平成16年10月号

み教えを生きる悦び (9)

ある見真会での出来事 (四)

鎌 田 久 子
 


  「いまごろ、誰かしら … 」 そっとドアを開けると 「せんせーっ」 と、いきなり大柄な女性が胸元へ飛び込んできた。 思いつめた表情と、ただならぬ雰囲気に圧倒され、二人してその場に座り込んでしまった。

  「講師 (せんせい)、もっと前からお会いしたかったのに … 。 もっと早く、お話を伺っていたら … 」 感情を抑えながら、とぎれとぎれにそう言うと、膝にとりすがり、ウワーッ と声をあげて泣き出した。ああ、この声は津波のような声を発して気を失ったAさんだ、と分かった。

  「過去は、戻りませんけど、でも、こうしていま、お目にかかれたんですもの。もう、大丈夫、大丈夫ですよ」 背中をさすりながら、子守唄のように ”大丈夫経” を唱えていると、号泣が嗚咽に変わり、ようやく泣き止んだ彼女は、すがるような目をして話し出した。

  「わたし、○八人も堕してしまいました」
  「十八人もですか?」
  「いいえ、二十八人もです」

  そうはっきり告げると、またも膝に顔を埋めて泣きじゃくるのだった。一瞬 「殺人機械(マシン) 」 という言葉が脳裏をよぎった。それにしても知らずして犯す罪 (焼け火箸と知らずに握って火傷する) の大きさに愕然とした。

  尊師は、いつか 「白鳩」 会中央委員会の御結語のときに、こうおっしゃった。

 「みなさん、私がこうして話している間にも、幼い生命が中絶されているんです。真理の種が盛れている 『白鳩 』 誌を広めて下さい。たとえ堅いコンクリートの上でもですねえ、風が土砂を運んできて、そこに雨が降れば、真理の種は芽吹くのです。」 … と。

  肥沃の土地へ鈍行列車に乗って種まきをしている自分が恥ずかしかった。 「もっと前からお会いしたかったのに … 」 この言葉にも、私は胸がしめつけられるような自責を味わっていた。
  やがて彼女は、身体中の水分を懺悔の涙に変えて、中絶のいきさつを話し出した。戦後の風潮の中で設立された生命保険会社の実態は、セールスウーマンを道徳的に頽廃させるひどい内容のノルマを課していた。

  「中絶障害は、ないんですか?」 と問うと、「いま何時ですか」 と逆に聞かれ、三時四十分と答えると、急に立ち上がり 「アラッ、アラッ」 と手足を不思議そうに動かしている。聞けば、十年来、毎晩三時頃になると、頭髪から手の平、足の裏まで汗びっしょりになり、シャワーを浴びて衣類を着替えなければならなかったという。それがなくなっていた。 しかも副次的に、首筋から背中、腰にかけての鈍痛が消えてしまったと。
  「嬉しい、嬉しい」 を連発。私も嬉しくなって、よかった、よかった、と二人で手をとり、飛び跳ねていたが、真夜中だったと気づき、シーッ と口を押さえて笑いをこらえあった。心が溶けあえたところで、私は彼女に、二つの実践をお願いした。


一 かかりつけの医者に 「名前をつけて供養をしたいのでカルテを拝見したい」
   と申し出て、霊牌記入のため堕胎した年月日のメモをとってくること。その折
   に、この本 『生れ来る生命を豊かに育てよう』 を差し上げて下さい、と筆ペン
   で ─ ”祈る” ○○医院の御発展 ─ とサインしてAさんにお渡しした。
   そして勇気を出して 「出産児よりも堕胎児の数の方が多い産院は、早晩つ
   ぶれる運命にある。出産困難な母子の相談にも気さくに応じて胎児を救う仏
   の先生になって頂きたい」 と説得してほしいと頼んだ。

二 Aさんは、神に選ばれて、いまの会社に配属された天使。この会社を浄化す
   る使命がある。保険会社はお客様の財産 ・ 生命 ・ 健康を保証させていた
   だくためにあると思う。 社員の誠実さ、高い人格の輝きによって加入促進を
   はかる、そんなマニュアルを創ってほしい。
   また社長には、 『栄える生活三六五章』 を贈呈して、生長の家の真理を根本
   に据えた経営方針に切り替えるよう、働きかけて頂きたい。成績ナンバーワン
   のAさんだからこそ、説得力を発揮して必ず出来ます

… と。


  幾度も、深くうなずき、顔をあげたAさんの目を、私は美しいと思った。生命倫理学の草分、木村利人氏が、先の憲法調査会で 「GHQの秘密文書には日本の人口抑制が描かれていた」 と発表。戦後、GHQによって ”日本なるもの” を隠蔽せしめられた三大悪法は、現憲法 ・ 教育基本法 ・ 母体保護法だと思う。 いま、十代の中絶が、世界一多い国は、日本なのだから … 。





鎌田久子氏
どんな教えか
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