「東京裁判の正体」はなんだ
   仙 頭 泰

 『大東亜戦争』という日本政府の正式呼称が、連合国の七年間に亘る軍事占領下で、GHQの意向で「太平洋戦争」と呼ばれるようになった。昭和十六年(1941)十二月八日に開戦となり、昭和二十年(1945)八月十五日に終戦を迎えた戦争であった。日本には昔から「喧嘩両成敗」という言葉がある。この大東亜戦争が何故おこらねばならなかったか。世界史の流れなどをよく学び、地政学的立場からも、また白色人種・有色人種の人種偏見や、同じ人間でも黒人を奴隷として家畜の如く使用しても罪悪と感じない白人優位の観念、世界各地での白人による植民地政策など、長い間の人類の業の深さを考えた時、「大東亜戦争」は人類の過去の業の自壊として、東亜において起こらざるを得なっかた。それを単なる日本の侵略行為と決め付けることでは、人類の恒久平和を招来する解決にはならない。 

 連合国が日本に対して行った「極東国際軍事裁判」通称「東京裁判」なるものは、いかに勝者が敗者にたいするリンチに等しい茶番劇そのものであったか。その事実を明白にしなければならない。彼ら自身、「東京裁判」は日本を裁くものであって、連合国を裁くものではないと豪語し、自分達に不利になる証拠は一切採用しなかったのである。
 
 現今、日本の政治家、教育者、をはじめ指導者といわれる人の中に、また一般国民のなかに、この「東京裁判」によって編み出された「東京裁判史観」という日本人としての自己否定・自己処罰・自虐観念に、どっぷりとはまり込み、その迷妄の害毒に犯されて、未だにその迷妄から脱出し得ず、いわゆるマインド・コントロールなる呪縛に捉われているものが大勢いる。七年間という長期間の軍事占領下でGHQが日本人に対し言論弾圧を行い、GHQがわれわれ日本国民のうえに絶対者として君臨し、生かすも殺すも自由自在の立場にあり、日本の国家主権の無いときに、GHQの権力で作りあげた一つが「日本国憲法」なるものであることを忘れてはならない。

 当時の日本人はこれを「マッカーサー憲法」と呼んだのである。講和条約成立後、この憲法を無効とし、日本人の手による自主憲法制定運動が国民の間から澎湃として起こったが、なぜか国会では取り上げられず今日に至った。これについては、いまだに「平和護憲」を叫び、その改正すらしょうとしない政治団体のあることを見れば、その妨害の原因はいずこに在るか明白である。かくのごとく連合国の流した害毒は、いまだに日本国民の正気を絞り上げ、自主判断をうしなわせ、外国からの明白な内政干渉に対しても、金縛りになって動けないでいる状態を現出している。

 明治政府は、不平等条約の改正に命をかけたが、平成の政治家は妙な条約や法律で、近隣諸国の動向を恐れ、その制定や改正も無視した結果、今や日本国内の治安すら脅かされ、スパイ天国日本と呼ばれる状態である。教育の面では、小学生からジェンダーフリーなる言葉で奇妙な性教育が行われ、公徳心・愛国心などは教えられず人間の動物化がすすめられている。国防に必要な法律をもつくらず、「日本国憲法」前文の通り自分の国の安全を他国にお任せしている、こんな馬鹿なことを未だに信じ込んでいる。現実に、北方領土、竹島、南沙諸島の領土問題、大陸棚の問題等いま整理しておかなければならぬ問題が多い。民族の精神面では、靖国神社に日本の政治家が閣僚として正式参拝をしてはならぬと、未だに中国がわめいている。それに対して余計な口出しを断固拒絶できないでいる日本の政治家。北朝鮮によるわが同胞の拉致事件、核開発など断固解決せなばならぬ問題はおおい。しかしその対応の及び腰の不甲斐ない態度はなんとする。

