に直結し、神の実相世界を現象界に映し出すことのできる『神想観』の奥義を、谷口雅春先生は惜しみなく万人に御伝授くださいました。ちなみに「生長の家の神想観に就いて」は、昭和五年七月一日の『生長の家』誌(第一輯第五号)に発表されております。

  また御講習会の折には、必ず『神想観』実習の時間が組まれており、懇切丁寧に、坐法、合掌の仕方、目の位置、呼吸の仕方などをお教えくださいました。
  谷口雅春先生の絹篩(きぬぶるい)にかけたような澄み切ったお声は、私どもの魂をうるおし、菩薩雲集の静謐の中で宇宙に満つる神との一体感にひたらせて頂く本当にすばらしい至福の刻(とき)を与えていただきました。

    母に手をひかれて講習受けし日の 尊師のみ声耳染に残れる

  人生途上には、神の子の生命を開花させるための、さまざまな試練をいただきます。どんな苦しい事態に遭遇しても、祈りによって解決できるという、神の世界に超人する黄金の鍵を授けていただいたことは、なんと有難いことでしょうか。
  次に二つ、この祈りの効力について最近体験させていただきましたことをご紹介申し上げます。

精神障害者の青年の実相を観る

 その一つは、戦後五十八年を経た今日、諸悪の根源現憲法や現教育のしからしむる由縁でしょうか、たいへん自己中心的な日本人がふえてまいりました。
  日本の国家によって守られ生かされ育まれていることを忘れ、国の生命力を疲弊させるような自虐的な言動を弄する人々をみていると、精神錯乱症か精神分裂症患者が蔓延しはじめたと思っていた矢先のことでした。○○県の警察署から突然お電話が入り、 「○○さんを知ってらっしやいますか」 「ハイ」 「実は、彼が四月の下旬頃から錯乱状態になりましてね。毎日近所の方から逮捕してほしいと110番されるんですが、何分、犯罪を犯してない者は、逮捕できません。われわれとしては、誰か連絡できる人はいないかと彼に毎日お百度踏んできましたが、昨日やっと鎌田さんに連絡して欲しいと、あなたからの手紙の束と、電話番号のメモを渡してくれました。できるだけ早く、御都合の宜しいときに来て頂けませんか」 という内容でした。

  ── 彼の母親とは、玉川学園小学部の同級生で彼女にはミンチン女史というニックネームがつけられていました。

  あるとき出張先の車内で偶然お会いし、側に可愛い四歳位の坊やをつれてらして、 「まあ、ミンチン女史でも結婚したのねえ」 と肩をたたいて祝福し、 「何か困ったことがあったら、生長の家本部にいらしてね」 と名刺を渡して別れました。その後二十数年 「白鳩」 誌を毎月送りつづけましたがナシのつぶてでした。受取拒否をされないことを感謝し、幸せを祈っておりましたが ……。 或る夜、彼女の息子さんから 「母危篤すぐ来い」 の電話が入り、翌朝かけつけました。
  酸素吸入をした彼女は目をとじ、すでに死相がただよっていました。手を握り話しかけると、彼女の目尻からすうっと涙が流れ落ち、口唇が動きました。
  それは、 「チャコちゃん、ご免なさい」 という声なき言葉でした。徹夜で看病し、二日後に息を引きとりました。お通夜もお葬式もたった二人の淋しいものでした。 その四日間、息子のAさんの異状な性格に私は気づいていました。 知能指数は高いが、精神指数は低いということを。
  左翼思想の父母のもとで育ち、小学六年生のときに両親離婚。その後、知的な母親の型にはめられた教育を受け、学校教育も徳育欠如。このような成育歴の青年は社会と隔絶した生き方をして、やがてその不満を爆発させるのではないか。 日本の次代を担う青年をそうさせてはならないと、まずは 『生命の實相』 七巻を送り、母親亡き後の四年間、 電話と手紙で励ましつづけてきたのでしたが ──。

