東京裁判史観とは
仙頭 泰

                   

「観」という言葉がある。そして、人生観、人間観、世界観、社会観などなど「観」のついた熟語がある。そこで「観」の意味を考えてみるのに、「観」とは「ものの見方」であり、「ものの考え方」である。

人生には「心の法則」が誰にでも作用しているのである。吾々が運命と呼ぶものは、われわれの潜在意識に蓄積された意識の傾向によってきまってくる。日本には「三つ子の魂、百までも」「門前の小僧習わぬ経を読む」「孟母三遷の教え」などと、すばらしい言葉が伝えられている。要するに、潜在意識に繰り返し植え付けられたものは、丁度テープまたはレコードに吹き込まれた原版と同じで、機械にかければ何回でも同じことを繰り返すことになる。そして、これらの仕組みを知らずして、同じことを繰り返していると、益々その傾向は強力なものとなる。つまり、「業の流転」となるのである。

「業の流転」を断ち切るためには、その根源となっている心の種を取り除かねばならない。吾々は毎日の新聞・テレビなどから多くの情報を与えられ、潜在意識に色々な問題について、一定の方向に向かって考えるように、また行動をするよう誘導されている。また特に青少年については、如何なる社会や家庭環境で、又如何なる教育体制のもとで育てられたかによって、彼らの将来を方向づけられ、また日本の國の将来が決まってくるのである。

このようなことを考えるほど、如何なる「観」を持つか、また持たされるか、与えられるかは、大きな問題である。自分の生まれ育った國に対する誇りをもち、そのように他の國の人も自国に誇りをもつものであり、互いに尊敬し合い、その特色を認め合い、助け合う「観」をしっかりと育成することが大切になるのである。

集団の場合でも、個人の場合と同じ仕組みであり、その規模、影響力が大きくなるだけに社会に対する仕組みが変化するのである。このことは、特定の宗教や政治団体に於いて、異常なほど強くなり、反対意見、反対行動に対しては猛烈な嫌悪感をもち、闘争心、対抗心などを燃やすものも出来てくるのである。そこで、その様な団体の指導者は、自己の団体の団結・発展のために力を入れ、もし メンバーまたは国民が組織に対して不平不満、反抗をもつときには、彼らの目を外部に向けさせて、自己の組織の対する不平不満のストレスを発散をさせる施策をとり、自己防衛をするのである。実に上手な心理作戦である。

東京裁判なるものは、極東国際軍事裁判のことであり、この裁判は要するに、勝者が敗者を一方的に断罪したものである。日本の立場を完全に無視し、日本側から提出された証拠書類でも、連合国側に不利なものは、一切採用せず(「東京裁判却下未提出弁護側資料」全八卷・国書刊行会・出版を見てほしい)パール・インド判事が云われた「歴史の偽証」であり、また「法律なければ犯罪なし」の原則に反した行為である。国際法に違反する政治的茶番劇であったことは、常識である。

東京裁判は裁判官も検察官も戦勝国代表で構成している。この点でも公正を欠くが、当時、日ソ中立条約に違反して満州に侵攻し、虐殺略奪をほしいままにしたソ連は明らかに日本を裁く資格は全くない。また六十六都市を無差別爆撃して四十万の非戦闘員を殺戮した上、日本が終戦を模索していることを知りながら、原爆を投下した行為は絶対に許されざる重大な国際法違反である。

日本国民の中には、大東亜戦争(太平洋戦争)は昭和二十年(1945)八月十五日に終わったと思いこんでいる人が多いが、これは間違いでサンフランシスコ対連合国平和条約が発効する昭和二十七年(1952)四月二十八日までは、連合国との武器をもった戦闘行為が終わっても軍事占領が七年間に亘り行われ、その間日本国民の言論の自由は奪われGHQによる情報操作により、休戦協定とした「ポツダム宣言」の内容を、実質的には日本国の「無条件降伏文書」にすり替え、悪名高い「東京裁判」を強行し、「日本国憲法」の施行、「教育基本法」の制定などをして、連合国の目的にかなった日本変造計画を占領政策として、日本人自身の発意のように巧みに実施したのである。

連合国側は日本国民に対して、「君たちは悪くない。指導者が悪いのである。日本の軍隊が悪いのである。それを倒さなくてはならない」と、国民の怨嗟の声を常に為政者にむけ、連合国側のすることは、神の救いのように、愛深くやさしいものであり、存在であると日本国民の潜在意識に浸透させたのである。

つまり、連合国側は日本の民族精神を破砕して、連合国の意のままになるように"精神的"国家改造を行うことが占領政策の目的であり、東京裁判は国際正義に基づくといったが、武器を使用しない占領軍の軍事作戦で七年間にわたる日本民族精神の抹殺作戦を行ったのである。連合国側は日本は「無条件降伏をしたのだから、連合国の政策を受け入れよ」と虚偽の政治宣伝をして、前にも述べた如く、極東国際軍事裁判(東京裁判)で日本だけを侵略国として人類の敵のごとくに仕立てて裁き、連合国側の戦争犯罪行為は一切不問に付し、日本の戦争責任のみを追及したのである。

このために戦争責任はあたかもすべてが日本だけに存在し、その罪状は追求されるべきものであると云う先入観が、日本のみならず全世界に植え付けられたのである。この様にして、七年間日本に対しての自虐史観を徹底させた結果が、現在の日本国内のあらゆる分野で、悪の華を咲かせ、亡国的な状態を現しているのである。

東京裁判は連合国の委任を受けたマッカーサー司令官が制定した「極東国際軍事裁判条例」により、すすめられた。しかし、外国人識者は国際法擁護の立場から東京裁判を批判し、世界的な視野に立って「連合国の戦争責任」を追求している。詳細については「世界がさばく東京裁判」監修・佐藤和男・終戦五十周年国民委員会編・ジュピター出版を読破されんことを望む。東京裁判は結局は、戦争に負けた日本を戦争犯罪人として処刑し、戦争に勝った連合国側は、戦争犯罪で訴追されることから免責されるという、国際法上の悪例をのこし、国際正義を退歩させたものであった。今こそ日本国民として、歴史を正し、自虐史観から脱して日本の文化伝統を守り、高貴ある民族の理想をかかげて前進すべく、「観の転換」をなすべきときである。    
                                (おわり)

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