昭和十九年(1944年)
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1月15日
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ソ連軍、レニングラードで反撃に転ず
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6月 6日
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米英連合軍、ノルマンデイ 上陸
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6月16日
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B29,中国大陸より発進、北九州に初空襲
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6月19日
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マリアナ沖海戦、日本、空母機の殆どを失う
戦果なし
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6月30日
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大都市の学童集団疎開決まる(8月実施)
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7月 7日
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サイパン島日本軍全滅
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7月18日
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東條英機内閣総辞職
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7月21日
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米軍グアム島上陸
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7月22日
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小磯国昭内閣成立
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7月23日
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米軍、テニアン島に上陸
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8月 5日
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大本営・政府連絡会議廃止、最高戦争指導会議設置
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9月27日
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グアム・テニアン両島の日本軍全滅
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10月24日
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レイテ沖海戦
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10月25日
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海軍神風特別攻撃隊、初めて米艦を攻撃
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10月26日
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日本連合艦隊、レイテ沖にて潰滅
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11月 1日
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マリアナ基地のB29,東京を初偵察
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11月24日
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B29の本格的東京空襲はじまる
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昭和二十年(1945年)
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1月18日
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大本営、本土決戦の作戦大綱を決定
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2月11日
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ヤルタ協定締結さる(ソ連の対日参戦密約を含む)
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2月14日
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近衛文麿、終戦を訴える文書を天皇に上奏
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2月19日
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米軍、硫黄島に上陸
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2月28日
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本土決戦のため第1次動員発令
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3月 6日
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国民勤労動員令下る
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3月10日
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B29、東京下町を大空襲
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3月14日
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大都市の学校授業一年間停止
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3月17日
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硫黄島の日本軍連絡を絶つ
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3月18日
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天皇、下町の被災地を巡行
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4月 1日
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米軍、沖縄本土に上陸
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4月 5日
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ソ連、日ソ中立条約継続拒否通告。1946年8月期限終了。小磯内閣総辞職、鈴木貫太郎海軍大将に組閣大命降下
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4月 7日
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鈴木内閣成立
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4月 8日
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陸軍、本土決戦案「決号作戦」示達。東日本を第一総軍、西日本を第二総軍の指揮系統下におく。
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4月12日
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米国大統領ルーズベルト死す。トルーマン大統領となる。
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4月15日
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吉田茂らの和平派、憲兵隊に逮捕さる
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4月25日
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ソ連軍ベルリン突入
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5月 1日
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ヒトラー自決
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5月 7日
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独軍、無条件降伏文書に調印
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5月14日
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六巨頭(鈴木首相、東郷外相、米内海相、阿南陸相、梅津参謀総長、豊田軍令部総長)のみの最高戦争指導会議で対ソ交渉方針決定
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5月25日
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東京空襲、皇居炎上
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6月 3日
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広田元首相、マリク・ソ連大使と秘密会談
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6月 8日
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御前会議で徹底抗戦の国策大綱を決定
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6月 9日
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木戸内大臣、天皇に時局収拾案を上奏
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6月12日
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長谷川清海軍大将、天皇の特使として内地各基地を視察、その実情を率直に報告
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6月18日
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米国、日本上陸の「オリンピック作戦」方針を決定
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6月21
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沖縄陥落
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6月22日