  丁度その頃、彼と同じ年齢の統合失調症の青年が池田小学校の八入の児童を殺傷する事件や、両親殺し、幼少時から可愛がってくださった隣人家族六人殺しなど、世間をふるえあがらせる事件が発生中でした。 何んとしてもマンモスマンションの方々を殺させてはならない。 そう決意し、警察に行き、案内されてマンションの集会室に一歩入ると、二〇名位の方々に、まるで救世主を迎えるような表情で迎えられました。そして、口々に恐怖の体験を訴えられるのです。
  想像以上の大変な事態に直面していることを知り、
  「これからすぐ入院させましょう。私か全部責任を負います」 と。しかし福祉事務所の方は、 「今日は無理です。うちの県は、この種の病人が最近急激にふえましてね。半年から一年待たないとベッドが空かないんです。」
  「他都県の私立の病院なら空いてるでしょう。生命がけで探していただけませんか。私もこれから生命がけで説得しますから」 と。 彼の部屋の前に行き警察の方から私が来たことを告げると、五センチほどドアがあき、対話をすること六時間。ようやく病院行きの承諾を得て帰宅。
  翌朝は、私立病院も見つかり、下に待機中の車も用意。しかし 「健康だから行かない。一週間考慮したい」 に豹変。関係者の方も昼食に出かけてしまわれました。

   何事がしからしめしか狂ひても 自己中心の論理くずさず

  万策つきはてたとき、今は神に祈るしかないと気づきました。素直な彼の姿を心に描いて祈っていると、彼の気持が痛いほど伝わってきました。
  「Aさん、以前、車内で会ったあなたは素直で可愛いかった。お母様が亡くなってからの四年間、たった一人で買ってきたものを食べていたなんて、知らなかった。淋しかったでしょう。辛かったのね。いま誰もいないからドアを開けて。Yシャツ買ってきたから着替えて……。 お腹すいたでしょう。一緒にジュース飲みましょう。」
  すると、うつろな、それでいて鋭い眼光のAが、のっそりと姿を現わし、ドアチェーンをはずしてくれました。昨日よりも、殺気がうすれ、自分を認めて、愛して、見守ってほしいと訴えているように感じました。 階下の方からいただいたジュースを、二人で飲んでいた頃、外ではドアが開いたことを住民の方が関係者に知らせ、連係プレーがなされていました。

   午後三時私服警官三人きて 両腕ひきずり車に乗せぬ

  巨大ゴミ箱と化した部屋の掃除。保護・扶養義務申し立て。資格取得。および履行。時間はもとより、体力や金銭の負担に押しつぶされそうな日々がつづき、ワラをも掴む思いで、 「精神障害者の家族の方へ」 という講演を受講したときのことです。隣りに坐った方が、
  「奥さんとこも息子さんですか。国の施設は二ヵ月で退院させられますからね。たとえ借金しても私立に入れて、這ってでも長生きして、あの子が犯罪をおかさないように見守らなくては。私はあの子より半日だけ長生きさせて下さいって、神様に祈っております。」 頭が下りました。

  この母の熱い生命がけの無償の祈りが私には欠けていた。とことん面倒をみさせていただこうと、心が定まりました。両親のあたたかい愛に恵まれなかったAの仮想を焼き書くす、実相観入の熱祷(ねっとう)に変って五日目、何の期待もせず面会に行くと、鍵のかからない大部屋に移されていて、お面をはがした別人のようなさわやかなAが、はじめて私と目を合わせ、軽く会釈をしてくれたのです。肩の重荷と恐怖心がスウーッと消えて思わず合掌しました。 本当に嬉しゅうございました。その後のAは、一人で外出も出来るようになり私宅の側の能楽堂へ、お能を見にきたり出来るようになりました。今は、本人が希望すれば、何時でも退院できるまでに回復しております。 (統合失調症は、すぐ直り犯罪などは犯しませんが、性格異状者が殺人鬼に変貌するのです)

   病める汝の見えざる砥石わが魂の 隅ずみまでも磨きくれにし

  谷口雅春先生は、 『生長の家』 誌創刊号に 「 『生長の家』 出現の精神とその事業」 の中で、体中がふるえるような感動の宣言をなさっていらっしやいます。

  『自分はいま生長の火をかざして人類の前に起つ。起たざるを得なくなったのである。(中略)自分の火は小さくとも人類の行くべき道を照らさずにはおかないだろう。此の火は天上から天降った生長の火である。火だ! 自分に触れよ。自分は必ず触れる者に火を点ずる。生長の火を彼に移す。自分は今覚悟して起ち上った。見よ! 自分の身体が燃え尽すまで、蝋燭のようにみずからを焼きつつ人類の行くべき道を照射する』

