最初の講話がすむと、私はすぐ事務室にいき、「あの倒れた方、どうされました?」 と尋ねた。
「いやあ、ここまで大音声が聞こえてきましたので、何事がおこったのかと道場へ走っていったんですが、戸をあけた途端、Aさんの身体から無数の憑依霊が戸口の方へ去っていきましてね。 それで一瞬気を失ったんですね … 。五分ほど休まれて、もう元気に行事に出ておられますよ」
「ほおーっ、脳溢血ではなかったんですね」 。 私は救急車沙汰にならなかったことに心から安堵した。
「浄心行」 の実施に必要な準備万般の打ち合わせをし、道場に行くと、みな私語ひとつせず、 「○○家先祖代々諸霊にまつわる悪業悪因縁皆空消滅」 の用紙に、記載中である。 「親展」 のお手紙の母娘と思われるお二人も背中合わせに坐って一心不乱に認めあっている。 「ああ、皆様なんて素直な神の子さんなんでしょう。」 思わず合掌していると、ふいに父への熱い感謝の思いが胸に込み上げてきた。
─ 今まで、私は心の底から父へ感謝したことがあっただろうか ─ 幼くして死別した父との思い出は少なかった。母には具体的に、存分に感謝できても、あの世の父には表面的な感謝や礼拝だけだった。 従容 (しょうよう) と死をうけいれ、この世から姿を消した父。 あの頃から、大好きな母や妹と別れることは堪えられない。 死にたくない。 と死を恐怖し、悩み始めた私。
「お父様、今生でのお別れを早くから体験させていただいたお蔭で、永遠に生きとおしの神の生命われなり、肉体を含め、目に見え、手に触れるものは、瓦礫の如く朽ち果てるもの、と解らせていただくことができました。 いつも私を見守り導いてくださっていらしたのに、魂の底から感謝したことのない冷たい親不孝の娘でした。ごめんなさい。本当にごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」 。
涙が溢れて止まらない。
部屋にタオルと筆ペンをとりに走り 、 『實相』 額の前にお供えしてある 「浄心」 の紙をいただくと、私も夢中で懺悔の思いを書き綴った。 ”神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ” 今宵、この真理の言葉がしっかりと魂に根を下し芽吹き始めた。
精神分析的観念泄写 (シ 偏)では、時間 ・ 回数 ・ 金額がかかりすぎる。しかも深層心理にひそむ汚れ (生育歴や身体的欠陥によるトラウマなど) をとりのぞくことは至難である。しかし 「浄心行」 は、人間の智力 ・ 努力を超えた住吉大神の浄化のお働きと、 『聖経』 の功徳と、その真理の言霊に感応して働き給う神霊の御加護、お導きによって、先祖代々の業さえも、一切を焼き尽くし消滅してしまう、素晴しい行事である。
過去何十回も 「浄心行」 の先導をさせていただきながら、私は自分の浄心を怠っていたことを、神に深くお詫びした。そして 「浄心行」 の神聖行事に携わらせていただくことのできる光栄を心奥より感謝した。
聖経 『甘露の法雨』 『天使の言葉』 読誦の中、四人の白装束を着用した白鳩会幹部が、両手の平にはさみ、念の転写された懺悔文を焼却炉に入れていくうちに、不思議な現象が起きはじめた。きちんと折りたたまれた懺悔文が、天の浄火で白い灰になり、風もないのに ふわーっ と空中に舞い上がり、道場内をゆっくりと飛翔し始めたのである。しかも何枚も何十枚も … 。
霊視能力のない私も ─ ああ、中絶児の霊魂が悦びながら成仏していく ─ と直観した。そのうち誰かが感きわまって、浄心の相手の名前を叫び、懺悔をはじめると、堰を切ったように、泄写(シ 偏)の言葉があちこちで飛び交い、声をあげて泣く人が続出。 住吉の大神の浄化の霊波、観世音菩薩の神癒の光がふりそそがれていることを全員が感得させていただいた。
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「いま、私たちの心は、魂の奥底まで浄められ、一切の罪と病と死から解放され、喜びと感謝に満たされて円満完全な実相があらわれたのでございます。 この悦びに逢うことが叶いましたのも、御先祖様および父母の御徳により、私がこの世に生まれることが出来たからでございます。御先祖様、有難うございます。 お父様、お母様、有難うございます」 ─ 道場に明るい蛍光灯がともると、みな涙で洗われた瞳が輝き、頬も鼻の頭もぴかぴか光っていた。
「みなさま、心さわやかに、ごゆっくりお休みください。 ただ、そのままお休みになると、お顔にお塩がふくかもしれません。どうぞ、もう一度、お顔を洗ってからお休みくださいませ。」
どっと明るい笑い声と拍手がおこった。
(つづく)
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