平成16年 2月号

み教えを生きる悦び (1)
                       かしこ
昭和天皇の御辞世 ”くやしくもあるか” を畏みて


鎌 田 久 子
 


  はじめて、皇居清掃奉仕(平成十年九月二十八日〜十月一日)に参加させて戴いた時のことである。
 一日目の早朝五時より 「大日本神国観」 ・ 聖経読誦、 七時には靖国神社参拝 (祝詞 ・ 御製奉唱・今上陛下の大御心と一つになる祈り ・ 国歌斉唱) の行事を経て、 皇居参内。

 宮内庁職員の方々の懇切丁寧な接遇に、奉仕というより皇居に招待されたような感激を覚えつつ、午後四時に皇居を参出。 四時半からは靖国神社昇殿参拝に預かり、護国の英霊に、心ゆくまで深い感謝の祷りを捧げさせて戴くことができた。
 すがやかな思いに満たされながら、参集殿出口にさしかかると、 「御自由にどうぞ」 の貼り紙の横に数種類の資料がおかれていた。それらを有り難く頂戴し、帰宿。ミーティングも済み、かの資料を読み進むうちに、恐懼のあまり、息をのんだ。

  やすらけき世を祈りしもいまだならず 
        くやしくもあるかきざしみゆれど

                    (昭和六十三年八月十五日)

 ほんとうに迂闊であった。昭和天皇崩御五カ月前、全国戦没者遺族に下賜遊ばされた御製であったとは ─ 。この年、昭和天皇は病重く、那須のご静養地から東京へのお渡りは御無理と、お止め申し上げても、お聞き届けなく、ヘリコプターで前日皇居にお還りになられ、全国戦没者追悼式に御臨席。 おやつれになられた陛下は、日本武道館の手すりに必死におすがりになり御登壇。 鎮魂 ・ 慰霊を遊ばされた。

 しかし、畏れ多くもご胸中を拝察申し上げれば、すぐ側の靖国神社にどんなに御親拝遊ばされたいと思召しであられたか … 。 その折の御感懐を、直裁に表出された御製である。
 御生涯を通じて、万人におやさしく、おおらかに接し給い、森羅万象に慈愛をそそがれた陛下が、国事に関する最後の御製に ”くやしくもあるか” とお詠みになられた御無念をおもい、申し訳なさと、草莽の民の非力さに、ただホロホロとわたしは泣いた。

 占領軍は、伊勢神宮はもとより、靖国神社、各県護国神社 ・ 軍人をご祭神として祀る神社を、国家と政府から分離した。 とくに靖国神社は、大和魂の凝縮した依代 (よりしろ) として解散させる方針であったと仄聞する。 独立後、 「靖国神社国家護持法」 案は、四回衆議院に提出されたが廃案となり、紆余曲折し、現在に至っている。
 今年の八月十五日、帝都は終日豪雨に見舞われた。 「第十七回戦没者追悼中央国民集会」 の受付を頼まれていたので、沐浴をすませ、八時に家を出発した。


   靖国の宮うれへます先帝の
   み嘆きの雨か朝よりはげし

   真白なるテントを打つは英霊等 (みたまら) の
   慟哭にこそ音ははげしき


 谷口雅春先生は、旧 『生命の實相』 第十六巻 「神道篇」 に次のようにお書きくださっています。

 「(一) 神社に祭祀されている神々は、諸皇族方の御霊魂は申すまでもなく、概ね、古来日本神国のために功労のあった忠臣傑士の英霊であって、日本を守る守護神となっていられるからであります。
  (二)更に、神霊学上より申せば、霊魂は物質的食物を食しては力を増さず、礼拝者の愛と崇敬の念波を食して (食しての言葉は不適当なれど) その神通力を増すのであるから、一朝、全日本国民が誤れるキリスト教牧師の示唆に従い神社礼拝の良俗をやめて了いますと、日本民族の守護神の神通力はうすれ、従ってその守護の力は微弱となって、地上日本もその影響を受け、外侮を受けても如何ともしがたくなるのであります。
 (中略)
刻下日本の非常時、生長の家誌友諸君は何卒 (なにとぞ) 此の際、大いに神社礼拝を実行して日本国の守護神たちの神力を増大せしめて、霊界よりの冥助の活発なるよう努力せられんことを希望するのであります。」
   (一一九頁〜一二〇頁、原文は正漢字歴史的仮名遣い)

 なぜ共産圏国が、日本の唯物思想の団体が、マスメディアが、靖国神社参拝に反対するのか。 それは、彼等が無意識裡に日本崩壊の陰謀に踊らされて、日本民族の守護神の力を弱めたいからである。

  隣国の内政干渉払ひ除け 英霊 (みたま) に応へよ日本為政者


 

鎌田久子氏
どんな教えか
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