  何という崇高なるご宣言、何という高邁なるご覚悟。 師のかかげる炬火の熱き火の粉の一粒となって私もまた燃えて祷り、燃えて生きよう。 神の御心を生きるとは、神の子の生命を丸出しにして、地位も、名誉も、欲望もかなぐり捨てて、無心に祈り、無心に生命を燃やして生きることだった。 A青年とのかかわりあいを通して、日本国家の実相顕現運動の諸活動、人類光明化運動への熱き祈りをともなった行動の大切さを学ばさせて頂きました。そして谷口雅春先生の昼夜を問わぬ御活躍は、あの 『出現の精神』 そのままの御生涯であられたと、感動と感謝の念につつまれております。

『言葉の創化力』 で枯れた橙(だいだい)が蘇える

 二つ目の感謝は、 『言葉の創化力』 を教えて頂いたことでございます。 ”生命の宣べる言葉は宇宙に広がり、神の世界の無限の善きものを地上にもちきたす” という、とても嬉しい悦びの体験でございます。
  二年前に小さな黄金の実をつけた橙の鉢植えを買いました。 ご皇室代々、日本国家不壊不滅の興隆など、代々の弥栄を祈念して買ったものです。 一年目は花も実もつけませんでしたが、枝葉は二倍に伸びました。 ところが秋の十月から、年明けの一月までマンションの大修復工事が始まり、他の鉢植と一緒に四ヵ月家の中に入れておきました。修復工事も終り、すべての鉢植をベランダに出し毎日水をやっておりますと、他の植物は大喜びで、ぐんぐん緑の葉を出し美しい花々を咲かせてましたが、橙の木は四月の中旬になっても灰色の枯木のままです。 「弥栄、弥栄」 と声をかけ、一日おきに水をやっておりましたが、何だか憂僣になってきました。
  水上勉氏が 「日本の国は根まで腐ってしまった」 と過去形で書いてらしたが、作家の鋭い感性がそう捉えられたのか。せめて 「日本は今や腐りつつある」 と進行形で表現して下されば望みはあるのに ……。 この橙を腐らせることは、日本を駄目にすること、そんなふうに思い、必死で話しかけました。 「もし私の誕生日(五月二日) になっても芽が出なかったら、あなたを根ごと抜いて公園に捨てなければならない。」 「あなたは生きてる、大丈夫。必ず芽を出します。弥栄、弥栄」 と。しかし一枚の葉っぱもない枯枝は精彩を欠いたままです。
  この年は、古事記の黄泉の世界が出現したように日本の国は、蛆(うじ)たかり、禍ごとはびこる大変な状態になってきていました 。一国の総理は国家理念が確立されておらず、せめては、クリーンであること位。 政治・経済・教育・防衛・食品などの各業界に不祥事件が続出。なにか橙が国の生命を象徴しているような気がしてならないのです。
  御皇室代々は、愛子内親王殿下が御生誕遊ばされたいま御安泰。 「日本の根は腐っていない!」 という思いが湧き、短い細い灰色の枝に左手をあてて神想観をしておりました。そのうちに橙には 『大日本神国観』 (昭和十六年一月一日発表) が一番ふさわしいと思い、この 「観法」 を実修し、鉢の上から橙の根っ子のところに両手をかざし、 「弥栄、弥栄」 と話しかけていました。

  忘れもしません。四月二十九日 (昭和天皇の御生誕を記念した 「緑の日」 祝日 ) ベランダ用の国旗を出し心晴れ晴れと 『大日本神国観』 を実修させていただきました。 少し明るくなったベランダの全体を眺めてますと、いつも手をあてて祈っている枯枝の節々に、五ミリ位の細い白い糸がついているのです 。呼吸ができるようにと、短い白い糸をパッパッと払いましたら、落ちずにまたピンと立ってしまうのです。 しげしげと観察しますと、銀色に輝く針のような細い橙の葉が芽を出していたのです。 橙の生命は生きていました。 復活したのです。 神州不滅、日本国家の根っ子は生きている。 祈りを深め、言葉の創化力を駆使し、熱血たぎる行動を展開しよう。
  ささいな体験を笑う方がいらっしやるかも知れませんが、私は涙が出るほど嬉しくて、活力が滾々(こんこん)と涌きでるような感動を覚えました。

   金・異性・名誉を捨てて日の本の 蘇生に微力ささぐる楽し





鎌田久子氏
どんな教えか
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