 平成の政治家には、日本という祖国はなく、そのくせ、自己の地位・名誉・財産など、己の懐を肥やすことには専念し、中国、北朝鮮など外国の利益代弁者のごとき発言行動をして、国籍不明の政治家になっていても恥じることのない者もいる、外務省もまた然りである。どこまで性根が腐ってしまったのだろうか。

 これでは亡国の道に、いよいよはまり込むのみである。私は極東国際軍事裁判について、菅原裕氏著「東京裁判の正体」を読み、当時東京裁判の弁護人をされた先人の方々のご苦労を強く感じた。あのGHQの弾圧のもとにあっても、日本人としての誇りと気概をもって、裁判に臨まれた被告の方々、そして弁護をされた方々に深く感謝を捧げるものである。それとともに、谷口雅春先生が日本の将来を見通され、憂国の熱き思いを、各種御本に書き残されているが、その御文章を改めて拝読し、しみじみと噛みしめるとき、「吾ら日本人、今立たずしてなんとする」の思いが湧き上がるのである。ここに菅原裕氏の「東京裁判の正体」の『自序』の要点をまとめて、読者各位の参考に供したい。この菅原裕氏は東京裁判のときは、元陸軍大将荒木貞夫氏の弁護人を担当された方である。

○ 東京裁判は日本の戦時指導者の懲罰をするための直接復讐であり、また多くの日本指導者の公職追放をすることにより、日本弱体化のための国内態勢の変革をねらったものである。
○ 連合国は「極東国際軍事裁判」を国際裁判と僭称しながら、戦勝国のみで法廷を構成し、敗戦国民のみを被告とし、裁判所条例なる事後法を制定し、侵略戦争を裁くといいながら、侵略の概念さえも示さずに、日本の侵略を既定の事実として、これを前提に、過去十八年間一貫して世界侵略の共同謀議をしたと主張している。大東亜戦争と関係のない満州事変までも含めてそれ以来形式上の責任者をつくりあげた。

○ 東京裁判は二年半の歳月と、約二十七億円の経費(日本政府の負担した駐屯費中)とを費やし、七人の死刑と十二人の終身刑と二人の有期刑の判決、および六人の病死と一人の発狂者をもたらした。
○ 判決に対し、マッカーサーは最高司令官として、もっている再審の権利を放棄し、無条件で容認、確定した。

○ 二年後、解任されて帰国するや米国上院で「日本が第二次大戦に赴いたのは安全保障のためであった」と証言し、日本の侵略を根底から否定した。アメリカ政府もまた、マ元帥は前年のウエーキ島会談において、トルーマン大統領に対して「東京裁判は誤りであった」と報告したと暴露的発表を行ったのである。
○ これでは、まじめに東京裁判を謳歌した知識人たちの権威はどうなるのか。利用された検事団や、判事たちの名誉はどうなるか。それよりもこの裁判で処刑された被告らの立場はどうなるのだろうか。拘禁はとにかくとして、絞首刑はとりかえしがつかない。
○ 有史以来の敗戦により、占領軍の傀儡となり、「日本は無条件降伏をした」と信じこまされて、東京裁判史観で洗脳され教育面では惨憺たる状態になっている。

 以上が要点である。「東京裁判」の弁護人として、直接裁判の接しられた菅原裕氏の著述を読み「東京裁判」の実情を知るにつけ、七年間の連合国による軍事占領が犯した数々の傷跡の深さを感じる。戦後六十年近くたった今日、多くの日本国民はこれらのことは、自分に関係のないと遠い昔の出来事と無関心になっているが、実はそうではなく、その影響が今更のようにわれわれを縛り、その甚大なる被害が民族の綻びとして噴出していることに気がつくべきである。この傷口を癒すには「東京裁判」の正体を暴きその実態を知り、「東京裁判史観」の迷妄を打破し、その束縛から覚醒することが必要である。谷口雅春先生の「私の日本憲法論」とあわせて、この菅原祐著「東京裁判の正体」「日本国憲法失効論」(国書刊行会)の一読をお薦めするしだいである。

 

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