二重橋前の静かなる嵐

仙頭  泰

 昭和20年8月15日の正午に終戦の御詔勅を聞いた国民は、それぞれの思いを胸に皇居二重橋前に行き、老若男女が泣いたのである。その時の有様を、昭和20年8月16日付きの朝日新聞は、厳しい用紙事情のため裏表2ページしかなかったが、その様子を大変感動的に次のように報じている。今では遠い歴史の彼方の出来事になったが、若き世代にその事実を伝えておきたいと思う。以下がその記事である。

「静かなやうでありながら、そこには嵐があつた。国民の激しい感情の嵐であつた。広場の柵をつかまへ泣き叫んでいる少女があつた。日本人である。みんな日本人である。この日正午その耳に拝した玉音が深く深く胸に刻み込まれているのである。

 あゝけふこの日、このやうな天皇陛下の御言葉を聴かうとは誰が想像していたであらう。戦争は勝てる。国民の一人一人があらん限りの力を出し尽せば、大東亜戦争は必ず勝てる。

 さう思ひ、さう信じて、この人達はきのふまで空襲も怖れずに戦つて来たのである。
それがこんなことになつた。あれだけ長い間苦しみを苦しみとせず耐へ抜いて来た戦ひであつた。

 泣けるのは当然である。群衆の中から歌声が流れはじめた。『海ゆかば』の歌である。一人が歌ひはじめると、すべての者が泣きじやくりながらこれに唱和した。『大君の辺にこそ死なめかへりみはせじ』この歌声もまた大内山へと流れて行つた。

 またちがつた歌声が右の方から起つた.。『君ケ代』である。歌はまたみんなに唱和された。あゝ天皇陛下の御耳に届き参らせたであらうか。

 天皇陛下、お許し下さい。

天皇陛下! 悲痛な叫びがあちこちから聞えた。一人の青年が起ち上つて、『天皇陛下万歳』とあらん限りの声をふりしぼつて奉唱した。群衆の後の方でまた『天皇陛下万歳』の声が起つた。将校と学生であつた。

土下座の群衆は立ち去ろうともしなかつた。歌つては泣き泣いてはまた歌つた。通勤時間に、この群衆は二重橋前を埋め尽していた。けふもあすもこの国民の声は続くであろう。

 あすもあさつても『海ゆかば……』は歌ひつゞけられるであらう。民族の声である。大御心を奉戴し、苦難の生活に突進せんとする民草の声である。日本民族は敗れはしなかつた」

 この記事には、「一記者謹記」とのみ記されていた。今静かに眼を閉じ、往時をしのぶ。
われら日本民族は、神武建国の八紘一宇の大理想のもと、「万世の為に太平を開く」のである。心ある同朋よ!心静かに「宣戦の詔書」と「終戦の詔書」を、眼光紙背に徹して拝承し決意あらたに前進しょうではないか。

 

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