「八紘一宇」について

仙 頭    泰

 この言葉は、「八紘為宇」ともいわれるが、Universal brotherhoodであり、全人類はことごとく普遍的生命の兄弟であるという意味である。それを東京裁判においては、検察側は勿論のこと、ウエップ裁判長もこれこそ日本を侵略戦争にかりたてた世界征服思想であると頭から信じきっていたようである。東京裁判のとき日本側弁護団の清瀬一郎博士はその著書「秘録・東京裁判」(78頁)の中でもこのことについて、縷々のべてある。

 被告の中でも、平沼麒一郎氏や荒木貞夫氏らは特にこのことを憂え、彼らの誤解を解きたいという切なる願望があった。「八紘一宇」は、神武天皇建国の理想であり、世界中の国々の民族が互いに「魂の兄弟」として一つに睦び合い、それぞれの国々にはそれぞれの都がありながら、それらを兼ねて世界連邦の都をつくり、共存共栄して行こうと云うのである。かくの如き全人類を一家の如く考える平和な思想である。

 このような世界連邦建設の大理想が今から三千年近く前に、神武天皇が述べられ建国の理想とされたということは、まことに驚異すべきことと云わねばならない。八紘というのは、天地の四方八方あらゆる方角で世界中みんなということであり、一宇は一家のことであり、世界中の人々が一家族のように仲良く相和し、扶け合い、生かし合って生きていくという意味である。

 そこで清瀬一郎弁護人は、日本の古典、明治当初の文献などに翻訳をつけて裁判所に証拠書類として提出するとともに平沼氏より井上孚麿氏を証人として推薦してもらい、この言葉を十分に説明してもらった。余談になるが、井上孚麿氏は「現憲法無効論」なる著書を日本教文社からだしておられる。一読を薦める書である。

 東京裁判では、その結果として、裁判所側も「日本の道徳上の目標である」ことを認めざるを得なくなった。このことは東京裁判の判決書(日本文)十三頁下段より十九頁上段にいたるまで記載されている。学習のためにつぎに記載する。

          「皇道と八紘一宇の原理」
 日本帝国の建国の時期は、西暦紀元前六百六十年であるといわれている。日本の歴史家は、初代の天皇である神武天皇によるといわれる詔勅が、そのときに発布されたといっている。この文書の中に、時のたつにつれて多くの神秘的な思想と解釈がつけ加えられたところの、二つの古典的な成句が現われている。

 第一のものは、一人の統治者のもとに世界の隅々までも結合するということ、また世界を一つの家族とするということを意味した「八紘一宇」である。これが帝国建国の理想と称せられたものであった。その伝統的な文意は、究極的には全世界に普及する運命をもった人道の普遍的な原理以上の何ものでもなかった。

 行為の第二の原則は「皇道」の原理であって、文字通りにいえば「皇道一体」を意味した古い成句の略語であった。八紘一宇を具現する途は、天皇の仁慈に満ちた統治によるものであった。従って「天皇の道」− 皇道または「王道」 −は徳の概念、行為の準則であった。八紘一宇は道徳上の目標であり、天皇に対する忠義は、その目標に達するための道であった。

 これらの二つの理念は、明治維新の後に、ふたたび皇室と結びつけられた。一八七一年(明治四年)に発布された勅語の中で、明治天皇はこれらの理念を宣言した。その当時に、これらの理念は、国家組織の結集点を表現したものであり、また日本国民の愛国心への呼びかけともなった。

 以上のごとく東京裁判では、「八紘一宇」が道徳目標であり、侵略思想でないことを明白に肯定したのである。あの日本弱体化をはかり、敵意をもった裁判官さえ、かくの如く判決をせざるを得なかった事実には、注目しておくべきである。否、われわれ日本国民が決して忘れてはならない歴史的事実なのである。

 現在の世界情勢を眺めてみるがよい。「八紘一宇」と云う大理想を、世界の指導者が持っていない為に、世界全体のことより、自国の利益中心に国際的な取引き、判断をしているのである。この時にこそ、「八紘一宇」の大理想を声高らかに、全世界に向って叫び、この理想による「観の転換」をして、全世界の指導者が働くようになるとき、この現象世界にも実相世界のすばらしさが現われてくるのである。

 

我らの愛国とは

総合目次