東京裁判を点検しよう

現代の人で、東京裁判を正しく認識している人はすくないのではなかろうか。現代の多くの日本人は、東京裁判史観の虜となり、日本の國を野蛮な侵略国であると信じきってしまい、その間違いの事実を明白にすることに対しては、頭から拒否するまでになっている。国歌「君が代」にしても、このような歌詞の国歌は世界の他の國にはないのである。外界は内界の展開であるから、日本民族の自然とともに生き栄える観がわかるのである。日本には「神武不殺」という言葉もある。「八紘一宇」は神武天皇の日本建国の大理想なのである。今の国連で日本の代表が叫ぶべき国連の精神だと思う。

いまこそ「東京裁判」の正体を明確に認識すべき時であると考える。東京裁判の時に、元陸軍大将荒木貞夫の弁護人をされて、東京裁判に直接関係された菅原裕弁護士の記録が「東京裁判の正体」と題して、国書刊行会から発行されている。この原稿は昭和二十八年十一月十二日には出来上がっていた。しかし本として世にでたのは昭和三十六年の秋であった。吾々は、この著述を通して「東京裁判」の正体を認識すべきである。現在の中華人民共和国は建国五十五年というから、「東京裁判」のときには存在しなかった。存在したのは、蒋介石を総統とする中華民国であった。

結論から云えば、東京裁判について「世界がさばく東京裁判」と題して、85人からなる外国人識者が語った「東京裁判」の批判をした本がある。これは終戦五十周年国民委員会の編集であり、監修は佐藤和男法学博士である。出版はジュピター出版株式会社である。この本にある通りの茶番劇の軍事裁判であって、勝者が敗者を裁いた報復裁判そのものであったというだけのものである。ところがその裁判の結果が、七年間に亘る軍事占領下の言論統制をはじめとする、占領政策と合体して東京裁判史観という亡霊になり、今日の日本人の魂まで失わせる状態になり、中国や韓国などからも、侮りをうける状態になり、連合国側の軍事占領の目的は見事に、果実を結んでいるのである。

今ここに「東京裁判の正体」の「はしがき」に、東條英機元陸軍大将の弁護人をされた清瀬一郎法学博士の言葉がのっている。それをここに抜粋してみることにする。

                             清瀬一郎

「われわれ東京裁判に関係した者は、東京裁判の正確なる事実と、透徹した批判を、後世に伝える重大責任を負担しておるのであります。なぜかというに、この裁判最中に、毎日、流されて行った法廷記事なるものは、半分ほどは嘘でありました。司令部が新聞を指導し、いかにも日本が悪かったのだ、日本軍人は残虐行為ばかりをしておったのだと、日本国内は無論のこと、世界のすみずみまでにゆきわたらしめんとしました。しかもわが方としてはこれに対抗する手段が封ぜられておりました。

昭和二十三年十一月、判決が下されてからも、判決批判はいっさい禁ぜられました。こんな状態が昭和二十七年四月二十八日まで、ちょうど六年間継続したのであります。(被告に対し起訴状が送達せられたのが、昭和二十一年四月二十九日であったから日本独立まで丁度満六年)。

それゆえ、世間では、日本の旧軍人は戦時中敵国俘虜の虐待や、婦女の凌辱ばかりしておったのかしら、日本の政府は強盗やギャングのような侵略戦争の共同謀議ばかりしておったらしい、マッカーサーは偉い、マッカーサーのおかげで天皇陛下は戦犯ともせられず、お助かりになったのだ、というような感想を国内に生みつけてしまった。

本当はかかる感想は、大いに誤っておるのであります。しかしこれが誤解だとばかりいっても、それだけでは、今では世間は信用せぬ。正確な事実をとらえ来たって、現実にその誤りであることを証明せねばならぬ。また根拠ある法理を闡明して法律適用の過誤を論定せねばならぬ。

それが、この事件の弁護の任を引き受けた者に、なお残った責任であります。この任務を尽くし終わるまでは、われわれは免責せられておるものではない。もっとも一昨年(註:昭和二十七年)四月二十八日、わが國が独立するまでは、そんなことを目的とする著述は禁ぜられておったから、それまでの間は、実は、やむを得なかったが、わが國が独立して、言論、著作の自由が回復した以上は、われわれ弁護人は、必ず戦犯裁判の報道是正、正当批判闡明の仕事にとりかからねばならぬわけであった。……以下略」

以上のような「はしがき」を読むだけでも、極東国際軍事裁判が如何なるものかわかるのである。今こそこれらの本を熟読して、東京裁判の正体を一人でも多くの国民が理解して、正論を草の根から沸騰させようではないか。東京裁判の否定こそ近隣諸国への反撃でもある。

                              (この項終わり)

我らの愛国 
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