平成17年 2月号

み教えを生きる悦び (13)

谷口雅春先生から頂戴した御詩を心に抱きて

鎌 田 久 子


 八年間お世話になった、大泉学園のご夫妻をお見舞いに伺った帰りの電車の中で、突然「久子先生」と背後から声をかけられた。驚いて振り向くと、和敬幼稚園時代のなつかしいお母様の笑顔がそこに。

「あらぁ、お顔は覚えてますのに、お名前が…」
「西田正人の母でございます。先生、ちっともおお変わりにならない…」
「あぁ、正ちゃんのお母様。正人さん、ずいぶんご立派に生長されたでしょうね」
「はい、お蔭様で。公務員です。今は四人の子供の父親で、私も孫たちに囲まれて、毎日マゴマゴしております。正人、先生にお会いしたと話したら、うらやましがるでしょうよ」
「でも、幼稚園の頃を覚えてらっしやるかしら」
「覚えていますとも。息子はネ、先生に似た女性と恋愛結婚しましてね。私ども二世帯一緒の八人家族。嫁と一緒に出かけますと、よく娘さんですか?と聞かれる位、なごやか家族なんですよ」

 いまは、両親と別々に住む若夫婦が多い中、明るくにぎやかな西田家のぬくもりが伝わってくる、嬉しい出会いであった。

 四年保育の正ちゃんと交わした ”指きりげんまん” の思い出話にも花が咲いた。
 それは、昼休みのお砂場でのことだった。みんなで砂に水をたらして、砂の芸術創作に熱中しているとき、首を傾げて私の顔をのぞき込んだ正ちゃんが、いきなり真剣な面持ちで言った。

「久子先生。僕と結婚して。ネェッ、ネェ」

 あまりにも一途で唐突なプロポーズに、仰天した私は、とっさにおちゃらけた返事をしようと思ったが、すぐに恥じた。息をひそめ、澄んだ瞳でじっとみつめる正ちゃん。この園児の将来に対して、屈折した人生観や結婚観を抱かせてはならないと思ったからだ。

「先生ね。正ちゃんは大好きだけど、結婚は出来ないの」
「なぜ?」 と、正ちゃん。
「だってネ、正ちゃんが三十歳のとき、先生は五十歳。正ちゃんが四十歳のときは、先生は六十歳のおばあさんで、顔中シワだらけになっているもの」
「大丈夫だよ。アイロンで伸ばしてあげるから」
「でも、ヤケドして、はれちゃうでしょう?」
「平気だよ。ヤケドしないアイロン発明してあげるもん」
「ウワーツ。シワ仲ばしアイロン発明してくれたら嬉しいなぁー。でも正ちゃんが五十のとき、先生は七十でしよ。入れ歯はガクガク。腰はまがってヨボヨボ」 と歩いてみせた。
いつもの正ちゃんなら笑い出すのに、一向にたじろがない。

「心配しなくていいよ。僕ネ、若返りの薬を発明してあげるから。ネエ、結婚して。ネエ」
「先生、結婚するっていってやれよ。まあちゃん泣いちゃうよ」 と、そばで聞いていた年長組の秀ちゃんがおませな口をきく。 正ちゃんは先輩園児の助言に勢いを得て、やおら砂だらけの小指をかざして私の指を捉え、「指きりげんまん嘘ついたら針千本のーます」 と、すばやく約束をとりつけてしまった。

 私は正ちゃんの母親から、お菓子を食べて朝食をとらないと聞いていたので、
「正ちゃん、朝からお菓子食べるんですって? 先生、正ちゃんは発明博士になって欲しいから、朝はご飯をいっぱい食べてね」
「はあーい」 とご機嫌の正ちゃん。

 翌朝、元気に登園してきて。
「先生、僕はやく大きくなって発明博士になりたいから、ご飯三杯も食べたんだよ」
「そう、えらい、えらい、有難う」 とお頭をなぜたっけ … 。

 幼稚園の先生は、いつも園児と歌ったり踊ったり、ごっこ遊びに興じたり、気楽な職業に見えるかもしれない。ところが実際はつねに心・身・脳をフル稼動させて対処する大変な仕事なのである。専門教科を担当する教師は、じっくりその単元学習のみに全力投球すればよいが、幼児教育は、全教科(数学・音楽・絵画・美術工作・健康医学・保健体育・天文学・宗教哲学・道徳・礼儀作法・深層心理学)を、その場、その刻、その児の理解度に合わせて対応する人格形成の土台の部分を担当する、生甲斐に満ちた職業である。
 幼児は、純一無雑、表裏がない世界の住人だ。あの繊細な神経とゆたかな感受性をそなえた正ちゃんのお嫁さんは、容姿端麗・頭脳明晰、私などとは似ていないにちがいない。もし、似ているところがあるならば、それは雰囲気かも知れない。かつて接したすべての園児たちよ、倖せに … 。

 私は、生涯、幼児教育に携わるつもりだった。それがいつしか、老若男女と接し、真理をお伝えする道を歩ませていただくようになった。いまは、谷口雅春先生から頂戴した御詩を、いつも心に抱きながら … 。

  ひとが なんとおん身を批評しようとも
  おん身は毅然として真理と共に立たねばならぬ
  おん身は 真理がいっさいのよろこびの
  源泉であることを知らねばならぬ





鎌田久子氏
どんな教えか
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