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天皇、最高戦争指導会議構成員をお召しになり、戦争終結の希望を述べられる
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6月23日
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国民義勇戦闘隊統率令施行さる(国民皆兵となる)
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7月 7日
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天皇、鈴木首相に対し、対ソ工作の促進を督促さる
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7月12日
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天皇のソ連派遣特使として近衛文麿が決定さる同日、東郷外相より駐ソ大使佐藤尚武へ訓電、日本が終戦を望んでいる事を知らせる
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7月15日
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佐藤大使より、ソ連の返答はポッダム会談が終了しソ連首脳帰国後になるとの返電あり
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7月17日
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ポッダム会談始まる(8月2日迄)
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7月19日
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水戸市、日立市に対し米軍の艦砲射撃が行われる
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7月24日
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トルーマン米国大統領、原爆投下命令書にサインする
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7月25日
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原爆投下命令発せらる
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7月26日
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米英中連合国、ポッダム宣言を発表。英国チャーチル内閣総辞職
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7月27日
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ポッダム宣言に対する方針について、午前最高戦争指導会議、午後定例閣議行わる
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7月28日
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日本の新聞に内閣情報局指令のポッダム宣言軽視の小記事鈴木首相、記者会見でポッダム宣言「黙殺」発言
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7月30日
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陸軍ロシア課はソ連の対日宣戦は十日ごろと判断
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8月 2日
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ポッダム会談終了ソ連首脳スターリン、モロトフ帰途につく
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8月 6日
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広島に原子爆弾投下
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8月 7日
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原爆に関するトルーマン声明発表さる(日本が降伏に応じない限り他の場所にも投下する)
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8月 8日
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東郷外相、鈴木首相とポッダム宣言受諾について会談し天皇に奏上、天皇、戦争終結への努力を希望さる夜半、ソ連対日宣戦通告、関東軍に攻撃開始
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8月 9日
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ポッダム宣言受諾を議題として、午前十時最高戦争指導会議、午後二時半閣議開かれるがいずれも意見の一致を見ず散会会議紛糾中、長崎に原爆投下午後十一時十五分、最高戦争指導会議構成員(平沼枢相参加)による御前会議開催
国体護持を留保条件として受諾とする一ヵ条案(東郷外相、米内海相、平沼枢相)と、これに保障占領、武装解除、戦犯処理の日本側実施を加えた四ヵ条案阿南陸相、豊田軍令部総長、梅津参謀総長三対三のまま結論出ず、夜を明かす
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8月10日
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午前二時すぎ鈴木首相、天皇の聖断を仰ぐ天皇一ヵ条案により終戦の断を下さる(二時三十分)
午前三時閣議再開、天皇大権の保持を条件にポッダム宣言受諾を中立国(スイス、スウェーデン)を通して打電
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8月12日
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連合国回答のサンフランシスコ放送を受信、その中の「天皇および日本国政府は連合軍司令官に Subject to する」との文句が問題となり軍部の態度硬化
さらに、「日本国の最後の政治形態は国民の自由に表現された意志によるものとす」という条項に平沼枢相の態度も硬化
午後三時より閣議。国体護持について連合国に再照会すべしとする阿南陸相と、再照会反対の東郷外相の意見対立
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8月13日
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未明、連合国の正式回答を受け午前九時より最高戦争指導会議開催論議対立
午後三時中止続く
午後四時からの閣議でも結論出ず
この日、終日米機動部隊よりの七六〇機東京ならびに関東を攻撃米機動部隊本土接近により、決号作戦警戒発令
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8月14日
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鈴木首相、天皇のお召しによる特別御前会議の開催をはかり、天皇賛同される
午前十時半より全閣僚、平沼枢相、参謀総長、軍令部総長、書記官長、池田純久綜合計画局長官、陸海軍省軍務局長ら二十三名参列天皇、梅津、豊田、阿南三者の再照会意見を聞かれた後、再びポッダム宣
言受諾の聖断を下さる
(正午)午後一時より閣議、受諾の確認と終戦詔勅案の審議決定
日本放送協会幹部、玉音放送の方法に関し議論続く閣議で録音と決定
八時詔勅草案出来
八時半御名御璽
九時翌日の重大(玉音)放送予告ラジオ放送
十時詔書に大臣副署終るポッダム宣言正式受諾を中立国(スイス、スウェーデン )へ打電
十一時半より天皇の詔勅録音
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8月15日
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午前一時森赳近衛師団長殺害さる
一時半下村宏情報局総裁ら坂下門で反乱軍により軟禁
五時すぎ田中静壱東部軍管区司令官、宮城に入り反乱軍鎮圧にあたる
五時半すぎ阿南陸相自刃
七時二十一分玉音放送予告ラジオ放送
十一時より枢密院本会議、ポッダム宣言受諾を了承
正午終戦詔書玉音放送鈴木内閣総辞職
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8月16日
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陸海軍に即時戦闘停止命令下る
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8月17日
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東久邇宮稔彦王内閣成立
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8月19日
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満州の関東軍降伏す
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8月28日
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連合軍、厚木に進駐
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8月30日
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マッカーサー元帥厚木着
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9月 2日
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ミズリー号艦上で降伏文書に調印
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9月27日
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天皇、マッカーサーをご訪問
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10月5日
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東久邇宮内閣総辞職
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10月9日
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幣原喜重郎内閣成立
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10月11日
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マッカーサー、幣原首相と会談、GHQ五大改革(男女同権・労働者の団結権・教育自由化・専制の廃止経済民主化)を指令
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11月30日
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陸海軍両省を廃止
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12月16日
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近衛文麿自殺
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昭和二十一年(1946年)
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1月 1日
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天皇、神格否定(人間)宣言
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