日本国憲法前文の非真理性

 仙頭 泰

 日本国憲法の原文は英語である。その前文には色々なことが書いてある。内容の特徴は、敗戦国民が戦勝国に対して「今まで私たちは悪いことをして来ました、今後は一切あのようなことはしないことを誓います」という様な「あやまり証文」の文体であり語調である。この憲法は連合国軍の軍事占領下で、日本国民は言論の自由を奪われていた時に作成された事実を、われわれは忘れてはならない。

 この前文に「日本国民は‥‥平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。意訳してみれば「日本国民は、あなたがた戦勝国のみなさんは公正で信義に篤い国民であると信じます。いけなかったのは私たち日本国民です。これから後、私たちは皆さん列国民がわたしたちに公正で信義ある扱いをしてくださることを信じて、自分の安全と生存とを自分の力で保とうとは思わないで、皆さんにおまかせしようと決心しました」というのである。

 何という卑屈な言葉の表現であろうか。これが本当の日本人の決意なのだろうか。このような文章は、ひたすら処刑をまぬがれるために憐れみ請う気持ちでなければ書けない文章である。この文言のむなしさは、今われわれの周囲でおこっている国際問題をみれば如何に馬鹿げたむなしいものであるか、よく分かるではないか。

 この前文の内容を「人類普遍の原理」といって、原理主義一本でやってきた結果が
国連中心と叫ぶ日本とは裏腹に、安保理事国を構成する国それ自体が、自国の利益を追求することに専念して、真に世界全体の平和を考えていないのが現実ではないか。日本が公正と信義に信頼するという国がテロを構えているではないか。われらは今こそ迷妄から目覚めて、自助努力しなければならない。

 国家形成に各国別々の理念がなく「人類普遍の原理」とやらというもので共通されるものならば、どうして自由主義国家と、共産主義国家とがそのイデオロギーの相異によって闘争をしなければならないのか。国家形成の理念には「人類普遍の原理」などというものは存在せず、そして互いに自国の国家理念を他国に押し付けようとするから、そこに戦争がおこるのである。

 だから現憲法の前文にある「ここに主権が国民に存することを宣言し‥‥これは人類普遍の原理であり」という文言は、アメリカが勝手に自国の国家形成の理念に、ソ連の国家形成の階級闘争理念をちょっぴりと混ぜたものを「人類普遍の原理」だともったいぶって日本に押し付けたものであり、非真理性のものであることは明らかなことである。
今こそ、日本には、日本国家形成の理念が存在することに目覚め、全世界の人類が一大家族となって暮らせる地球という星になるべくその建設に汗を流すべきである。

 

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