平成17年10月号

み教えを生きる悦び (21)

大いなる母性を生き抜かれた輝子先生

鎌 田 久 子


 昭和四十一年の御題詠進は 「声」 であった。あのころの 「白鳩」 誌新年号には、いつもお山四先生の短歌が掲載されていた。
 十二月の中旬ごろには、もう新年号が届く。新春の 『宮中歌会始 (二月十三日前後) 』 御儀の1ヵ月も前に、尊師を始め、諸先生方の詠進歌の載つている頁をひらくと、なぜか威儀を正して、この日本にうまれさせていただいた喜びが、ふつふつと湧いてくるのだった。
 なかでも 「歌会始 」の御題 「声」 の放映中、 昭和天皇の御製が朗詠されるや、本当に魂の底から恐催し、胸うたれる感動を覚えた。

 昭和天皇の

  かくれたる人の声を求むる

の ”唱” に対し奉り、

  叫ぶわれらの声聞き給ふか

と、見事に ”和” しています谷口雅春先生。

 陛下が、公けの場で賜るお言葉は、用意周到な気くばりをされての御表白あられると拝察する。 それだけに、混じり気のない、透明な光のごときおほみごころは、御製の三十一文字にこそ、直截にご表白あらせられる。言霊の妙である。

 先帝陛下の純一無雑の御真情と、恋闕の至上あふれる尊師の赤誠が、時空を超えて、相呼応される感動の事象に出会えたこの年、私は心に深く誓った。これからは、天皇陛下・皇后陛下、雅春先生・輝子先生の詠進歌を、その年の人類光明化運動 (天皇国日本の実相顕現) の道しるべとさせていただこうと。

 昭和四十三年の御題詠進は 「川」 であった。

  花びらも塵も芥も抱きとりて 唯おほらかに川の流るる

 ああ、輝子先生の、高い霊性に根ざした御人格そのものの調べが奏でられているお歌。御文章も和歌も堪能でいらっしやる輝子先生。そのゆたかな才能に、いまも魅せられつづけている。
 ”をみなこそ” と一対をなす秀歌として、私はこのお歌が大好きで、ときどき自己流の旋律をつけて、うたわせていただいている。

 よく ”川は生きている” ”流れる水は腐らない” ”母なる川” などといわれるが、川は、女性の象徴と思う。
 女性原理は、受性 ・ 包容性 ・ 育性 ・ 水性 (すべてのものを洗い流し、浄める) とお教えいただいている。塵も芥も、腕 (かいな) に抱 (いだ) きとり、やがて浄め溶かしてしまう、大いなる母性を生き抜かれた輝子先生。でも、お若い頃は、けっして平坦な人生ではなかったと述懐されている。
 父なる神を求めて、大本数に入信され、雅春先生と御結婚された当時、

─ 「谷口先生も奥様も、三十歳までは生きられない体だ」 と、有田九皐先生が診察され、他にも伝え、私たちにも直接いわれました。私たち若い夫婦は、前途に希望を失い、暗濾たる気持になって居りました。(略)
 或る日、夫の養母は私に申されました。

 「輝子、雅春のような貧乏な者の所へ、嫁に来る人など滅多にあらへん。あんたは私の財産を目当てに来だのやろね。それは当て違いやぞ。私は貴女には一文も上げないよ。私の金を目当てに嫁に来た人に、その手に乗るもんか … 」

 思いもかけない言葉を聞かされて、私は眼も暗む思いがした。世の中には、一文もお金の無い男性でも、その魂、その人となりに惚れて結婚する女のあることを知らして上げたい。きっときっと知らして上げる。この世に生きている間に知らせて上げ得なかったら、死んであの世から私を見ていて下さいと、私は キッ と決意しました。

 人の生命の奥に宿る、神性仏性を引き出さずにはおかない輝子先生の強靭な愛は、 ― 自分の金持を誇り、貧乏な養子 (雅春先生) を軽蔑していた養母は、やがて会う度に、養子や嫁に合掌されるようになりました。 ─

 こうして天国浄土を生み出され、偉大な雅春先生を支えられる生涯を全とうされたのである。

 おおらかに流れる母なる川は、輝子先生の愛そのもの。人生途上の塵や芥も、この世での魂の開花をうながす栄養と為し、われらの罪を赦し、浄め、金波銀波の輝く大海原・住吉の大神まします龍宮海へといざない給うのである。
 龍宮海は、無尽蔵の世界。日々祈りを深め、一切を生み出す根元世界から、現憲法廃棄・明治憲法復元・改正。 母体保護法改正の神通力をいただいて、光の進軍を加速しましょう。


  おほいなるみ手にひかれて今日も明日も 光をゆくかいとしわが子よ





鎌田久子氏
どんな教えか
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